08-31.眩い世界のヒロイン。
31話と30話を前後させて投稿させてしまいました。修正済みですので、30話からお読みください。
エミリアは引き上げられ、精霊馬に乗る。イリスにも手を貸し、馬上の人は三人となった。ジークの前にエミリア、エミリアがイリスを抱えている。
(ジーク様のスキルで高く飛ばしてもらい、私がイリスを祝福して、イリスに竜を斬ってもらう……生きああたりばったりだけれども、これしかない)
そうは思うも、不安からエミリアの顔は上がらない。だが馬から走らせる視線は、遠く戦場の様子を映した。敵軍はマナの獅子奮迅の活躍によって、完全に足並みを乱されているようだ。散り散りになり、潰走の様相を呈していることが、この距離からでもわかる。
しかし。
「くく。できるはずが、ない」
嘲るようなセラフの声が届いた。
「あんな高空に、何が届くというのか……!」
エミリアは歯を食いしばり、腹に力を入れて、空を見上げる。もう竜の影は、ほとんど見えない。あれをなんとか切って落とさねば、きっと全員そろって爆発に巻き込まれるだろう。エミリアの頭の中には、ゲームで〝魔核爆弾〟が炸裂し、バッドエンドになったときの光景が――もの寂しい世界が、思い起こされていた。
だがあの乙女ゲームを。自分の原点を思い出した、彼女は。
(これは、贖罪)
細く深く息をし、顔を上げる。腕の中のイリスを強く抱き、顎下に来ている彼女の後頭部の香りを、吸い込んで。
(彼女の……〝悪役令嬢エミリア〟の故郷すら、守られないならば。私がこれ以上エミリアとして生きる資格は、ない)
それが勇気に……そして、力になった。
「想い……いえ」
上を向いたまま、エミリアは呟く。そして仲間たちに向けて。
「届くのは、祝福。いざ、この地上に! 天に!」
「精霊の愛を!」
高らかに、謳い上げた。
「エミリア」「エミリア!」「エミリアさん……!」「大公閣下!」
視線と、激励が集まる。精強な馬が、また高く嘶いた。
「スキル〝いと高き者〟」
後ろから、手綱を握る王子の力強い声が伝わる。
「第二の能力! 行くぞ、どこまでも駆け上がれッ!」
ジーク王子のスキルは……〝高さ〟を力に変える。
第一の能力は、より高いところにいる場合に強化を受けることができるもの。
そして二つ目は。
――――昇る限り、無限に強くなる。
馬が駆ける。小山を、領都に向かって。風が壁のように当たり、息がしづらいほどだ。エミリアは背中から、ジークの存在が、体温が、大きく膨れ上がっていくように感じられた。
「エミリア様、聖剣を私に」
腕の中のイリスが、小さく呟く。
「イリス……」
エミリアは躊躇うように返しながらも、手の中に王国の国宝たる聖剣を取り出した。その柄をイリスに握らせ、エミリアの根源たる魔力――〝もやもや〟を想起し、込める。
刃が少しずつ白銀から、七色の光へと、姿を変えていった。猛然と進む中、伏せがちのイリスの顔を、暖かな光が静かに照らしている。
「祝福ってたぶん、距離が関係あります。だからギリギリまで近くにいてください。できるだけ上に飛んでから、祝福をかけて……あとは、私が」
エミリアは黙って、イリスを強く抱きしめた。離さないという想いは……きっと伝わって。その腕を、イリスの左手が、優しく撫でている。
「大丈夫です。あなたが信じてくれるなら……わたしは必ず、帰ってきます」
エミリアは――――ハッとした。
なぜだか、はっきりと。
それが嘘だと。
わかった。
「信じてる。初めて会った時から、ずっと」
けれども言葉は、なめらかに出てイリスの耳朶をくすぐる。
もうイリスは戻ってこないと、そんな確信が沸き上がるのに。
不思議と涙は――強い風で無理やり乾かされたように――出なくて。
〝その時〟が少しでも遅ければいいと。
エミリアはイリスの頭に、頬を摺り寄せた。
だが。
「ゆくぞ、エミリア。私はかつての宣言通り!」
その時間は、ほんの一瞬であった。エミリアは両腕に力を籠める。ジークの両手が、脇の下に添えられ……軽々とイリスごと、持ち上げた。
「君を世界の頂点に、押し上げる! イリスを連れていきたければッ!」
馬が走り続ける。
ジークが力を溜めて構える。
エミリアとイリスは、身を固めて。
「手を離すなッ!」
「――――言われなくても!」
答えた瞬間。
「いと高いも……否」
馬から。あるいはジークから。あるいは、イリスとエミリアからも。
「〝いと高き我ら〟、第三の能力! 君よ、高く昇り給えッ!」
黄金の光が立ち上り。
そのまま、巨大な光の柱となって。
エミリアとイリスごと――――天へ、打ち上げられた。
(信じ、られない。なんて速度……!)
