好きにも飽きは必要だよねって話
歯車みたい、とでも形容すればいいでしょうか。
人のいう「好き」には程度があります。
毎日をそれに費やしてもいい、というほどに好きなコトもあれば。
週に1、2回あればそれで満足するというコトもあるのです。
大きい歯車と小さい歯車のように、大抵は大きい歯車であることが多いですが、カチカチ、と「好き」は順繰り順繰りでまわってきて、同時にコトが訪れることもあります。
私にとって、それは読書という大きな大きな歯車であり、執筆はそれより小さい歯車。
スポーツを見ることはそれなりの歯車で、やることはもう少し大きい歯車。
動画を見ることはとても小さく、作ることはなによりも大きく、ほぼ、動いていません。
すべてが噛み合っているとはいいませんし、あくまで「たとえ」でしかない話なので、へんに難しく想像するよりは感覚で捉えることをお勧めします。
――さて。
私は研究や論文を読むことにあまり関心がないので、上記の主張を裏付けたり、説得力を持たせるような「引用」をすることは出来ません。
あくまで個人のエッセイ(?)として綴っているのと、これを執筆している理由が「ここ2ヶ月ぐらいなんにも執筆作業をしていない自分に対する言い訳」みたいな感じなので、ほんとに言い訳がましく、それっぽい事を書いている。それだけに過ぎないのです。
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すこし小話をすると、私、作家の太宰治が結構好きです。
べつに、その人の作品を四六時中読んでいる訳でも、全作品を読んだ訳でもないのですが。
なんとなく好きなんですよね。
太宰オタクにはもちろん負けますし、そこらの文学好きの人にすら知識で負ける謎の自信もあります。
とはいえ、文学者の中では比較的的好きな方なので、好き、と言ってみました。
誰かに好きな作家はいるの?と聞かれれば、迷いなく太宰治と言いますので、言いました。
「人間失格」は読んだ事ないですけどね。
「斜陽」も、途中まで読んで放ってます。
「走れメロス」は、さすがに読みました。
「女生徒」は面白かったです。
「清貧譚」は、個人的にはもっと面白かったです。
「東京八景」は、まあ、普通でした。
他にもいくつか読んだ本、短編、作品、ありますけど、たしか「東京八景」の中だったでしょうか?
太宰を思わせる「私」が、ここ2ヶ月は全く本も書けず、みたいな事を言っていて、まるで私のようで、すこし安堵したんです。
ずっと、毎日、書き続ける必要はないんだな、って。
頭の中で、心の中でそう分かってはいても、実際それをするのって、思ったよりハードルが高い。
結局、どこかにいる悪魔みたいな思考の罠に嵌められて、書き続けて、自分を苦しめる。
だから、時には素直になりましょう。
私がこうしてエッセイを書いているのは、私が私自身に素直だったから――とは言いませんが、このような話題をもとにエッセイを書けているのは、間違いなく私が、自分に素直になって執筆を一度休むことにした、この行動と関係しています。
好きなことをしましょう。
あなたは、いま、なにをしたいですか?
私?
……とても眠いので、寝ます。(執筆時点で深夜3時近く)




