08-22.ジーナ帝国の皇族たち。
午後、公爵領都の市壁屋上。門からも遠く、ひとけも少ないそこで。
「もったいな! なんてことするのよ!」
エミリアは咽るディアンを、ついカッとなってなじる。酒を無駄にするやつに対して、どうにもむかむかと怒りが湧いた。なお悪いのは飲んでいるときに「誰が好きなのか」などと聞いたエミリアなのだが、そこは頭から飛んでいる。
「がっ、この……お前が変なこと、言うからだろう」
「何よ、そう言う話だったんじゃないの?」
エミリアが切り返すと、ディアンは口元を雑に袖口で拭って黙り込んだ。
ディアンは帝都にいた頃、スキルの使い過ぎで発狂したアイーナを捕えている。その後、アイーナは〝魔核〟に飲まれて姿を消したが、時の皇帝トーガスタは彼女を〝処刑した〟と発表した。ディアンは自分のせいで姉が殺されたと思い込み、ずいぶん気に病んでいたようだった。
その心情の核は。
かつて彼自身がほのめかしていた――実の姉に対する、好意。
「お前だ、と言ったら?」
「冗談でそんなこと言うと、イリスが首を斬りに飛んでくるわよ? 私止めないけど、いい?」
「ぞっとしないな」
しかし今のディアンの口は、軽い。さすがにアイーナ処刑の経緯――ディアンは関係なかった――はガレットに頼んでもう説明済みだが、それゆえだろうか。彼はどこか吹っ切れたような、そんな顔をしていた。
「アイーナだ、と思っていたんだ。少なくとも、社交界に現れるどんな令嬢たちより、華やかで。憧れた」
「華やかって。確かに綺麗だけど……花ってより、爆弾か何かじゃないの、あの女」
「あー…………合ってはいるな」
エミリアが半眼で告げると、ディアンは朗らかに笑った。
「エミリアは、アイーナによく似ていると、そう思った。だから俺は……いや。俺は、何が言いたいんだろうな」
彼の声は悩むようであるが、その顔は明るくて。〝もういいんだ〟と、そう言っているかのようだった。
(これはぁ……シアンサ、実はしっかり仕事してたかしら?)
下世話なことを考え、しかしそれを顔の下に仕舞う。エミリアは澄ました表情で、挑発するようにディアンへ問いかけた。
「だから、そういう話なんじゃないの? 私にしろアイーナにしろ、別に好きじゃなかったって。そう気づいたんでしょ?」
「かも、しれないな」
「だったら」
またグラスの中身を飲み干してから、エミリアは再び問う。彼の気持ちを。思いを。
「あなたのお姉ちゃんには、なんて言ってあげるべきなの? 大変な目に遭わせちゃってごめんなさいって?」
「いや……結局あれは、アイーナの自業自得だったって、聞いたしな。だから」
姉の処刑。皇帝。異国の地への追放。そして守るべき仲間たち。数々の重責が、その肩から降りた青年は。
「おかえりなさい、だな」
どこか子どものような、澄んだ笑みを見せた。
エミリアは彼の向こうに、二つの人影を見て。
「だって、アイーナ」
そう、投げかけた。
「……………………は?」
振り返ったディアンの横顔が、慌てふためいて見える。そこにいるのは、エミリアが先ほど精霊具〝おせっかいな爆弾魔〟で呼び出した、二人の皇女だ。エミリアはせっかくだからと。
「いらっしゃい、アイーナ。マナ。良いお酒があるから、一緒に飲まない?」
困惑した様子の姉妹に向かって。
追加のグラスを差し出した。
☆ ☆ ☆
市壁の上で、エミリアたちはささやかな酒盛りを行っていた。ディアンは慣れているとは言っていたが、強くはなさそう。アイーナはすぐ顔が赤くなり、マナは平然としている。
そしてエミリア以外は、多少の酔いが回っているようだった。
「お姉さまを好いていらっしゃったなんて……正直どうかと思います。ディアンお兄さま」
「俺、マナにだけは言われる筋合いないと思うんだが?」
「男女間ならともかく、同性間なら問題など、どこにもないでしょう?」
(どう聞いても問題しかないけど、突っ込みづらい……)
マナの迫力に黙らされているディアンを眺めつつ、エミリアは少し息を吐き出す。
(こっちはなんか、ショック受けてるっぽいし……)
渦中のアイーナは、エミリアの隣で小さくなり、ちびりちびりとワインを飲んでいた。
「違うんです。推しだから構ってたんです。ごめんなさい許して……」
そして何やらぶつぶつと呟いている。どうやら、構いすぎてディアンに好意を持たれた、と自省しているようだ。
エミリアは呆れてため息を漏らした。
「ちょっとは物を考えなさいよアイーナ」
「だって……! 推しが弟なんて、私はどうすればよかったの!?」
(私も推しの娘に転生したから、いろいろと危なかったし、人のことは言えないけどさ……それを表に出すからあかんのよね、この女は)
半泣きでワインを飲む皇女の背を撫で、つい半笑いになってしまう。