目を開けているのも辛い。体は投げ出され、自由はほとんど効かなかった。
(竜が、どんどん近づいている! でも)
ただなんとか右手で、イリスの左手を握る。そのイリスは右腕を掲げ、剣を握り締め、歯を食いしばって空高くを睨みつけていた。
彼女につられ、エミリアも上に目を向ける。何かの力に守られているようだが、強烈に重い抵抗感があり、見えづらい。だが確かに、地上からはほとんど見えていなかった白銀の竜が……目に留まっている。
(大きさのせいで、距離が分かりにくい!)
確かに、近づいている。
どんどん二人は、昇っている。
空の青さは、ほとんど失われつつあり。
竜は……巨大な岩か山のように、見えていた。
(まだ……まだ遠い! なのにっ!)
予感がした。
力が、光が緩み。
「届かない」という。
絶望が訪れる……予感が。
(これじゃあ、まだ聖剣は届かない! それに、息が――――)
風の壁にずっと当たっていて、言葉はもちろん、息すらでない。しかし聖剣の斬撃が届く範囲には、まだ入っていないと……そう確信があって。体が、徐々に離れていく。力が、もう入らない。握った手、絡めた指すら、ほどけそうで。
そう思った、瞬間。
ぐっと、引き寄せられた。
唇に感じた柔らかさを受けて「目をつぶらなければ」……そんなことを、この非常時に考え。送り込まれた熱い吐息を、肺の奥まで吸い込む。
(イリス……イリス!)
――――ここしかない。
そう判断し、エミリアは切り札を、切った。
〝もやもや〟が溢れ出す。体から出たそれは、虹色に輝きを見せる。
絡みついたままの二人の体を、光が覆っていく。
失速していた上昇が、再び始まるも。
(ぐ、だめ。ちから、が。イリスは、だいじょうぶ、でも。私の、魔力が――――ハッ)
そもそもエミリアの力は「飛ぶ」ためのものではない。確かに力を与えはしたが、その効率は非常に悪かった。酸素も魔力もつきそうになる中、エミリアが思い出したのは。
『君ならば、使いこなせるはずだ』
くたびれた格好の教授がくれた……四角い金属の板。
その冷たい感触を、思い出して。
右手の先に、浮かべる。
(まりょ、く。これ、で……あっ)
四角い板が浮き、離れていく。
そればかりかイリスの体が、離れて、浮く。
繋いだ手が、ほどけていき。
イリスだけが昇っていく。
否。
(えっ――――――――)
エミリアの手から、次々に物が溢れ出した。
細い筒、青銅のすり鉢、見覚えの薄い大量のガラクタ。
そして…………イリスの作った〝精霊車〟。
アイテール、までも。
(どう、して。いったい、なにが)
ふわりと浮かぶ、それらから。
エミリアとイリスの間を飛ぶ、精霊具たちから。
透明な、何かが。
浮かび上がる。
(この子、たちは。まさか)
見ればそれは、乙女のようでもあった。
〝精霊だ〟と直感したエミリアは、彼女たちを呆然と眺める。
視線の先にある、イリスの青い瞳もまた……同じ幻想的な光景を、映していて。
二人の間に。
灰色の瞳をした精霊が、割り込んだ。
☆ ☆ ☆
いつの間にか暗くなっていた空の中……ではなく。真っ白などこかで。息苦しさはなく、冷たさはなく、穏やかで……暖かで。エミリアは、灰色の瞳をした乙女と向き合っている。風に潰れそうになっていたエミリアの瞳には、どうしてか彼女のことが、はっきりと見えていた。
灰色の瞳、灰色の髪……まるで灰かぶりのような。
〝悪役令嬢〟。
「エミリア……えみ、りあ。なの?」
