黒と白8
異世界転生には、個人が単独で転移するパターンと近くにいた複数の人間が同時に転移するパターンがある。複数の人間が同時に転移するパターンでは教室やバスなどの閉鎖空間内にいた集団が転移することが多く、黒須が中学生時代に経験したのもこのパターンであった。
——否、正確には黒須以外のクラスメイトたちが、である。
取り残されたのは黒須ただ一人。
「いやー、驚いたぜ黒須。スーツなんか着ちゃって、すっかり大人じゃねえか」
ニヤニヤと笑う高雄。
彼がそういう理由は一つ。彼の容姿が高校生から大学生程度であるからである。
世界はそれぞれ、時の進み方が僅かにずれている。加えて、異世界からこの世界への帰還方法によって、この世界のどの時間軸に帰還するのかもずれてくる。この二つのずれにより、帰還者は順当にこの世界で過ごした者と往々にして時の流れ方が異なってしまうのだ。
黒須が当初、高雄のことを判別できなかったのは、この容姿の差が原因である。
「笹島、お前いつ帰ってきたんだ?」
主に帰還者のケアや社会とのすり合わせを行うのが、黒須の所属する超特異拉致対策二課の仕事であるが、実はもう一つ重要な役割がある。それが、帰還者とのファーストコンタクトである。
RDS(Return Detection System)——特二が誇るこのシステムにより、国内における異世界からの帰還は、特二によってほぼ完全に把握されている。
世界を渡り、この世界に人間が入り込むという特大の異常だからこそ、それを感知する術を構築することができたのである(これは黒須の相棒による情報提供と生産系に特化した帰還者の努力によって漸く完成したシステムであり、簡単に構築された訳でない)。
RDSがある限り帰還者は全て特二に感知され、黒須と課長の密約により、黒須のクラスメイトが帰還した場合は黒須に必ず連絡が入る。故に、黒須がクラスメイトの帰還を知らないなどということは本来あり得ないのである。
(あのゴロフのオヤジすら一度目は誤魔化せなかったRDSを潜り抜けるなんて、ケースAはほぼ確定。下手したらその中でもヤバい能力を持っている可能性も……)
じりじりと後退りながら、少しでも情報を集めようと黒須は高雄の観察を続けた。
「おいおい、そんなビビるなよ。元クラスメイトだろ?」
尚もヘラヘラと笑いながら高雄は言うが、黒須としては聞き入れられる筈もない。
何しろ、彼は襲撃されているのだから。
(そもそも何処までがコイツの仕掛けだ……?アイツがいないタイミングにあえて仕掛けてきたのか、それとも出張自体が仕組まれたのか……)
黒須としては情報が無さ過ぎるのだ。
状況としては襲撃者——高雄に限りなく有利なものなのだが、それをどこまで高雄が整えたのか分からない。
さらに言うならば、そもそも襲撃される理由も分からないのだ。
会話をして、何か拗れたというなら分かるが、その前に黒須は既に狙われていた。黒須としては高雄と特別接点があった記憶もない。
端的に言うと、黒須は何も分からない状態なのだ。
「ビビるなと言われてもな……久しぶりの挨拶があれじゃ、無理もないだろ?」
「あの程度、軽い挨拶だろ?まあ、こっちの世界で楽して愉快に生きていれば、驚くのも仕方ないか」
(その辺りの感情が理由か?……だが、それは本来ケースCに多い。コイツの力がケースA級だとすると矛盾を感じる)
ケースCの帰還者が黒須にぶつける怒りとしては、この手の感情は意外と多い。自分たちが危険な世界にいる間に、平和な世界でぬくぬくと生きていて狡いというものだ。
翻って、ケースAの帰還者——そもそも殆どいないのだが——がこの手の思いを抱いていることはない。何故なら、彼らは自らの力で世界を渡って帰還する程の猛者だ。帰還してまで、そのような感情を抱え込んでいる者などいないのだ。
