01-01.眩い世界の主人公。
10万字目安程度で、短編の続きを長編化します。ひとまず帝国に辿り着く(そこまでに感情的やりとりが終わるので)目標です。
やや文量安定しない連載になると思いますが、よろしければお読みくださいませ。短編の続きは、6話からになります。
住む世界が違う――――公爵令嬢に転生しておきながら、エミリアは彼女を見て、そう打ちのめされた。
乙女ゲーム本来の主人公、フラン男爵令嬢イリス。貴族学園入学初日、正門から歩いてくる彼女を見かけた瞬間。
「あ…………ぁ…………」
まず、声が出なくなった。否定したい言葉が、小さな悪意が、生まれようとする嫉みが……その圧倒的なオーラに、焼き尽くされていく。
(ふ、ふふ……これが世界の〝主役〟なのね。神々しくて、目がつぶれそう)
エミリアは、心の奥底で膝をついていた。
(ゲームの悪役令嬢、すごいわ。同じエミリアなのに、私には無理。アレに嫉妬して、殿下を取り合うなんて――――あるいは)
桃色の差した彼女の瞳が、こちらを向いて。
目が、合った。
(狂ってしまったのかも、しれない。私はもうなんか、笑いしか出ないけど。こんなの、勝てっこないわ。もし彼女がジーク王子にアプローチしたら、私は…………)
エミリアは胸の奥に、小さな痛みを覚える。同時に、肩や頬の力が抜けていくのを感じた。顔を綻ばせ、なぜか近づいてくるイリスを待つ。彼女がゆっくりと淑女の礼を深くとっていくのを、動く芸術品を眺めるように見つめた。
「頭を上げなさい。私は、パーシカム公爵の娘、エミリアよ。あなたは?」
「お許しをありがとうご存じます。イリス、父はフラン男爵です」
挨拶のやりとりは、自然と滑り出した。公爵家、そして王宮の教育に感謝しつつ、エミリアは深く頷く。
「結構。ここでは同じ学生同士、共に切磋琢磨を――――」
「イリス、というのかい」
どこからともなく現れて、二人に割り込んだのは……線の細い、エミリアの〝王子様〟。彼の声を聴き、いつもならば胸が弾むのに、どうしてかエミリアは不安でいっぱいになった。首の後ろに緊張を覚え、声もなく彼の姿を認め、眺める中で。
「私はジーク。よろしく、イリス」
婚約者の紹介も待たず……王子は男爵令嬢の手をとり、その甲に優しく口を付けた。
いつの間にかできていた群衆に、ざわめきが広がる。
(どうして……)
エミリアの胸の奥には。
もやり、とした何かが。
浮かび上がっていた。
☆ ☆ ☆
入学して、ある日の夜半。
(…………ゲームのエミリアは、ジーク様と婚約できなかった。妃教育で脱落したから)
エミリアは寮の廊下を、静かに歩いていた。小さなため息を、零しながら。
(でも私は生き残った。何の才も授からなかったけど、最後まで地道に努力して)
この世界の住人は10歳になれば、精霊の祝福を受ける。だがエミリアは〝無才〟だと判定され、蔑まれた。それでも、ジーク第二王子の妃を目指して……王宮の妃教育にしがみついた。他の令嬢たちが才に溺れて自滅していく中、最後まで残ったのは――――エミリア、ただ一人。
(もう安泰だと、そう思っていたのに……ジーク様)
エミリアは胸元の、桃色の差した石が埋まった、ブローチを握り締める。それは王子が初めてくれた、贈り物。国宝に準ずるという貴石を用いた、代物だった。
努力が実を結んだのか、ゲームとは異なり、エミリアはずいぶんジークに目をかけられた。
(あの方は無才の私を励まし、時折気遣って遊びにも連れ出してくれた。いきなり部屋に忍び込んできたあの日は、本当にびっくりしたけれど)
『君に会いたくて勉強を抜け出してきたんだ』と笑うあどけない彼が、とても愛おしくて。つい、いつも彼に手を引かれるまま、遊びに出た。遅れた分を、寝る間も惜しんで取り返さなければならなかったが……苦にもならなかった。
ずっと一緒に、いたかった。
