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いいかい?私は疲れてしまったんだよ

内容:【ライトノベルってなんぞや?】【純文学ってなんぞや?】【ライトノベルと純文学の違い】【私は疲れてしまったんだよ(タイトル)】【まとめ】

(※記憶違いでライトノベルを“大衆向け小説”としていますが、正しくは“娯楽小説”です。定義は曖昧らしいので触れませんが、ラノベはラノベなんでしょう)

 突然ですがみなさん、【純文学】という小説の一ジャンルについて、どれぐらいの()()があるでしょうか?


 世の中には【ライトノベル】という大衆向け小説(ライトノベルの定義は大衆向けか否からしいですが、そもそも小説自体大衆に向けて書くものですし、大衆の理解を得られないであろう作品が純文学なのか?と言われれば決してその通りではないと思います)が溢れるほど存在し、そのトップオブトップともなれば、まさに、社会現象すら起こしえる()()()作品の数々。


 私がなろうで初投稿した作品は【純文学】ですが、かく言う私も、むかしはそれら【ライトノベル】の数々にたいへんお世話になりました。


 【ライトノベル】は面白い。これは紛れもない事実だと思います。


 個性溢れるキャラクター、ユニークな世界観、少年少女の心をくすぐるストーリー。目まぐるしく変わる展開の波は、それはもう、常にドーパミンが出るくらいで、これはまさに【ライトノベル】の特徴でしょう。


 作品にもよりますが、異世界モノやそれに連なる作品というのは非現実感がいい味を出すんですよね。現実的なお話って、それはもう、現実でみんな体験してますから、あまり必要とされない。


「それ、現実でよくね?」


 みたいな感じ。分かります。ひじょーに分かります。


 私はサッカーが好きなんですけど、サッカーをゲームでやるのと現実でやるのとだったら、圧倒的に後者の方が楽しいんです。見るのとやるのも、やっぱり、やる方が楽しいんです。

 結局、自分で体験できることは自分で体験しちゃった方がより感覚的に楽しさを味わえるので、現実的なお話ってあまりウケない、当然でしょう。


 ――しかし。


 本当に必要とされていなかった場合、この世界に、いまだ【純文学】や【エッセイ】といったジャンルが存在しているのは、あまりにも矛盾していると、私は思います。

 私はべつに【エッセイ】の専門家ではないので、今回は触れません。されど【純文学】については、ほんの少しだけでいいので、語らせてください。


 ここからが本題です。


 ――【純文学】とはなにか?


 人によって、この答えは若干変わるでしょう。たとえば、【ファンタジー要素のない作品】。たしかに、たしかに。【純文学】において、【ファンタジー要素】を持つ作品は珍しいので、そのような解釈でも、あながち間違いとは言えない。まあ、完全にないかといえば、答えは当然NOであるけれど。


 じゃあ【純文学】ってなんぞや?と、はやる気持ちは一旦落ち着けて。


 ほかには一体なにがあるでしょうか?純文学は名前に純粋の純が入っているので、純粋な文学、それ即ち【文に重きを置いた作品】?……これもたしかに。だいぶ正解な気がしますね。


 文に重き、文に重き、文に重き……はて、文に重きとはいったいぜんたいどういう意味でしょうか?私が思うに、小説家とは、プロやアマを問わず文学に生きようと身を捧げている人たちのことを指すと思うので、文に重きをおくのは至極当然な気がします。

 

 適当な文で内容ストーリーさえ良ければ小説なのか?という話で、私はそれを否定はしません(ここ重要)が、やはり、小説なのだから、文はしっかり作られていてほしい。文の出来を考慮するのは小説家として当然なように思えます。


 うーむ、難しい。

 改めて考えると、意外に分からないのが小説の世界で、『【純文学】とはなにか?』なんて考えた人、そんなにいないと思うんです。

 私も、自分なりにひとつの解釈はあれど、それが正解なのかどうかは全く分からない。


 しかし小説家を目指す道において、自身を失くす暇はありません。ここで私の考える【純文学】について話します。


 私が思うに、【純文学】とはそれ即ち――芸術です。

 理解される為に書くのではなく、思うがままに書く。【文そのものに美しさを求める】ものが【純文学】。音や形、文字を思い浮かべた時に感じるすべてで、美しさを表現する分野。


 だから私は同時にこうも思います。

『純文学において大事なのは文そのものである。それ即ち、文の上に物語があり、その逆(物語の上に文がある)ではない』と。


 純文学を書くにあたって、真っ先に優先すべきは【文】です。文という基盤の上に、物語ストーリーを積み上げ、作品としてゆく。たぶん、私が思うに、【ライトノベル】と【純文学】の『違い』はここにあります。


 【ライトノベル】であれば、物語の上に文があっても、大衆が求めるものは非現実感や刺激のあるストーリーであるので、あまり気にされることはないでしょう。

 

 しかし、【純文学】は違う。【純粋な文学】である以上、なによりも『文』に力を入れなければならないのです。物語の進行など二の次でもよいと、私は(ここ重要)、思います。文です。文を美しくするのです。


 で、ですよ。


 ここからがタイトルの内容で、その『文』に力を入れている内に、私、疲れてしまいました。


 はい。当然ですよね。だって小説、ぜんぶ『文字』で『文』じゃないですか。力を抜くこと、できないんですよ。適当にぱぱぱーって書いて、あべこべな内容になって、作品の質を落としたら本末転倒なわけで。

 

 というかじっさい、私が書いている純文学作品では、それが微妙に起きています(起きていない可能性もありますが、それは読者の皆様が感じたことが正解であって、私の主観は関係ありません)。

 

書く前から疲れている状況なんです。助けてください。夢の世界にいるみたいな感覚で書いてるんです。ちょっと熱っぽい感じ。知恵熱ならぬ執筆熱です。


 それで、現在に至ります。

 疲れているのに、今度は【エッセイ】を書き始めてしまいました。余計に疲れてしまいます。これこそ、本当の本当に、本末転倒、です。


 貴重な時間を割いてエッセイを書いています。みなさん、時間は有限です。一日24時間しかありません。そのうち、睡眠時間とか食事の時間とかもろもろ取って、じっさいに自由に使える時間、そんなにありません。時間は有効に使いましょう。私は、いまエッセイ書いてるので、有効かどうか怪しいです。


 まとめると、私は疲れてしまいました。純文学とエッセイ書いて、疲れてしまったんです。疲れているときは、素直に休みましょう。健康第一、体調を崩してしまったら書けるものも書けなくなってしまうので、しっかり、休みを取るように!!

※是非々々ブックマークや評価、ご感想等、よろしくお願いします。また、誤字脱字等ありましたら誤字脱字報告からご報告下さい。

※ここまでの駄文を読んでいただいたすべての皆様に感謝を送ります。

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― 新着の感想 ―
純文学の定義。 大正末期あたりに大衆小説に対する差別化として、売れない芸術家思想の作家たちが主張し始めたジャンル(言葉自体はもう少し前にある)。 ライトノベルは大衆文学ではなく、10~20代の若年…
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