異世界流離類型論6
空斗がインターフォン越しに名乗ったことにより玄関を飛び出してきた男女は、共に40代前半ほどで小綺麗な服装をしていた。余程急いだのだろう。高級住宅街の一軒家とはいえ、玄関から門までは高々数メートルしかないにも関わらず、二人は息を切らしていた。
(いや、それだけでないか。服装や化粧で上手く取り繕っているが、二人とも疲労が溜まっているのが分かる。やはり、探していたのか)
黒須の握り締めた拳に思わず力が入り、わずかに彼の掌から血が滴った。
彼が感じているのは純粋な悔しさである。
何故なら目の前の男女は、彼が寄り添うべき対象であったはずなのだから。
この二人——空斗の両親のように、神秘部の感知できないところで肉親や恋人を探してい二次被害者は少なくないと黒須は考えている。
彼らが神秘部の情報網に引っかからない理由は、彼らが一般的な手段——警察への届け出や個人による目撃者探しによって被召喚者を探しているため、異世界召喚が関わらないその他の事案に埋もれてしまうことである。特に神秘部発足より以前の召喚に関する二次被害者は、その把握が急務であると特二が再三訴えているにも関わらず、毎度上からの返答は芳しくないものであった。
(目先の利益や恐怖に引きずられて、一般市民の感情を置き去りにしやがって……)
(柊一郎くん)
そんな黒須の自傷行為を止めるように、詩由莉がそっと彼の手を握り、それをゆっくりと開く。
彼女は空斗たちの検査をしていた時と同様に、指向性の音声を用いて彼に話しかけていた。
(柊一郎くんがこの人たちに感情移入するのは分かるけど、自分を傷つけても誰も喜ばないよ。それに、血が落ちると姿は見えなくても気配が伝わるかも)
後半はともすれば人の情を無視したドライな言葉であった。
しかし、感情論に訴えるよりもこうした業務上の理屈に訴えた方が黒須の感情の切り替えが早く済み、結果として彼が追う傷が心身ともに少なく済むことを詩由莉は把握していた。
確信ではなく、あくまで把握である。
それはともかく、黒須が気持ちを切り替える頃、ようやく空斗が口を開いた。
「父さん、母さん……」
それは小さな声だった。
空斗が何かに怯えているような——そんな印象を黒須は抱く。
「——やっぱり怖いか?」
空斗が何を恐れているのかという疑問が、空斗のこの言葉を受けて黒須の中で氷解した。
——異世界を生き延びたことによる変化。
それは決して異世界転生に代表されるような外見の変化だけではない。むしろ、内面の変化こそが大きいとさえ言えるだろう。
帰還者が召喚された世界が平和な世界であることは少ない。平和な世界ならばそもそも世界を超えて誰かを召喚するような必要はないし、偶発的に平和な世界に召喚された者はその世界に居ついてしまうことが多いのだ。
ゆえにこの世界に帰るまでに帰還者たちは壮絶な経験を重ねているのである。
その結果、この世界で普通に暮らしてきた者とは一線を画す人格が形成されることが多いのである。
——ある者は余計なものを全て削ぎ落とした、抜身の刀のような精神に。
——ある者は何事にも動じず、大地に根を張り全てを支える大樹のような精神に。
——ある者は元々有していた性質が歪みを含みつつ更に狂気を増した蠱毒の如き精神に。
もちろん、本人の根源的な性質や世界の難易度、召喚された彼らを取り巻く環境にもよって、どう変わるのかは分かれる。しかし、それぞれがある種突き抜けた人格になることは共通しているのである(一部、例外中の例外でまるで変化のない者もいるが、それは元から取り返しがつかないほど壊れていたのだと黒須は思っている)。
こうして起きた内面の変化は、本人の中から滲み出る。
それは幻想力が見える見えないといった陳腐な次元の話ではなく、より生物としての根源的な話である。第六感に訴えかけると言ってもいいかもしれないその気配は、一般人ですら感じ取れるものだ。むしろ、慣れていない一般人こそが、彼らの持つ異様な気配に当てられてしまうことが多い。
そして、空斗のそれはなかなか強烈であった。