(あとで怒られるのは、いつも私だったけれど……楽しかった。前世でも、あんな瞬間はなかった。誰も私を、顧みてくれなかったから。そう、殿下だけが、私を見てくれる。そう、思っていた)
王子に励まされながら、教育を受けて、数年。競い合った侯爵令嬢が、エミリアに道を譲って実家に帰った時、彼女は勝利を確信した。ほどなくエミリアは、ジークの婚約者に選ばれた。王子からブローチをもらったことと、彼と親しいこと。公爵家の娘であることが決め手となった。〝無才〟の者が王家に嫁入りするなど、前代未聞のことである。
エミリアは歓喜した。これできっと、乙女ゲームの断罪も回避できるに違いないと、確信したからだ。もうヒロインのイリスに嫉妬していじめ、王子にアプローチを続ける必要はない。ジークとの未来は、約束されている。
はず、だった。
(そう、大丈夫。イリスがいようとも、きっと大丈夫だから)
イリスは「努力すれば無限に成長する」という才〝才能〟の祝福を授かっている。頭角をめきめき現しつつある彼女に、多くの者が……もちろん王子も注目していて。エミリアは己の脳裏よぎる不安を、頻繁に打ち消していた。
寮の二階まで降りたエミリアは、ある部屋の扉をノックする。「鍵は開いています」と応諾の声が聞こえ、彼女はノブを捻って、扉を押し込む。
「あなたに貸した、工学書の記述が確認したくて――――」
顔を上げ、エミリアは目を見開いた。
「やぁ、エミリア」
かけられた声が遅れて耳から脳に入り、エミリアは数度瞬きしてから、素早く室内に身を滑らせる。扉を閉めて内鍵をかけてから、窓際の机に行儀悪く腰掛けているジーク王子に、詰め寄った。椅子に座ってあわあわしているイリスの肩に手を置きながら、わななく唇から出る声を……必死になって落として。
「殿下……! ここは女子寮です! すぐお帰りになってください! そろそろ見回りの時間です!」
エミリアは自分の言葉が出ると共に、血の気が引いていくのを感じていた。一方の王子はいつものように穏やかに――あるいはへらへらと、笑っている。
「イリスの将来に……殿下、御身にも関わります。お早く……!」
「なんだよ、エミリア。王宮の時と一緒だろうに……君に会いに来たんだけどなぁ」
だるそうなジークの言い様に……エミリアの胸の奥で、いつか感じたもやもやが湧き出ていた。ブローチを無意識に手で握り締め、エミリアは胸の不快感を無視し、息を吐き出す。
「女子寮に殿方が侵入などと、下手をすれば人死にが出るのです! そちらから、どうか!」
「わかったよ。じゃあね、イリス。おやすみ」
言うが早いか、ジークは身をひるがえした。窓枠に取りついて跳び、近くの木の枝を使い、上手に地上に降りている。それは、王宮で忍び込んできた彼を見送るときと、同じような光景で――――いつもなら名残惜しく、ずっと見ていたものだ。しかしエミリアは即座に窓を閉め、鍵をかけ、カーテンを引いた。
「ご、めんなさい……エミリア様。婚約者がいらっしゃるのにと、お断りしたのですが」
「謝ることはありません、殿下が悪いのです。彼を罰することはできませんから、場合によっては寮監の先生が責任をとらされ、処刑されてしまいます……今後、絶対窓を開けないように。部屋の鍵も、念のため常にしておきなさい」
「っ! わかりました。そう致します」
体を強張らせるイリスの肩を、エミリアは優しく撫でる。彼女も緊張が解けたのか、頬を綻ばせていた。
エミリアの、胸の奥のもやもやが。
(…………あれ?)
体の内側に、こびりつくようだったそれが。すっと、消えた。ベージュのカーテンを振り返り、エミリアは首を傾げる。
「エミリア様?」
「ああ、なんでもないのです。それで――――」
当初の用を改めて告げながら、エミリアは。
(あの〝もやもや〟はもしかして、嫉妬? けど……)
胸の内に、呟きを零した。
朗らかにほほ笑む、イリスを見ながら。