「それともアレか?最強の相棒とやらに守られて好き放題やっている内に腑抜けちまったのか?」
「好き放題……?」
「知ってるぞ、黒須。お前、俺たち元3-Aが帰ってくる度に消して回ってるらしいじゃねえか?俺も危ないところだったぜ。あの人が教えてくれて助かったわ」
(あの人……そいつが黒幕か)
やっと事態の一部が見えてきた。
どうやらこの件には黒幕がいて、黒須が元クラスメイトの情報を集めていることを逆手にとって、情報操作をしたらしい。
そう思ったのも束の間、高雄の瞳に危険な光が宿ったことにも黒須は気づいた。
不意に真顔になった高雄が、黒須に向けて右手を突き出した。
もし、黒須が帰還者ならば、高雄の幻想心臓で幻想力が変換され、彼の右手を中心として術式が構築されているのが見えただろう。
しかし、黒須は帰還者ではない。
そんな彼には、術式の内容はおろか、その発動タイミングもまるで分からない。
——その筈だった。
「赤光よ、穿て!」
「おらっ」
高雄の右手からサッカーボール大の灼熱の塊が放たれたのと、黒須が渾身の力で左に飛び退いたのは同時だった。
「くそっ、どうしてタイミングが分かる!?」
喚きながら、高雄はさらに灼熱の塊を連射する。連射速度はおよそ三秒に一発。彼の掌から飛び出した真紅の線が、夜の闇を引き裂く。
しかし、当たらない。
黒須は歩道に飛び込むようにして車道脇にある柵を越えると素早く立ち上がり、街路樹を遮蔽物として高雄から距離を取っていく。
(やはり、コイツ自体はケースCレベル。この世界での幻想術の威力減衰もあって樹を貫通してくることもない)
高雄はケースCである。かき集めた情報からそう予測した黒須は、彼が発動する幻想術の威力や速度を推定し、初撃を躱してみせたのである。
これこそが黒須の経験値。
確かに黒須は戦うことは出来ないし、異世界で過ごした帰還者のような派手な戦闘を経験したこともない。しかし、この世界での帰還者との交わりは人一倍あるのだ。
「逃げるな!お前が化け物を連れてきて俺を殺す前に、俺がお前を殺してやる!」
黒須が振り向くと、叫びながら高雄も追ってきていた。
その速度は決して遅くもないが、早くもない。
さらには全力で走りながら幻想術を使っているせいで、精度は最初より格段に下がっていた。
(よし、攻撃用の幻想術と身体能力の向上系幻想術の同時使用もできていない。これならば何とかなる)
初手で車を無理やり止められた時のダメージと、たまたま掠った赤光が作った傷が黒須にはあったが、足を鈍らせる程ではない。
説得は期待できそうにない以上、黒須の勝利条件は逃げ切ることである。
幾ら広範囲に人払いの幻想術を行使したとしても無限ではない、いずれその範囲内を抜けることができる。そうすれば、彼の勝ちなのである。
——厳密にはもう一つ勝利条件があるにはあるのだが、そちらは最善の勝利とは言えなかった。
「くそっ、ふざけんな!こんな世界で、他人の力で上手く生きているような奴が何で倒せないんだ!」
それは否定できないな——そう黒須が感じてしまったのが悪かったのか、不運なことに熱弾が黒須の右足を直撃した。
「ぐああああああああ」
勢いのまま地面へ転がる黒須。
無理もない。
ダメージなんて軽い言葉で済むわけもなく、彼の右足は足首から先が殆ど残っていなかった。
激痛のあまり意識が飛ばなかったことが、奇跡なくらいである。
黒須がなんとか振り返ると、既に目の前に高雄が来ていた。
「はぁはぁ……ざまぁねぇな黒須。潔く死ねっ!」
「く……そ……」
激痛の中、もはや意識を保つので精一杯の黒須に向けて、高雄が右手を向ける。
威力を高めているのだろう。先ほどまでと違い、高雄の掌の前で真紅の玉が徐々に大きくなっていく。
——そして、高雄の幻想術が放たれた。