黒と白2
約30分後、黒須は首都高を走る自家用車のハンドルを握っていた
公用車、ではなく自家用車である。
一般的なイメージにおける公用車である国会議員などが与えられた専用車ではないことは勿論、広義の意味における官公庁が所有する乗用車ですらない一般車両だ。
仮にも宮内庁の内部部局に所属する——すなわち公僕である黒須が敢えて自家用車を運転しているのは、偏に彼の所属する課の秘匿性にあった。
その性質から、普通車とはいえ助手席には当然課の人間が座っている。
いつもは黒須の相棒が座っているそこには、今日は見るからにそわそわした様子の青年が座っていた。
「エデルハイト、ウチの課について知っていることを言ってみてくれ」
「はいっ——宮内庁神秘部超特異拉致対策二課、通称『特二』は近年急増した超特異拉致——通称、『異世界召喚』に対応するために政府が秘密裏に設立した組織です」
打てば響くように。
スラスラとエデルハイトは自身の知識を披露していく。
異世界召喚。
近年はその名称で呼ばれることが多いこの現象は、古くは神隠しや常世渡りなどと呼ばれ、世界中にも数多の形で伝承が残っている。
近年の体系化にともない超特異拉致という正式名称がついたものの、組織内の者達ですら異世界召喚と呼ぶことが多い。これは一般的な通じ易さも踏まえてのことだが、一部の生真面目な者達からは問題視されていた。
「異世界からの帰還者が持つ能力の対国家、対テロ利用を目的とする対策一課に対して、二課は帰還者の保護、ケアを目的としています。帰還者はその帰還形式に合わせて大きくケースAからEに分けられ、保護やケアの際の対応が変わります」
暗記したものを諳んじているというよりは自分の内から知識を取り出すように、自身もケースC0の帰還者であるエデルハイトは言葉を重ねていく。
そんな彼の様子を黒須はチラリと横目で見ながら、ある種の安堵を感じていた。
(少なくとも最低限の知識はあるようだな)
少し安堵しつつ、黒須は最近の新人を思い浮かべる。
……どの人物も常識や知識といったものが欠落していた。
思わずハンドルを握る手を片方離し、頭を掻いてしまうほどだ。
しかし、今は少なくともこの悩みは無関係である。黒須は思い浮かべたことを頭の隅に追いやると、今から行う研修の中身を話すことにした。
「お前の言った通り、俺たちの業務は帰還者のケアという側面が非常に強い。そのため、お前にはこれから帰還者との定期面談に付き合ってもらう」
「定期面談ですか?」
「そうだ。とはいえ話すのは俺だし、俺の担当している中でもかなりまともな帰還者を選んでいるから緊張することはない」
「は、はい」
——緊張するなっていうのは無理な話か、と黒須は内心苦笑する。
今の時点で返事が上擦っていたくらいなのだから。
(まあ、エデルハイトがいくら緊張してようが、彼なら問題ないだろう……ってか、エデルハイトって長いな)
ちらりと車内の時計を見る黒須。
現在彼の運転する車が走っている場所が中央道であり、目的地が八王子であることを考えると、まだその辺りの話をする時間は十分にあると黒須は判断した。
彼は決してコミュニケーション能力に長けていないが、完全に欠如しているわけでもないのである。
「なあ、今更なんだが、俺もお前のことをエデルハイトと呼べば良いのか?」
「はい!長くて呼びづらいようでしたら、ハイトでも結構ですよ!——それとも、この見た目で明らかに和名ではないのは、やはり違和感がありますか?」
「いや、お前の見た目は割とファンタジーだろ」
何せ、二十歳前後の若さで完全な白髪である。それも不健康な様子というよりは、これで完成品とでもいうような自然さがある。さらによく見れば、その瞳は黒目の縁にエメラルドグリーンが入っていることが分かる。
それはともかく、どうやら名前に関してはそこまで強い何かがないことを確認することができ、黒須は安堵した。
