02-06.王子様は追跡者。
「そういえばこれ、帝国に向かっているの?」
話を切り替え、エミリアはイリスを眺める。彼女は引き出していたテーブルを押し込み、代わりに計器類を叩いた。薄い地図のようなものが、浮かんで見えている。
「え、ええ。どこか寄るところが?」
「うちとあなたの実家に寄って頂戴」
眉根を寄せたイリスに、じっと見られた。小さな息を吐き、エミリアは口元に笑みを乗せる。
「なんで、って顔? それは」
「その、はい」
「ジーク殿下、これからどうなると思う?」
エミリアが水を向けると、イリスは面食らったような顔をした。
「え? さっき聞いた感じだと……どうでしょう。でもエミリア様に誤解で婚約破棄を突きつけて、人前で不正を糾弾されたわけで。廃嫡とか……」
「国王陛下と王妃殿下は、何もする気はなさそうだったでしょうが。彼はまだ自由よ。そして追手を放ってるということは……私の予想は当たり。使用人たちには連絡を急がせてはいるけど、できれば車で先について、警告しておきたい」
「予想? 警告?」
「ええ」
エミリアは悩み事を、ため息とともに吐き出す。確かにジークは「他人の成果を掠め取るような小物」でもある。だがそれは「掠め取っても文句を言わない他人を、多数従えている」証左でもあった。かつてのエミリアを含めて、彼に味方する者はきっと多い。
それは政を担う王族にとって、とても大きな力になるのだ。
「特に、領民が一家族しかいないっていう、あなたの家。このままだと、召喚されて処刑もあり得る」
「そんな!? そこまで滅茶苦茶やるんですか!?」
「やれば当然、お咎めがあるでしょうよ。でも止まってくれると期待するのは、楽観が過ぎるのでなくて? もし彼がまだあなたを狙っているなら、それくらいやるし……仕返しというつもりがあるなら、私の実家にも何か仕掛けてくるわ」
元々エミリアは、賭けに負けて婚約破棄されたのならば……そのまま人生転落やむなし、と考えていた。実家にも多大な損害を出すだろうし、無事では済まないと。
イリスのおかげで多少は持ち直したわけだが、それは希望が見えた程度に過ぎない。失ったものがあることには、変わりがないのだ。帝国留学のためには、まず「無事に帝国に辿り着く」ことが必要。それには、家族の無事も当然に含まれる。
(だからってこれは……納得がいかないわね。なんで追い回されなきゃいけないのよ。あんな……)
エミリアは深く、息を吐き出した。すっきりとせず、〝もやもや〟が溜まっている。ジークを振って、少しは溜飲が下がったのも確かであったが。王と王妃の話を聞いてから……どうにも胸の奥が、気持ち悪かった。
(陛下のことも、王妃様のことも、私の、ことも…………あの方はなぜ、愛さないの? それなのになぜ、傍に置こうとするの? 手を伸ばせば届くところにあるときは、私の心を踏みにじった、くせに。今更、追いかけてくるなんて)
気分の悪さを抑えようと、エミリアは胸元に手を当てる。その手の下の……ジークからもらった〝竜鳥の涙〟があしらわれたブローチを、握り締めた。彼女の視線の先には、イリスが身に着けているもう一つのブローチ。装飾の色は違って、あちらは青が中心で……エミリアの赤いものとは、対のようでもある。
それは王子の、裏切りの証。同時に、イリスとの新たな絆の証。
(こんなに滅茶苦茶やって……ゆえあってのこととはいえ、野放しにされている。怠惰で、悪辣であっても、それを許されている)
ブローチを引きちぎりたい思いと。
絶対に離したくない想いが。
重なる。
(――――――――妬ましい)
「……大丈夫ですか? エミリア様。お顔色が……」
「いいえ、大丈夫よ。ひとまず追手は撒いたし、先回りして――――」
頬を緩め、エミリアは運転席側に顔を向ける。そして小さな音を聞き、奇妙なものを見て、固まった。唇をわななかせ――――叫び出す。
「どういう、どういうことなの!?」
「どうしたんです、エミリア様!」
イリスが慌て、エミリアの指さす方を見る。そこには。
「ただの馬じゃないですか!」
馬が、車と並走していた。
エミリアは震え、弱く首を振る。
「馬しかいない!」
エミリアの警句を受けて、イリスがハッとし、あたりを見渡す。エミリアもまた、助手席側の窓の向こうや、後ろを振り返った。
「騎手を! 騎手を見つけなくては!」
その時。
がすり、と嫌な音が響いた。
続いて、ドン、という重い音。
いずれも、上からしたもので。
おそるおそる、運転席側を振り向いてみれば。
(ヒッ!)
イリスとの間に、白銀に輝く刃が現れていた。
天井から突き降ろされたそれは、ゆっくりと車両後部に向かって滑っていく。車の装甲がまるで紙のように切り裂かれ、見ればその向こうに何かが覗いていた。
『騎手はここだとも。さぁエミリア、帰ろう』
低い声が、降り注ぐ。
隙間から見える、青い視線と共に。
(ジーク王子!? 本当に……本当に来るなんて!)
エミリアはドアに背を押し付け、息を呑んだ。