慣れている黒須ですら、一瞬その戦場に在る戦士のような気配に圧倒されたくらいだ。一般人である彼の両親がどのような印象や影響を受けるかなど、推して知るべしである。
現に、空斗の両親は約一年ぶりに聞いた息子の声に家を飛び出してきたが、いざ息子の前まで来た段階で二人とも言葉が出ずにいた。
「……行こう、アズ。挨拶ができただけでも良しとしよう」
「いいの?」
「仕方ないさ」
踵を返す空斗。
一度、ちらりと彼の両親を見てから、何も言わずにアズライトもそれに続いた。
その視線に何かを感じたのか、空斗の父が何とか口を開いた。
「空斗——」
名前を呼ぶ。
しかし、その先が言葉にならなかった。
言葉に詰まるその姿に何を感じたのか、空斗は奥歯を噛み締めると、突如大きく跳躍して夜の空に消えてしまった。
「な——っ!?」
その声を漏らしたのは、空斗の両親だったか、それとも黒須だったか。
突然の空斗の行動にその場の誰もが虚を突かれた形となったのである。
唯一違ったのはアズライト。いつの間にか空斗と手を繋いでいた彼女は、寸分違わぬタイミングで彼と共に跳躍していた。
まさに阿吽の呼吸であったが、その点に関しては黒須と詩由莉も負けていない。
「ごめん、油断した!」
「俺もだ!」
詩由莉が使用していた姿と気配の隠蔽幻想術を解く。
すると、二人は一瞬言葉を交わしただけで、具体的な行動の打ち合わせはせずに動き出す。すなわち、詩由莉は空斗たちの後を和ゴスの裾をはためかせながら猛烈な勢いで追っていき、黒須は努めて自然な笑顔を浮かべながら、呆然としている空斗の両親の前に姿を現したのであった。
空斗たちを追跡する詩由莉は、彼我の距離を急速に縮めていた。
空斗たちが跳躍を繰り返しているのに対して、彼女は一度も着地をせずに夜空を飛んでいる。
(能力的に剣を使わないとほとんど幻想術を使えないのかと思っていたけど、想定よりは使える——だけど、見失うほどじゃないかな。もしかすると、私たちを完全に巻いたらダメっていう理性がギリギリのところで働いているのかもしれないけど)
埼玉の地下施設において、詩由莉は空斗の能力を剣の強化に特化したものであると聞いていた。そのせいで一歩目こそは遅れを取ったものの、彼女と空斗の間には圧倒的な地力の差がある。剣を持っていない状態の空斗では彼女を引き離すことはできなかった。
(幻想術も多少使っているみたいだけど、身体能力自体も普通より明らかに高い。彼の剣の方に装備者自身の肉体スペックを向上させる特性があるのかも)
詩由莉は空斗の能力を分析していく。
これは戦闘になった時に備えて——ではない。彼女はもし戦闘になったとしても、自分が問題なくかつだろうと自然に考えていた。これは自信があるという次元の話ではなく、彼女はただ事実としてそう認識しているのだ。
ゆえにこの能力分析は彼女自身のためではない。黒須にもたらす情報を増やすことによって彼に喜んでもらおうという、彼女の純粋な下心の現れである。
(——っと、止まった?)
空斗たちが停止したのは、河川敷を整備して作られた公園だった。
夜ということで人の姿は偶然なかったが、いつ人が来てもおかしくないだろう。
二人が停止したため、詩由莉も速度を落としてふわりと着地する。ロングのスカートが物理法則を無視して鉄壁の防御を誇っているあたり、二人の速度に追いつきつつもそういった面にもリソースを避ける彼女の余裕を表しているようであった。
「追いかけっこはもう終わりってこと?」
「ああ、別にお前から逃げたかった訳じゃないしな」
言いつつ、空斗の身体がいつでも動ける状態になっていることを詩由莉は見抜いていた。
隣のアズライトも一見すると自然体であったが、空斗に比べて彼女の方が動作の起こりが読みづらいので、詩由莉としては判断に迷うところである。
「じゃあ、私についてきてくれる?」
「——逃げたかった訳じゃないんだがな。少々事態が変わったらしい。お前、全力を出せないんだろ?」
「……ふーん、だったらどうするの?」
「何、それなら一当てしてみようと思ってな」
僅かに目を細めながら詩由莉が問うと、獰猛な笑みを浮かべながら空斗はそう返すのであった。