名前持ち——それは召喚された異世界での名前に適応しすぎて、そちらの名前でないと違和感を感じるようになってしまった者、もしくは自分の元の名前を何らかの理由で失ってしまった者のことである。
したがって、複雑な経緯や理由、強い拘りを持つ者が多いのだ。
「というか、他のやつは知らないが、俺は名前持ちのケース0もあったことがあるからな」
「そうなんですか!?」
「ああ。お前の名前なんて良い方だ。場合によっては人間の発生器官では発音不可能なんて奴もいる」
「それは……担当するのが大変そうですね」
「まあな。最初は大変だったが、最近ではあだ名で呼ぶことを許してもらってる」
そんな雑談をしながら、黒須はちらりと横目でエルデハイトの様子を伺う。
そして、最初のそわそわした——やや浮き足立った雰囲気が薄れていることに満足した。
とはいえ、それは内心の話。
ハンドルを握る黒須の表情は変わらず微かにしかめたままである。
別に何か虫の居所が悪いわけではない。これがここ十年近い彼のデフォルトの表情なのである。
この表情こそがエルデハイトを萎縮させている要因の一つなのだが、それを黒須は気付いていなかった。
「そうだ、これを読んどけ」
「これは……これから会う帰還者ですか?」
「その通り。ああ、もちろんゴリゴリの個人情報だから決して得た情報を漏らすなよ」
「勿論です」
返事もそこそこに、エルデハイトは渡されたタブレットPC——そこに表示された帰還者の情報に目を通していく。
(これは珍しい。典型的な魔王型世界ですね。ケースBで帰還後は現在都内の大学に通う学生、ですか……。いよいよもってレアですね)
そして、エルデハイトは思い返す。
(そうか……黒須さんが言っていたまともなとは、人間性に掛かっていたんですね)
そうこうする内に、車は住宅街へと入り、一軒の民家へと到着した。
その家には一台分の駐車スペースしかなかったため——そこには既に自家用車が止まっていた——車を家の前の道へと寄せると、黒須とエルデハイトは民家の玄関へと向かった。
「本当にこの家なんですか?」
「普通の家すぎるってか……逆にどんな家なら納得いくんだ?」
「いえ、特にこれと言ったイメージがあった訳ではないのですが」
それにしても、普通すぎる——と。
エルデハイトの目はそう語っていた。
確かにごく普通の一軒家であった。このご時世で都内に一軒家を持っているのは中々恵まれているとか、そういう理屈はさておき、住宅街の景色に完全に溶け込んでいる普通の家だ。
そんな彼の反応をいちいち斟酌しても仕方ないため、黒須はスルーしてチャイムを押した。
家主である女性に通された二人は、6畳ほどの洋室で青年と向かい合っていた。
そこは、物が少なめといえば少なめだが、十分普通の範囲内にある男子大学生の部屋であった。
黒須たちが座っている椅子だけが部屋の雰囲気からやや浮いているが、これは彼らが来た時に他の部屋から運び込まれたものだからである。
「お久しぶりです、黒須さん」
「ああ、今回は3ヶ月ぶりだからな。問題もないだろうし、次の次あたりからは半年スパンになると思う」
「そうですか。最初の頃は面談の間隔が狭くて気疲れしたものですが、今となっては少し寂しい気もしますね——それにしても、彼女と一緒じゃないなんて珍しいですね?」
青年はチラリと黒須の隣のエルデハイトを見ながら、少し戯けた様子で尋ねた。
雑誌やTVで見てもおかしくない様な整った顔立ちが、その仕草を嫌味なものにせず、むしろ心地よい距離感すら感じさせる。
出会った頃はその立ち振る舞いを胡散臭く感じていた黒須も、今ではそれが彼の自然体なのだと確信しているが故に、特に気にはしなかった。
「あいつはちょっと出張に行ってるんだ。それより感づいていると思うが、コイツは今度来たウチの新人のエルデハイトだ。これからも何かで顔を合わせるかもしれないから、よろしく頼む」
「エデルハイト・リーフベルトです。よろしくお願いします!」
「これはご丁寧に。自分は白城 結樹といいます。こちらこそ、よろしくお願いします」
