ep1.邂逅
『ねえねえ、ドッペルゲンガーって知ってる?なんか~昨日B組のマルノってやつが見たって騒いでたらしいよ』
『マジー?ぜってーウソじゃん!ってかマルノって誰だし』
『えーしらない。』
『ギャハハハハ』
教室中に響き渡るほどの声量で無遠慮に喋っているのは同じクラスの澤田さんとその取り巻きだ。
所謂“ギャル ”というやつで校則ギリギリの染髪や化粧などをしており、スカートも短く巻き誰のものかわからない机の上に座って取り巻きと歓談をしている。
女三人寄れば姦しいとはまさにこのことだろう。
かく言う私も女ではあるのだけど、こんな風に騒いだりする事は年に1回あるかないかくらい。
親友の沙奈と一緒にいる時でもここまでの大声は出さない。
もし、大声コンテストなるものが学校で開催されればきっと澤田さんは優勝候補間違いなしだと思う。
そんなありもしない未来の大声コンテスト優勝候補を横目に私は一昨日のことを思い返していた。
「ドッペルゲンガー…かぁ」
***
月曜日、17歳の私は普通であれば高校に通っているはずなのだけど、私は今地元の水都市を歩いている。
サボり?不登校?それとも祝日?
いいえ、違います。なぜ普通の高校生であるはずの私がド平日に街を歩いているのかというと
「ゴホッゴホッ…うぅ…」
そう。風邪です。
風邪と言っても大したことはなく、咳が多少出るくらいなのだけど、過保護な母が病院に行ってきなさい!としつこく言うものだから仕方なく学校を休み病院に行くところ。
まあ昨日と一昨日の土日はもう少し咳が酷くて市販の風邪薬もあまり効かなかったので病院に行くこと自体は嫌という程ではないけど、わざわざ学校を休んでまで行かなくても…とは思う。
「今日は帰りに沙奈とシオンモールに寄り道しようと思ってたのになぁ。」
そんなぼやきを漏らしながら、目的の病院に到着した。
患者はそこまで多くなくすぐに診察を済ませて帰ることができそうで安心した。
受付で手続きを済ませてベンチに腰を掛けて名前を呼ばれるまでしばらく待つ。
・・・
スマホで暇を潰しながらしばらく待っていると、少し催してきた。
「まだ名前呼ばれなさそうだしトイレに行こうかな」
トイレに行こうと席を立とうとしたその時だった。
グラッ
地面が大きく揺れた。
地震?と、思った時には私の体は地面に這いつくばっていた。
キーンと耳鳴りがする。頭が痛いということをまともに言語化する事ができないくらい視界、というより世界が揺れていた。揺れたというより歪んだという表現の方がしっくりくるくらいだった。
「大丈夫ですか!?」
看護師さんが声をかけてくれている事に気づくのにどれくらいかかっただろう。
1分?2分?それとももっと?
徐々に視界が安定してくる。
「すみません…地震で転んじゃったみたいです」
「地震?」
訝しげな表情をする看護師さん。本気で心配しているようだ。
当たり前だ。ここは病院で相手は看護師だ。私がもし本気で具合が悪いのであれば大型病院に搬送されるかもしれない。
「い、いえ大丈夫です。ありがとうございます。」
精一杯の笑顔を取り繕い、看護師さんをいなす。
「あれ…?」
それよりおかしい。何か変だ。
あれほど大きな地震が起きたというのに院内は依然、静謐としている。
わずかな音量で流れるテレビをぼーっと眺めながら自分の番を待っているおじいさん。
スマホの画面に釘付けの大学生風の女性。
母親に「まだー?」と催促をする子ども。
何もおかしいことはないはず。
いや、その逆。
何もおかしくないこの風景がおかしい。
数人くらい当然倒れた私の事を気にしてチラチラ見ている人はいるけれど、そういうことじゃない。
あんな大きな地震があったのに、どうしてこの人たちはこんなにも平然としているの?
さすがにもう少し慌てるとかザワつくとかするでしょ普通。
そこでようやく気がつく。先程私を心配してくれた看護士さんのことを。
そうか、揺れたのは地面ではなく私の方だったのか。
私がひとりでに急に倒れたから看護師さんが介抱しようとしてくれていたんだ。
でもどうして?確かに風邪は引いているけど、急に地面に倒れ込むような重たい病気ではない。
それとも私が無自覚なだけで何か恐ろしい病気にでもかかっているとか?
