表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/13

自分に芯を持つかどうかは自分で決めよう

前回が真面目回すぎたので超浅すぎ回を挟みます

 受験シーズンもいよいよ佳境を迎えてきました。


 全国の受験生はいづれ来る試験日に備えて、追い込みオブ追い込み、来る日も来る日も勉強で明け暮れていることでしょう。


 私はそんな受験生を温かな目で見守りながら、今もこうしてエッセイなり純文学なりファンタジーなりを執筆しています。


 なにせ昔、私が受験生だった頃でさえ、「みんな頑張ってるなあ……」、とか他人事のように考えていたんですから。


 今になったところで、やはり「頑張ってるなあ……」、としか思うところもないんです。


 話の本題ではありませんが、学生の皆様の合格を心より願っています。


 ――いやまあ、さすがに追い込み時期で私のエッセイ見てる学生いないと思いますけど。


 いたら普通に勉強してください。


 早期に合格してる人はここからが本題なので、最期までお願いします……!


 ――――――――――――


 と、いうことで。


 皆さん、センター試験(現在は共通テスト)で現代文に大問が1つ追加されたらしいですね。


 それを友人から聞いて、『だからなんだ……?』と思ったことは一旦置いといて、幸いなことに、エッセイとして良さそうな内容を思いつきました。


 ずばり――自分の意思について、です。


 真面目な感じがしますよね。


 でも、真面目な題材を真剣に扱うと、それはそれは長くなって面倒くさい。


 これまでの私のエッセイを見てもらえれば分かりますが、結構いい感じの題材を扱っている作品も、だいぶ浅めの作品も、等しく同じくらいの文量(大体2000~3000)で済ませてあります。


 長くなると集中が切れますからね(読者目線)


 ――長くなると、集中が切れますからね(作者目線)


 さてと。以上の事から、今回もそれぐらいの文量で語っていきます。


 まずは皆さんに問いましょう。


「あなたの意思は、本当にあなた“だけ”で構成されていますか?」


「あなたにとって、本当に信用できるのは『あなた』と『他人(友人や家族を含みます)』のどちらですか?」


「そして、もし仮に『あなた』や『他人』の選択(考え)で、取り返しのつかないミスが生まれてしまったとき、あなたは、どちらの自分を“許す”ことができますか?」


 考えてみてください。普段あまり考えないことは、こういう時にバーッと考えてしまうのが一番ですから。


 考えてくださいね?脳トレみたいなものですし……。


 チクタクチクタク。


 ……ここまで来たという事は、しっかり考えてくれた読者様なのでしょう。ありがとうございます。


 ……か、考えましたよね?


 ではでは、ここから1つずつ順を追って整理していきましょう。


 まずは1つ目。自分の意思が本当に自分“だけ”で構成されているのか?という質問。


 私もすこし考えてみましたが……この質問、最初の最初にするような質問じゃないですよね。後から見て気付きました。


 ある種哲学の領域というか、それ(哲学の領域)に片足のみならず両足と胴体まで突っ込んでるレベルの難問です。捨て問です。


 要するに、今の自分の性格や思考が“誰からも”影響を受けていないと言えるのか?


 もしくは、その状態すらも『自分自身』であり、幼少期から受けた全ての影響を含め『自分』という単一の存在であると、そう言い切れるのか?です。


 ――早速答えが割れそうで震えています。


 なんですかねこの問題。考えた出題者はきっと嫌がらせ目的で設問したんでしょうね?


 はあ。遅れて申し訳ないんですが、今回のエッセイでは、それぞれの質問に対し私個人の答えを以て解答とさせていただきます。皆さんも意見があれば、ぜひ感想として私に送り付けてください。


 この質問に対する私の解答はこうです。


『幼少期に周りから受けた影響は多少なりともある。されど、今に生きている自分は確かに『自分自身』であり、幼少期の影響は『自分自身』を作るための材料でしかなかった。質問だけの答えであればYESだが、今の『自分』は『自分』にしか影響されていない――誰の意見であっても、それを跳ね返すだけの硬さがあるので、NO、とも言える』


 ……やめてください。『結局曖昧なことしか言ってないじゃん』とか言うの、やめてください。


 哲学的な質問が全部悪いんです。哲学に答えはないので、最初からYESorNOで言い切るのは不可能だったんです。(必要だと感じたらいつか、もう少しまともに考えてみようと思います)


 はい、もう次いきましょう。


 決して逃げたわけではありませんから!


 ――2つ目。


 自分にとって、より信用できるのは『自分』か『他人』か。この他人には家族や友人が含まれていることに注意が必要です。


 私が思うに、これは個々人の性格とか置かれている状況で答えが変わっていく質問ですが……皆さん、概ね一致するのではないでしょうか?


 少なくとも、私にとっては簡単なことです。


 答えは『自分』。どんな時でも自分を一番理解しているのは自分なのですから、他人の方が信用できるなんてことはありません。


 多重人格とか、そういう方であったら『他人』になるのかもしれませんね。


 ――最後。


 3つ目の質問です。


 あの質問は要するに、『ある1つの事(受験など)』に向かって走っていく場合、『親からこの塾に行けと言われて塾に行き、最終的に受験を失敗する』自分と『自分なりのやり方(塾を自分で決めたりなど)をして失敗する』自分、どちらに“納得”ができるか?というもの。


 他人に任せたんだからしょうがない。

 自分で決めたことだからしょうがない。


 いったいどちらの“しょうがない”の方が納得できるのでしょう?


 や~~……難しいですね!!難しいのであまり考えたくありません!!


 これはきっと後の気持ちの切り替え――つまり『次も頑張ろう』みたいな意識になれるのか?も問われているので、同じように見えて些細なところが違います。


 いま私も考えてみたんですけど、なんというか――どちらも答えに思えてきて仕方がない!


 考えれば考えるほど思考の渦に吞まれていくようで、正直そっち側には行きたくないです。


 どうしようかなあ、どうしようかなあ……あ、そうだ(閃き)


 この質問の答えはあえて書かないことにしよう、そうしよう。


 いま見てみたらこのエッセイ、既に2500文字超えそうになってるし?

 長くしたら誰も読まないと思うので?

 あとあと、エッセイはなるべく数時間で書き切るようにしているので?


 日を跨がないで投稿するためにも、3つ目の解答権は皆さんに譲ろうと思います。や~~私って優しいなあ!!


 ……なんかすごい今、読者様から罵倒されてる気がする。


 てなわけで。


 以上、考えることを放棄した私からでした。


 絶対にないと思いますけど、もしこの話にだけ『まともに考えろや』みたいな感想きたら、もう一回分だけ、同じ内容について深く考えようと思います。


 もちろん、私は嫌ですが

長くなると集中が(三回目)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