どこか硬さの残る挨拶をするエルデハイトと、丁寧ながら自然体で返す結樹。
まるで就活生の採用面接だな、とは黒須の感想である。
——もっとも、実は結樹こそ大学生であり、エルデハイトは社会人であるため、立ち位置は真逆なのだが。
「それで、大学生活はどうだ?」
「一年間大学生をやってきて、だいぶ慣れてきましたね。クラス変えとかもないせいで、周りのメンバーも変わらないですし。ただ、そろそろ将来の事も真剣に考え出さないとな、とは思い始めました」
「まだ20歳だろ?確かに将来の事を考えるのも大事だが、あまり気負って早めに絞り込みすぎるなよ?」
和気藹々と。
面談は簡単な健康診断や生活上の問題点の有無といった事務的な内容に始まり、今やほとんど雑談となっていた。
面談とはいえ、結樹は心身ともに帰還者とは思えないほど安定しているため、このような空気になるのは常のことである。
「エルデハイト、何か結樹に聞いてみたいことはあるか?」
そんな面談の終盤、黒須が突然エルデハイトに話題を振る。
大体の新人はここで頭が真っ白になるか、それとも興味がないか——ともかく質問など出てこないのだが、エルデハイトは違った。
彼はむしろ、尋ねてみたかったことをちょうど聞けるとばかりに目を輝かせたのだ。
「白城さんは先程将来のことと言いましたが、幻想術を活かした職は考えてないのですか?」
幻想術。
それは帰還者が持つ異能の力である。
——ある異世界では超能力と呼ばれ。
——ある異世界ではスキルと呼ばれ。
——ある異世界では魔法と呼ばれる。
そんな常とは異なる力の総称であり、個人差はあれど、未だ科学では為し得ない現象を引き起こすことすら可能である。
彼らはそれを持っているのである。
故に彼らは心のバランスを崩しやすい。
例えば、安易なヒーロー願望。
もしくはより単純な我欲に塗れた行動。
さらには、常識が異世界に染まったが故の歪の行動。
エトセトラ、エトセトラ。
ともかく傲慢な行動や短絡的な行動に出る者が後を絶たないのである。
過ぎたる力——周囲と異なる力を持ってなお周囲に溶け込んで生きようと思い、そして実際にそう生きるのは途方もないことなのだ。
しかし、白城 結樹はまともな人間であり、ある意味でまともな帰還者ではなかった。
「この力の役割はもう終わりました——もちろん、黒須さんに協力を頼まれれば考えますが、基本的にはもう使うつもりはありません」
彼は、そうはっきりと口にした。
ふわり、と。
彼を中心に風が吹いたような——そんな光景をエルデハイトは幻視した。
もちろんそれは幻想術の発露などと言う陳腐なものであるはずもなく、故にエルデハイトは否応なく理解させられた。
(ああ……この人の強さはそこではないのですね)
「そういう事だ」
エルデハイトが何を考えているかなど手に取るように分かると言わんばかりに、黒須が締める。
結樹はケースB——俗に勇者(Brave)級と呼ばれる帰還者である。
ケースBとはすなわち、異世界におけるなんらかのバグを倒した後に、他者の協力によって帰還したケース。
あまりにも有名な魔王型異世界では、このバグに当たる存在が魔王と呼称される。
故に俗称、勇者級。
まるで物語のように一つの世界を救ってしまう力を手にしながら、結樹はその力の役割がもう終わったと言い切るのだ。
彼こそまさに勇者であると、黒須は言い切る事ができる。
——もっとも、実はもう一点、彼が勇者であるという黒須の確信の元となる逸話があるのだが。
「驚くのは早いぞエルデハイト」
「……?」
「あっ、ちょっと、黒須さん——っ!」
ニヤリと笑う黒須と、先程までの落ち着きはどこへやら、年相応の慌て方をする結樹。
黒須の表情で何を言わんとしているのか察したのだろう。結樹は必死にその邪魔をする。
それも当然。
結樹についてのその話は黒須の鉄板ネタであり、誰かに紹介する際には必ずそのオチとして話す内容なのだから。
エルデハイトの目から見た二人の戯れあいは、まるで年の離れた仲の良い兄弟のもののようであった。