なんだか少しだけ怖くなってきた。病院の先生にこのことも相談しておこうかな。
先程まで催していたことなんて忘れてさっさと診察を終えて家に帰りたい気持ちでいっぱいだった。
「あと何人待ちかな」
受付で待ち人数がどれくらいか確認しに行くことにした。
「すみません、舞鶴ですけどあとどれくらい待ちますか?」
受付で看護師さんがこちらに気づき応答してくれる。
「はい、マイヅルさん?ええと、マイヅルさんは…ん?」
看護師さんが私の顔を見てなんだか不思議そうな表情を浮かべた。
なんだろう。早く教えてくれればいいのに。
結構待ったから恐らくあと1人か2人待ちくらいだと思うのだけど。
妙なものを見るような顔で看護師さんはこう答えた。
「マイヅルさんでしたら先程診察をお済みになりましたよね?」
「え?」
今の私はまさに鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしていたと思う。
そんな訳はない。私はずっと待っていたんだから。
もし、さっきの変な揺れの時に名前を呼ばれていて何人か飛ばされていたとしても、既に診察を終えているなんてことはありえない。
もしかしたら同じ苗字の人が偶然いて勘違いしてるのかも。
「いや、まだです。ずっとあそこのベンチで待ってました。舞鶴です。舞鶴汐凪」
「ええ、マイヅルさんですよね。先程こちらでお支払いをお済みになられてあちらからお帰りになりましたよね」
と、出入口の方を指さした。
そこはガラス張りの自動ドア。確かに私はこの自動ドアから病院に入ってきた。
なんだかめんどくさくなってきて初めから受付をやり直してもらおうと振り返ろうとした時、視界の済みに妙なものが映った。
出入口のドアのそばに設置してある自動販売機の前で飲み物を買おうとしている1人の女の子。私と同じく高校生くらいだろうか。
その横顔に見覚えがあった。
いや、正確には見覚えがあったらおかしい顔だった。
当たり前のように知っていて、毎日見る顔。
だけど、客観的に第三者として見ることは絶対にありえない顔。
「う、そ」
一瞬見間違えかと思ったけど、そんなことはなかった。
そう、なぜならその女の子は私とまったく同じ顔をしていたから。
髪型や背格好は微妙に違うけれど、間違いなく私だ。
そっくりの姉妹だとかいとこだとか、母の若い頃たとかそんなレベルじゃない。
少し遠目から見てもはっきりわかった。
まるで幽霊でも見るかのような目で見つめていると、その私と同じ顔をしたその女の子が自販機から飲み物をを取り出し病院の外に出て帰ろうとしていた。
「待って!」
咄嗟にその女の子を追いかけていた。
急いでガラスの自動ドアを開けその女の子が歩いて行く方へ向かったその時、またあれが来た。
グラッ
「いっつ…!」
バランスを崩し病院の出入口の外で転び、膝を打った。
大地震の直撃のような揺れと頭まで揺さぶられるような吐き気と、ついでにコンクリートに膝をぶつけた鈍痛が同時に襲ってくる。
ああ、今日はなんて日なんだろう。
歪む視界の中心の中で嘆く。
・・・
通行人が怪訝そうな顔で蹲っている私を見るのがわかる。
「うう…もうなんなの」
まだ気分が悪い。
今のは今度こそ地震?それともまた私が揺れただけ?
辺りを見渡す。大地震にあためふためいている人はおろか、目的の女の子の姿もなかった。
「見失っちゃった…」
とりあえず病院に戻り様子を見てみると、2度の地震(のような揺れ)に翻弄されていたのは私だけだった。
「とりあえず受付をもう一度しないと…」
訳の分からない事態に疲れ果てている中、とにかく当初の目的である風邪の診療のため、受付をもう一度しようとすると、
「舞鶴さーん。舞鶴汐凪さーん。2番診察室までどうぞー」
私の名前を呼ぶ看護師さんの声が奥から聞こえてきた。
「え?」
またしても困惑。さっき診察はお済みとかなんとか言ってたじゃん。なんなの。
困惑を超えて軽く怒りまで湧いてくるようだった。
もし神様というものが存在しているならきっと今頃天から私を見てほくそ笑んでるに違いない。
「はぁ…もういいよ…」
すべてがどうでもよくなって診察室に向かう途中、私にそっくりな女の子が飲み物を買っていた自販機を一瞥する。
商品のラインナップがさっきと微妙に違うようなそんな気がした。
うん。気がしただけ。今日の私はなんか変なんだ。
だって風邪を引いているんだから。
些細な疑問さえすべて病気のせいにすることで無理やり自分を納得させ、診察室に重い足を運んだ。