08-27.二人の王子。
家族に結婚を認められ――――およそ一週間。ついに、この日が来た。エミリアは領都のある小山の麓、小高い丘に立ち、遠くを眺めている。公式な会談の日ではあるが、何があるかわからない。そのため今日は、男装だ。
「エミリアさん、来たよ」
伝令の言伝が背後から、聞こえた。イリスの弟、三つ子の一人のレヴァイだ。
「ありがとう。烈火団も配置について。予想通りなら、敵は全戦力を集めてくるわ」
「抜かりはないよ。任せて」
少年がそう言って、走り去る。丘にはまた、エミリア一人となる。非常に遠くに、馬と馬車らしき列が、見えていて。
(いよいよね……国王陛下のお出ましだわ。それに、あれは)
さすがにここからでは判別がつかないが……馬上の一人はおそらく、ジーク第二王子。エミリアの、元婚約者だ。
(火種にならなければいいけれど。火種、と言えば)
エミリアは振り返り、小山の上――――領都上空を見上げる。首の長い影が、翼を羽ばたかせていた。
(作戦、失敗したのよね。あまりに高空で、スキル持ちの放った弓も届かない。イリスや私が聖剣の〝斬〟を撃ったけれど、それでも届かなかった。なぜか昨日今日は、ずっと領都の上を回ってるし……と、いうか)
雲が風で流れ、日差しが姿を現す。眩しそうに光を手で遮りながら、エミリアは天高くの影を睨むように見上げた。
「あの竜。なんか……最初よりずっと高く飛んでて、しかもひょっとして」
眉根を寄せ、呟く。それは小さな……不安。
「――――大きく、なってる?」
「エミリア様! 先触れが来ました!」
イリスの声にハッと意識を戻す。振り返り、彼女の姿を見つけた。
「わかった、今行く!」
声を張り上げてから、丘を下ろうとし……ふと、また背後を振り向く。雲が動いて、空に架かり。
(何もないと、いいけど)
白銀の竜を、覆い隠していた。
☆ ☆ ☆
公爵も国王も、まだ会談の天幕には入らない。その前に、両陣営の警備担当者が、互いに周辺をチェックする段取りになっている。エミリアの兄、サイクルの提案が採用され、このような運びになっている、わけだが。
「久しいな、エミリア。それにイリス」
馬に乗って高くから見下ろしてくる貴公子は……オレン王国第二王子、ジーク。王国側の警備責任者は、彼だった。
「ええ、お久しぶりです。ジーク殿下。聖剣紛失の咎で、しばらく罰を受けてらしたとか?」
「そちらは帝国の騒ぎにだいぶ噛んでいたようだな。心躍る報告だった」
挑発するようにエミリアは言葉を放ったが、簡単にいなされた。
(以前はもっと軽薄で……どこか周りを他人事のように見ていた方だったのに)
エミリアの知る過去の王子とも、最後に会った時とも反応が異なり……彼女は少々、面食らう。会わぬ間に、威風堂々たる王子へと成長を遂げたようだ。
(なるほど。学園のころからこうだったら、私は逃げられなかったかも、しれない)
「急ぎ見回るゆえ、このままで失礼。公国側に、情報の共有をお願いしたい」
「公爵領だろう? ジーク殿」
背後からかかった声に、エミリアは振り向く。浅黒い肌、場にそぐわぬほど高貴な装いの男が、歩み寄ってきていた。
(セラフ・レモール第十六王子……よくものうのうと、出てこれたものだわ)
奥歯を噛みしめ、瞳の色を隠し、エミリアは平静を装って出迎える。淑女の礼も取らず、ただ待った。
「公国で合っている。はて、貴国にはまだ報せが届いていないのかね」
「…………どういうことだ、ジーク殿」
馬上からジークが応えると、セラフが剣呑な声を返した。エミリアはほくそ笑みそうになり、また表情を消す。
「まさか、式典が終わってからの独立だと思っていたのか? 公爵領独立の承認は、とうに済んでいる。今回は、国家元首同士の初会談となるものだ」
目を見開いたセラフに対して、エミリアは視線を流して合わせた。
「レモール国は、優秀な情報網をお持ち、だそうですが」
薄く笑みを浮かべ、告げる。そう。
「休暇でも出されたのですか? セラフ王子」
お前の諜報員は、すべて捕まえた……そう意味を込めて。
「――――ッ!? ……失礼する」
セラフが背を向け、足早に立ち去る。エミリアの視界には、彼に注視する者たちがおさまっていた。彼らが各々動き出すのを眺め、頬を緩める。
(公爵領側だけではなく、王国側でも身動きを封じられていたようね。さて、どう動くかしら)