「転生者だからこそ、この世界を壊してはいけないの」
エミリアはアイーナにだけ聞こえるように、小さく呟いた。膝を抱えているアイーナが、顔を上げる。
「私たちがしてよかったのは、自分が生き延びることだけ」
ゲームにおける悪役令嬢エミリアは、婚約破棄されて国外追放。その後のシリーズでは名前が出て来ていない。皇女アイーナは物語が始まる前に、事故で亡くなっている。そんなキャラクターに転生した二人は、自らの意思と力で、己の生きる道を切り開いた。
だがエミリアは、推しだからといって父親に好意を振りまいたりはしなかったし、敵役だからとイリスに辛辣に当たったりはしなかった。ジーク王子とは道が分かたれてしまったが、彼の命を奪ったり、その道が絶たれるように動いたりもしなかった。
「幸せになったりしちゃ、ダメってこと?」
「違うわ。もっと単純なこと。自分のために人を押しのけたら、それは必ず自分に返ってくるのよ」
「うぅ……そうだけど」
アイーナは身につまされているようで、それでもうじうじとした声を絞り出している。エミリアは少し笑い。
「私たちを幸せにしてくれる人がいたら、背いてはいけないでしょうね。でも」
穏やかに、目を細めた。遠く、イリスを想って。あるいは、大好きだったゲームを思い返して。
「私にとってこの人生は、贖罪よ。悪役令嬢が不幸にするのは、自分自身だけじゃないのだから」
「それは〝あなた〟じゃなくて、悪役令嬢エミリアが悪いんじゃないの?」
「エミリアとして生きるなら、それが私の原罪。逃げてはいけない」
何も知らない新しい誰かに生まれたのなら、それは好きに生きるべきだろう。しかし知った誰かの人生に間借りしてしまったのなら……そこにはリスペクトがなくてはならない。それがエミリアの生きてきた、転生人生だった。
(といっても。私も〝エミリア〟のやりたいことは、きっと果たせなかった。ジーク殿下と、結ばれなかったのだから……ただの言い訳ね)
弱く首を振ってから、エミリアは再びアイーナに目を向ける。彼女の黒い瞳と、視線が合った。
「あなたもね、アイーナ。生きてて喜んでくれる人たちから、逃げちゃだめよ。ゲームのアイーナの死を悼んでくれた人たちに、今のままじゃ顔向けできないでしょう?」
「う”……」
アイーナは嫌そうな顔をしていたが、すぐに立ち上がった。エミリアに空のグラスを返し、彼女はつかつかとディアン達に近寄っていく。
何事かと、ディアンとマナが口論を止めて、顔を上げていた。
「ディアン」
「アイーナ」
二人、どちらともなく笑みを浮かべる。
「…………ごめんね」
「いいんだ」
二人の言葉には、きっとたくさんのものが詰まっていて。
「マナ」
「なぁに? お姉さま」
「――――――――好き」
アイーナがマナに向けたものには、それ以上に溢れんばかりの想いが、詰め込まれていた。たった一言なのに、世界を染めるくらいに眩くて……エミリアは。否、マナやディアンも。
声を失う。
「ご馳走様。私、先戻るから」
沈黙の中、照れるでもなく、アイーナはするりとはしごを降り始めた。
「は? え? ちょちょ、え? 待ってくださいましお姉さま!?」
しばらくしてからマナが立ち上がり、エミリアにグラスを押し付け、慌てて後を追う。止める間もなく彼女は、市壁から飛び立ち、街中へ消えていった。エミリアは呆然と押し付けられた残りを飲み干し、空の器を仕舞う。
「く……くっくっくっく……」
愉快そうな軽い笑い声が聞こえ、エミリアは目を向けた。俯いたディアンが、肩を震わせている。
「嬉しそうじゃない、ディアン。振られたってのに」
「まぁな。これであのアイーナも、おちついてくれればいい」
揺るぎないものを声に感じ、エミリアも立ち上がった。自分のグラスを仕舞い、ボトルをディアンの傍に置く。
「そ。じゃあ、残り。置いてくわ」
エミリアは梯子に手を掛け、振り返る。すがすがしい顔の第三皇子を見て、笑みを浮かべ。
「シアンサ、呼んだ方がいい?」
「ブフォ」
気を利かせたら、なぜか噴かれた。
「また! なんてもったいない!」
「おま……彼女とは、まだ、そんな」
「語るに落ちる! すぐ呼んできてやるから!」
憤慨し、エミリアは梯子を降り始める。
そこへ。
「エミリア」
穏やかな声が、風に乗って。
届いた。
「世話になったな」
皇帝だった彼と、帝都で数奇なめぐり逢いをし……それからまだ、一年も経っていない。しかしその間の日々は、とても濃いもので。
すっきりした顔の、友達の礼の言葉を。
エミリアは素直に、受け取れた。
「恩返しよ、元皇帝陛下」
軽口を言って、梯子を下る。
波乱に巻き込まれた、ジーナ帝国の皇族たちは。
きっともう、大丈夫だ。
肩の荷が降りたのを感じながら、エミリアは街へ繰り出した。




