08-25.あなたと結婚せねばならない理由。
パーシカム公爵邸、エミリアの居室で。
母クラリスに「イリスと結婚する理由」を問われたエミリアは。
(り、ゆう。私が、イリスと?)
間隙を突かれたかのように、無意識に瞬きをし、口を半開きにして……そこから言葉を紡ぐのに、苦労していた。頭は空回り、喉は引っ付いたように潤いを失って、目の前には霞すらかかっているように思える。
クラリスとイリスの顔が。
うまく、見えない。
「わた、しは」
言葉を絞り出しながら、逡巡する。
イリスにはどうも……単に傍にいるだけではなく、自分と結婚したい理由が、あるらしい。子どもが欲しいとさえ言われ、エミリアは求められていることを素直に喜んでいた。だから結婚したいと思う――――つまるところ、エミリアの願望はイリスのためのものであった。
自ら結婚を望む、その理由など。
どこにも、なかった。
(なにか、あるはず。私がイリスを好きな理由とか、じゃなくて。公爵の娘として、イリスを迎えなければならない……どうしてもそうしなければならない、理由が。どこかに)
じっと見つめてくる母の視線から逃れられず、エミリアは抗うように考え続ける。
公国で結婚する以上、エミリアの立場はその元首の娘。そんな立場での結婚、かつ家の女性継承が認められるとなれば……それは例えるなら、王子が妻を選ぶようなものだ。だがイリスは男爵の娘だ。王国を踏襲した貴族社会では、公爵家の子が男爵家の人間を迎えるなどということは……あり得ない。
帝国ならば、それでも通ったかもしれない。あちらはスキル優遇主義。イリスはダイヤランクスキルの持ち主であり、それで皇帝にまで上り詰めている。だがその制度を公国に取り入れる予定は、ない。王国ほど軽視はしないにしろ、スキルが身分に優位する社会に、公国がなることはないだろう。
(パーシカム公爵家とフラン男爵家は、庇護の関係にある。けれど公国樹立以降は外国の貴族同士ということになり、家同士の結びつきの強さは足枷にも、利点にもなりえる。けれど身分差を覆すほどの国際結婚では……ない。公爵令嬢の私は、相応しい身分の人と結婚するべき。貴族社会で結婚したいというならば、そう考えなければならない……でも)
好き合っているから結婚したいというだけならば、二人で貴族社会から出て、結ばれればいいだけ。エミリアは一時、それでもいいと思ってもいた。だがイリスは、そうではない。
彼女の願いを、叶えたくても。パーシカムの家に、イリスを招く理由は。
(ない――――私がイリスと結婚する理由が、どこにも)
どこを探しても、見つからない。
イリスが、がたりと椅子を蹴って、立ち上がっている。クラリスが彼女を、手を差し向けて制していた。エミリアは。
すっと頬を、涙が流れるのを。
止めることが、できない。
「私、パーシカム公爵の娘たるエミリア、には。フラン男爵令嬢イリス・クロッカスと結婚する理由が、ありません」
涙と共に。
答えが、零れだした。
「――――それでいいのよ、エミリア」
「……………………え?」
クラリスの意外な返答に、エミリアは顔が固まったように感じた。じっと見つめる目は瞬きが減り、急速に乾きを覚えていく。そんな彼女を、見返す母は。
「あなたはそもそも、貴族の娘。当主にこうと望まれれば、誰とでも結婚せねばならない。公爵の娘として、結婚したいのであれば。あなたが結婚したい理由を、持ってはならないわ」
不思議と優しく……そして、凛々しかった。そこには貴族の女としての、高き誇りが垣間見える。
「では、なぜ」
「あなたが何かを望んで、結婚しようとしているのならば。家を出なさいと言うつもりだった」
にこやかな母の返答で、エミリアはハッとし、悟った。公爵令嬢として結婚しようとしているのに、もし自分が何か理由を述べたら……それは必然、イリスへの好意で凝り固まる。色に狂った娘ならば、家からの追放はやむなしであろう。
エミリアは結婚そのものの覚悟というよりも……貴族の娘としての自覚を、試されたのだ。
であるならば。
「さぁ、聞かせて頂戴。イリス・クロッカス」
イリスが試されるのは。
「私の娘と結ばれ、パーシカムの一員になろうという……あなたの譲れない理由を」
貴族を上回る――――妃の、資質。
果たして、彼女は。
にやり、と。
不敵な笑みを、浮かべた。
「エミリア様を、この世界の頂点に導くためです」
(それ、は。もしかして)
かつて、婚約者と決別し……イリスの手をとった時。エミリアが口にした、覚悟。イリスと共に、世界の頂点にのし上がる――そんな戯言のような、決意。だが、堂々たるイリスの姿からは、予感がした。
