黒と白7
黒須が半ば強制的に参加させられたゴロフたちの花見宴会は、結局二十二時近くまで続いた。
ゴロフや大半の眷属が自分の限界近くまで飲み続けたため、あたりは死屍累々といったようすである。
そんな中、何とか意識を保つ事に成功した黒須は、片付けを始めた眷属の中から一人の人物を探していた。
すると、相手も自分を探していたようで、黒須は彼女が自身の方に向かってくることに気づいた。
「黒須様、本日はありがとうございました」
深々と頭を下げるのは、修道服を着た一見すると二十歳程度の女性。
露出は一切ないに等しいにも関わらず、修道服の作りが体のラインが出るような密着したものであることと、右側面に入った腰まで届きそうな深いスリッドが妙な色気を醸し出している。
この服は百パーセントがゴロフの趣味で形成されていることを、以前ゴロフ本人から聞いて頭を抱えたことを黒須は覚えていた。
「いや、レイジュエルさんこそ。ずっと人払いの幻想術を使っていたんだろう?」
人払いの幻想術。
これもゴロフたちが飲み会を開く際の条件である。
普段は人の姿に認識を偽っている彼らも、酒が入ると偽装が怪しくなる。そのため、人払いの術式が必要不可欠なのである。
この人払い、決して物理的に人を排しているわけでない。結界のように内と外を遮断しているのではなく、認識に働きかけて、人払いした場所を自然と避けるようにしているのだ。
「ふふふっ、ゴロフ様のためですから。それに私はお酒をあまり飲まないことにしているので」
飲めないではなく、飲まないである。
彼女がその気になれば、そこら辺に転がっている眷族を超える量の酒を飲んでもケロリとしていることを黒須は知っている。
ゴロフ曰く、彼女こそはゴロフの転生した世界のラスボス級の存在であり、幻想術を除いても生物としての格が違うらしい。
(ゴロフのオヤジの与太話がどこまで本当か分からないが、少なくとも他の眷族たちが彼女に一目置いているのも事実だしな……)
やや困り顔で微笑む眼前の美女がそのような超存在であることを、黒須は単純には信じ切れていないのだが、彼の相棒がゴロフとレイジュエルにだけは警戒を完全に解いていないこともまた事実であった。
と、そんな事を考えていたからだろうか。
黒須はレイジュエルが自分を探るような目で見返している事に気づいた。
「ふふふっ、何か私の顔についていますか?」
「い、いや、何でもない」
「そうですか。ふふふっ、それではいつもの術式を掛けますね?」
「ああ、頼む」
いつもの術式。それは端的に言うなら、脱アルコール術式というべきものである。
ただし、アルコールを直接体内から消滅させるようなものではない。
そうした術式も元の世界ならばレイジュエルは可能であったが、この世界では費用対効果が悪すぎるのである。なぜなら、幻想術を持って世界を書き換える事には世界ごとに抵抗力があり、幻想力が満ちていない世界ほど、抵抗が強いのである。
世界に満ちた幻想力が少ないこの世界は、幻想力を幻想心臓に充填する効率も悪く、そして蓄えた幻想力を以って行使した幻想術の効率も悪い世界なのである。
閑話休題。
レイジュエルの幻想術は、人間がアルコールを分解する正常な流れを後押しするものである。すなわち、この術式はアルコールを毒素であるアセトアルデヒドへの分解する工程と、アセトアルデヒドを酢酸へと分解する工程のそれぞれの化学反応を促進するのである。
「いつもながら良く効くな」
「ふふふっ、ありがとうございます」
「感謝はこっちの台詞だ。じゃあ俺は帰るが、ゴロフのオヤジにはよろしく言っといてくれ」
「分かりました。道中お気をつけてお帰りください」
頭を下げるレイジュエル見送られ、黒須は公園を後にしたのであった。
(そういえば、妙に丁寧な別れの挨拶だったな)
黒須は一路自宅へと車を走らせていた(この車は特二の所有物なのだが、特二の業務の性質から面談後に直帰となることも多いため、翌日に返却することも許されているのだ)。
そして、運転中、ふとレイジュエルの別れ際の言葉を思い出したのだ。
基本的には丁寧な物腰の彼女だが、気をつけてなどと言われたのは黒須の記憶上では初めてだった。
(アイツがいないからか……?彼女から見ると、アイツ抜きの俺は相当危なっかしく見えるのかもしれないな)
そう彼が自分の中で一応の結論を出した時だった。
「な——っ!?」
行く手を阻むように、道に一人の男が立っていた。
黒須は全力でブレーキを踏みながらハンドルを切った。
すると、車はドリフトしながらも車道を進み——強烈な衝撃とともに、男の数メートル手前で急停止した。
「ぐ——っ、くそっ、何なんだ!?」
衝撃でドアに衝突し、思わず苦痛の声を漏らす黒須。
しかし、彼は一瞬で事態を把握すると悪態をつきながら、車から転がり出た。
当然、男から距離を取るためである。
自然の摂理に従わずに急停止した車。
どう考えても、幻想術が行使されたと見るべきであり、ならばこれは帰還者による襲撃である。
しかし、男の姿に黒須は見覚えがなかった。
黒須は現在国内にいる帰還者やその眷属を全て記憶している。その彼が知らない帰還者というのはありえなかった。
勿論、幻想術で姿を偽っている可能性もあるが、そこまでして彼を襲撃する人物にも心当たりはない。
(課長と同じような関係の連中か?……いや、なら余計に俺が狙われる理由が分からない)
考えながら、黒須は車道を男と反対方向に走っていた。
情けない姿かもしれないが、これが最適解である。
武術の達人でも帰還者に太刀打ちすることは不可能なのだ。身体能力や武術の心得が一般人の範疇に完全に収まっている黒須など、一溜りもないのである。
そこで、彼は気づいた。
(ちっ……車通りが無さ過ぎる。かなり強力な人払いが掛けられているな)
ゴロフたちの宴会でも張られていた人払いの術式であるが、あちらの場合はもともと周囲から見えづらく、しかも明確な目的があって訪れる者が限られている公園内の一画を対象としていた。
対して、ここは公道である。
街路樹が植えられているとはいえ周囲から見えない筈もなく、見える範囲に人を寄せ付けないようにするならば、かなりの広範囲に対して人払いをかける必要があった。
また、黒須はこの道を何度か通った事があったが、そこそこの交通量があった。これは明確な目的を持ってこの場所を通る人間が一定数いることを意味する。そういった人間を排するためには、強力な幻想術を以って、強引に認識をずらす必要があるのだ。
「おいおい、逃げるなんて酷いじゃないか。久しぶりに会ったんだぜ?積もる話もあるだろうが」
初めて男が口を開いた。
その台詞が気にかかり、黒須は振り向いた。
男も黒須を多少は追いかけていたようで、彼我の距離は思ったよりも開いていなかった。
そのため、男の容姿も黒須にははっきりと見える。
(やはり、帰還者ではない。だが何だ?妙な既視感があるような……)
黒須は自身の記憶を手繰り寄せ続ける。
帰還者でないのならば、その家族や関係者。恋人。友人……。
最近のものから、徐々に連想を過去へ向けていく。
——そして、考えることを避けていたある時代の知り合いに辿り着く。
「お前、まさか……笹島か?」
「何だ、しっかり覚えてるじゃねえか。そうだよ黒須。俺はお前の元クラスメイト、笹島 高雄だよ」
その男は異世界に転移したはずの黒須の元クラスメイト、笹島 高雄であった。