声が出た。イリスも、精霊具もないそこで。〝エミリア〟と思しき彼女と二人の、場所で。静かにいつもの自分の声が響く。
「ありがとう、遠い世界から救いに来てくれて」
彼女の返事は、万感に満ちていて。言えただけで幸福だと……その想いがすっと伝わってきた。だがエミリアは。
「私は! 私はジーク様を、裏切って! あなたの望みなんて、何も!」
嘆いた。己の罪をあがなえなかったと、懺悔した。この機会を逃せば許しを請うこともできまいと、あえぐように、懸命に叫んだ。
その言葉は。
「いいえ、そうではないわ」
優しく、受け入れられる。乙女の細く白い手が、エミリアの額に触れた。
(何か流れ込んでくる!? これ、は)
見たことのある、光景。公爵領と帝国の境目だ。小山の上の領都がしばらく移っていたが、景色が流れる。まるで他人の目を借りて見ているかのようだ。
(ゲーム終了後の……エミリアの、記憶?)
靴を擦り切らせながら、ひたすら歩く。迷いに迷い、日の昇る方角へ足を向けて。厳しく――女としての価値すら認められない土地で、魂をすり減らしながら生き延び。
そうして一年、二年。
十年。
足はまた、西へ、そして南へ向かう。
(見ては、だめ……)
エミリアは予感がし、背筋がざわつき、映像を止めたかった。だがその目の主は……見てしまった。
荒れ果てた故郷を。内戦で荒廃した国を。
打ち捨てられた……乙女の亡骸を。
かつて自分を排除した、彼女の末路に。
胸を裂かれるような、激しい慟哭が。
重なって。
「私の祈りは、確かに届いた」
映像が、止まる。目の前には、灰色の瞳。半透明の彼女は、どこか穏やかな顔をしていて。
しかし。
「でも、このままでは」
目を伏せ、顔を曇らせた。彼女の背後には。
(イリス――――!)
宙に漂う、愛しい人。
もう昇ることもできず。
降りることも、できず。
帰ることのできない、彼女。
先ほどの亡骸と。
イリスの諦めたような微笑みが。
「お願い、どうか。どうか彼女に」
涙を浮かべる、灰色の瞳に、重なった。
☆ ☆ ☆
暗い空に、無数の精霊具が浮かんでいる。その向こうには、こちらに手を伸ばした……イリス。聖剣を握る彼女の、遥か向こう。未だ進み続ける竜が、目に入った。そのぶくぶくと膨らんだ白銀の体は……今にも、はじけ飛んでしまいそうだ。
もう。
時間が、ない。
「イリスに――――眩きヒロインに!」
半透明の乙女たちが、両手を組んで祈る。
エミリアは大地を背に、両腕を目いっぱい広げる。
視線の彼方に、紫に色に見える太陽をおさめながら。
――――エミリアは〝もやもや〟に、火を灯した。
「世界の、祝福あれ――――――――ッ!」
膨らむ。弾ける。遠く紫の太陽のように。光の爆発が、ただイリスにだけ注ぐ。
エミリアのすべてが。
愛する彼女に。
捧げられた。
★ ★ ★
黒い宇宙で。二つの太陽に挟まれて。
「絶対帰れないって、思ったのに」
イリスは虹の翼を広げる。
「あなたが、星々よりも眩い祝福をくれるのならば」
柄を握り締め、光となって駆ける。
風船のようになった竜に、迫りながら。
彼女は……遠い遠い、無数の小さな星々から。
「わたしはあなたに――――無限の幸福を、約束しよう」
虹がかかるのを、見た。
〝万才の乙女〟は、世界のすべてに、愛されて。
「愛してる、エミリア」
祝福に。
愛と幸せを、返した。
★ ★ ★
その日、地上からは。
虹に染まった天が、見えたという。
白銀の竜の爆発など、目にした者はおらず。
エミリアと、イリスは。