彼の背中を見ていたら、ジークが馬から降りて、近くに立った。少し距離をとりつつも、エミリアは幾分肩の力を抜き、彼と向き合う。
「おおよそはわかった。助かった、エミリア」
「いえ。警備については、あちらの担当者とお話ください」
「ありがとう。ところで」
エミリアはディアンとガレットを見かけ、彼らを示したが。
「あの竜らしきものは」
王子の関心は、別のところにあるようだった。彼は遠く領都上空の影を、見ている。
「今のところは、よくわかっていません。手の出しようがない高空におり、対策を協議中です。ゆえ、会談は街中を避けました」
「そうか…………気になるな」
ぼそりと呟いたジークに、エミリアは少々の不安を覚える。しかし彼が視線をこちらに戻したので、背筋を正した。
「エミリア、イリス。二人とも。少しだけ、良いか」
☆ ☆ ☆
馬を降りたジークが、先を歩く。エミリアとイリスは彼に続き、ひとけなく声が届かないところまで連れ出された。無骨な岩と乾いた地面があるだけで、他には何もない。
「招待は……断らせてもらおう」
ジークが振り返り、そう切り出した。エミリアは思わず頬を歪め、反論しようとしたが。
「王族と、それから帝国の主だった皇族は招待させていただいているのです。ジーク様がわがままで辞退されると、こちらが困ります」
イリスが割り込み、機先を制した。
「言ってくれるな、イリス。私に恥をかけと、そう言うのか?」
「逃げるなと言っているのです。ジーク・オレン」
二人が、明らかに感情を込めて。
「エミリア様は、わたしのものだ」
「それは、公国の行く末をもって判断するべきことだ」
言葉をぶつけ合う。しばし睨み合ってから。
「式で見極めるようなことではない。なれば」
どちらともなく、二人ともがエミリアを見た。
「慶事に昔の男など、不要であろう」
エミリアは今度こそ呆れ、ため息を吐く。理屈はわかるし、感情的にも理解するが、そんなのは通らないのが王侯貴族の結婚というものだ。
「その理屈だと、私。招待から外さないといけない人が、あと何人かいるのですが」
「なん、だと」
エミリアがやり返すと、ジークが思った以上に驚きを見せた。
「いや、君の魅力ならば、さもあらん……だが、いや。いったい誰が?」
たじろぐ彼に、エミリアは小首を傾げる。それから、該当しそうな者たちを告げた。
「帝国の皇帝と、第三皇子も念のためということに。別に、関係があるわけでは、ないですが」
「これは――――くく、いや、すまん。ふふ……笑いが、とまらん」
何がおかしかったのか、ジークが腹を抱え、肩を震わせている。エミリアは眉根を寄せ、視線を逸らした。ちょうどイリスと目が合って、お互いに肩を竦め合う。
そうこうしていると、大きなため息が聞こえ。
ジークが顔を上げ、真っ直ぐに立った。
エミリアを真っ直ぐに、見ていた。
「私は正しかった。君こそが光だ。世界の頂点たる輝きだ」
とても、とても。
晴れやかな顔で。
遠く幼い日を思い出すような。
純粋で、輝かしい笑みを浮かべて。
「ジーク様、私は――――」
「認めたまえ。ただ一番である君に」
胸の痛みと共に、彼の名をつい口にする。しかしジークは。
「私は並び立てず、イリスはその隣を我が物とした。それだけだ」
イリスを見て、笑みを浮かべた。一方の彼女は、にやりと口元を歪めている。
「おや、負け惜しみですか? 王子」
「認めねばならんだろう。エミリアを……祝ってやりたければ。私の小さなプライドなど、なんだというのか。だが」
そして、ジークも。
「君が不甲斐ないようであれば、私はエミリアを浚いに来るぞ。イリス」
貴公子というには少々――――獰猛な顔を、見せた。
ドキリと心臓が跳ね上がり、エミリアは胸元を押さえる。
そこに輝く、〝竜鳥の涙〟を。
「上等です。いずれ――――決着をつけてやる」
「望むところだ」
そう言い残すとジークは背を向け、置いてきた馬に向かっていった。エミリアは長く息を吐いて、なんとか頬に昇ろうとする熱を抑える。彼の背を見送る、イリスに少しの笑みを向けて。
(連携しなきゃいけないんだけど、大丈夫かしらね。さて)
エミリアは少しの暑さをを感じ、顔を上げた。
「〝魔核爆弾〟。見つかるといいけど」
いつの間にか、雲が晴れ。強い日差しが舞い込んでいる。
天高くには白銀の竜が。
飛んでいた。




