その幻想術1
その日、黒須 柊一郎はやや重い足取りで職場である神秘部超特異拉致対策二課のオフィスへと向かう階段を登っていた。
異世界召喚の帰還者のケアや社会復帰を主に担当する特異拉致対策二課——通称、特二は慢性的な人員不足という問題を抱えている。何しろ、現役メンバーは黒須とその相棒、そして課長である左庭とその補佐官の四人しかいないのである。それでいて、既に十人以上のメンバーが在籍している特異拉致対策一課——通称、特一よりも特二の通常業務量は多い。夏の終わりに左庭の補佐官が加わったとはいえ、既に通常業務を完全にこなすことが困難になりつつあった。
そんな中、本日ようやく新たに二人の人員が特二に配属されるのである。単純に考えると喜ばしいことであり、現に左庭などは昨日から上機嫌であった。
しかし、黒須としては自体はそう単純な話ではない。
「くっ、俺としたことが。この程度で気まずさを感じてどうする……」
「……人の表情を読んで、勝手にセリフを考えるな」
黒須は横を行く相棒を仏頂面で睨む。
視線の先には、今日も今日とてトレードマークの黒の和風ゴスロリ服で全身を固めた美少女にして、黒須の相棒である降綱 詩由莉がいた。残暑厳しい九月ながら、少女の纏う空気はどこか涼し気ですらある。
そんな彼女は黒須の非難の視線などどこ吹く風で、飛ぶように——というか、実際にやや空中に浮かぶという横着をしながら、さらに続けた。
「でも、当たってるでしょ?——最初はお客様的な距離感で接していた相手が、後輩として職場に配属されてくる。さて、どんな顔をして会えば良いのやら——そんな顔しているよ」
「ぐっ……」
図星であった。
勿論、そんな具体的な表情など浮かべていないと黒須は断言できるが、そこはそれ。内心思っていることに違いはないのだから、反論などできようもなかった。
「でも良かったじゃない。柊一郎くんもあの二人——宝珠戸さんとアズライトさんのことは気にしていたんだし」
何を隠そう、新たに特二に配属される二人とは、黒須たちが最近担当した帰還者である宝珠戸 空斗とアズライトなのである。
確かに、黒須は二人のことを心配していた。
特に空斗に関しては、両親との関係が無事に修復されたことを確認したとはいえ、自分のしてきたことや自分の能力について重く捉えている様子があった。それ自体は悪いことではなく、むしろ好ましいことである。しかし、それで彼が潰れてしまうのは忍びないと、黒須は思っていた。
そんな折、同期である特異拉致対策一課の課長、獅子原から二人が特二への所属を希望していると聞いた。驚きはしたものの、黒須としては安心もしていたのである。戦闘能力至上主義的なきらいのある特一に所属するよりは、特二の方が落ち着いて色々なことに折り合いをつけていけるだろう、と。
しかし、それとこれとは別問題であった。
「ほら、柊一郎くんが悩んでいる間に着いたよ」
いつの間にか、二人は特二のオフィスの前に到着していた。
相も変わらず何の変哲もない灰色のドアであったが、今の黒須にはとてつもなく重そうに感じてしまう。
しかし、いつまでも廊下で突っ立っている訳にもいかず、彼は意を決してドアを開けた。
「ああ、やっと来たね」
果たして、中には既に特二の課長である左庭 武光と空斗、アズライトの三人の姿があった。
年齢的に正装は学生服になるのだろうが、空斗とアズライトは高校には通っていない。そのため、二人ともセミフォーマルな服装をしていた。この年齢だと服に着られてしまうことも起こりがちだが、異世界を生き延びた経験から来る落ち着きが、その事態を防いでいる。
また、鋭い目つきはそのままだが、赤のラインが入っていた髪を全て黒染めしているあたりに、この世界に馴染もうとする空斗の意志が感じられた。
「——ちわっ」
気まずかったのは空斗の方も同じなのだろう。彼はやや小さめの声で言うと、軽く——本当に軽くであるが頭を下げた。隣のアズライトも続いてペコリと頭を下げるが、こちらの無口は平常運転である。
「さて、自己紹介——と言っても、私以外は顔見知りだし、既に宝珠戸くんたちも研修を終えているのだから、こちらのことも知っているよね。だから、自己紹介は省力するよ。あっ、ちなみに僕は自己紹介済みさ」
研修というのは特異拉致対策に関わる人材が最初に受ける座学による講習である。その内容は各課の仕事内容から、内規、果ては組織内の重要人物まで多岐に渡る。
その研修内容の一つとして絶対に外されないのが、黒須の相棒の紹介であった。
ケースA。一つないしは隣接する複数の世界を管理する者に登り詰めた者。日本政府管理下には現状2人しか確認されていない。通称は管理者。
ケースB。その世界の根幹たる対象——世界におけるなんらかのバグを解決した者であり、所謂魔王のような存在の打倒やダンジョンの攻略により帰還した者が多い。通称は勇者。
ケースC。自身の力で帰ってきたわけではなく、偶発的、もしくは誰かに随従する形で帰還した者。その力はケースAやBに比べて劣っている事が多い。また、統計的には自身を対象として召喚された訳ではなく偶発的、集団規模で召喚された者が多いが、因果関係については解明されてない状況である。通称は非主体。
これにケースD、ケースEと続くのが神秘部のカテゴライズなのだが、その枠に当てはまらない存在。
最強の帰還者にして、特例のケースAA。
所謂、取り扱い厳重注意の危険物こそが彼女、降綱 詩由莉である。
そして、彼女の手綱を曲がりなりにも唯一握ることができる黒須についても、僅かながら研修で触れられているはずであった。
(研修に登場するから自己紹介がいらないっていうのも意味不明な話だがな)
「宝珠戸くんたちはまだ公務員としての資格を持ってないから、当面は超特例のインターンという形になっている。とはいえ、将来的にはウチに入ってもらうことを前提に、基本的には一般業務の全てに関わってもらうから、そのつもりで頼むよ——じゃ、あとの指導はお願いするよ、黒須くん」
黒須が考え事をしている間に伝達事項を全て一方的には話すと、左庭はオフィスを出て行った。特二の四人目のメンバーであり、彼の秘書的な立場の補佐官が居なかったことから、外で合流して何らかの会議に出るのだろうと、黒須は当たりをつけた。
そうして、仕方ないので彼は現実と向きあう。
「あー、何というか……これからは後輩だからな。変な気は使わないぞ?」
「……分かってる。ってか、こっちとしてもあの日の態度には流石に違和感を感じてたしな」
ぎこちないながも、改めてコンタクトを取る黒須と空斗。
その不甲斐ない様子の男たちを詩由莉とアズライトはニヤニヤと見守っていた。
とはいえ、いつまでもそうしている訳にもいかない。今日の業務を予定通りに消化しないと困るのは、わざわざ高校を欠席してまで平日の朝から出勤した詩由莉なのである。
そのため、詩由莉は趣味である黒須観察を楽しむことをそこそこに切り上げ、先を促すことにした。
「ほら、黒須くん。そろそろ行かないと、今日中に予定が消化できないよ?ただでさえ、予定通りには行かない相手なんだから」
「……分かってるなら、もう少し協力してくれ」
そう愚痴りながらも、黒須は最初の業務を始めることを空斗たちに告げる。
——こうして、残暑厳しい2013年の九月下旬、超特異拉致対策二課に新たなメンバーが二人加わったのであった。
やっと再開。