その実現が、すぐそこにあるのだと。
「私は、スキルを自由に付与する技術を手にしています」
イリスが切り札を、切った。クラリスが目を見開いており、さしもの母も驚きを隠せないようだ。
「世界を変革する力が、ここにある。ですが、それを発揮できる場は、まだこの世界にはありません」
「スキルを……驚くべき話だけれど、ならば帝国で良いのではなくて?」
母の試しが、始まった。なぜ公国で、しかもエミリアと結婚せねばならないのか。クラリスがその、本質を問うている。
「ダメでした。スキルを重視するあの社会では、あまりにも優遇され過ぎる。かつて精霊工学が本当に廃れた理由は、ものをスキルに宿せる者たちが……社会の頂点に君臨し、何もかもほしいままにしたからです。ゆえ、彼の後に続くものが、何も作られなかった」
「スキルを重視する社会では困難であると。では王国ならばどうです?」
イリスの答えは、用意されていたかのように堂々たるもので。
「王国は軽視しすぎであって、国を挙げてこの力を保護することができません。優遇しようとすれば、社会の軋轢がかかるのです。わたしは早晩潰されるか、誰かの嫁として押し込められ、軟禁されるでしょう」
「公国である理由は?」
最後の問いにも。
「整えました」
迷うことなく、正解を告げた。
「学問と技術を尊重し、予算と権威を与えて保護し、生み出す利益をあまねく社会に還元させる。そのための法を、隅から隅まで……徹底的に」
「あなたを最大限生かす社会の土台を、用意したと……そういうこと?」
「はい。ご説明はいたします。精査の上、ご納得いただけるまで、何度でも」
いつの間に……そんな言葉を、エミリアは無理やり飲み込んだ。湧き出そうとする、喜びと共に。
「…………それはあなたがエミリアと結婚する理由では、ないように聞こえるわね?」
「当然ですが、わたしを中心とした社会など作ろうものなら、軋轢が生まれます。その背景となる権威が、男爵の娘であるわたしにはまったくない。だからこそ」
じっと自分を見つめる彼女に。自分だけを見て来てくれた彼女に。幸福を訴える、笑みを見せて。
「エミリア様が、必要なのです」
「サイクルではダメな理由は、なにかしら」
母の鋭い問いにも、心揺らぐことなく。ただイリスを信じて、エミリアは待つ。
「能力の問題です。サイクル様は、スキルが組み込まれた社会をご存知でない。スキルが尊重されない社会と、スキルを組み込んだ社会の、両方を知っていることが」
彼女が自分を、手にしてくれる瞬間を。
「公国の初代頂点にして君主。すなわち、大公となる者に求められる、資質なのです」
自分と共に。
「わたしを活かす、新たな時代に君臨するのは――――エミリア様しか、いないのです」
頂へと駆けあがる、今を。
イリスの声が、部屋に響き渡って、消える。
ほぅっと小さな……ため息だけが返って。
「あなたが公国躍進の中軸となる……そのためには、エミリアとの結婚。いえむしろ、エミリアの差配こそが必要である、と」
クラリスのそれは、問いではなく……確認だった。エミリアは認めてくれているのだ、とそう感じた。母が、自分のことを。
その一見荒唐無稽な話の真ん中にいる、娘のことを。
「はい。わたし、イリス・クロッカスが、エミリア様の望む通り――――全力、全霊を振るうのであれば。この公国で、大公たるエミリア様と結ばれ、共に歩むほかありません」
イリスはそう宣言し、そして弱く首を振っている。
「お分かりだとは、思いますが……別に公国を乗っ取ろうという意図は、ありません」
これまでエミリアが述べてきた想いを、あるいは二人の思い出を。振り返るように。
「わたしはただ、エミリア様の望む通り、あるがまま振舞いたいだけ。眩い世界の主人公とまで、わたしのことを称してくださった……エミリア様に報いたい。それだけです」
「本当に……エミリアを、愛しているのね」
イリスの想いは。言葉は。
エミリアの母に、自分こそが伴侶に相応しいのだと。
そう確かに……認めさせていた。
彼女の青い瞳が、僅かにこちらを向いて。
エミリアはそれに、笑みをもって応えて。
「はい。僭越ながら――――クラリス様よりも、メンター様よりも……ずっと」
和やかな、空気が流れ。
「それはさすがに認められんぞ! イリス・クロッカス!」
突如開かれた扉と共に、上げられた叫びと。
乱入してきた、父と兄によって。
雰囲気のすべてが、容赦なく。
ぶち壊された。
(ちょっとお父さま、お兄さまぁ!?)
エミリアは事態と情緒が急転し、眩暈と頭痛のあまりくらくらとしていた。




