異世界流離類型論5
詩由莉によるチェックの結果、二人の帰還者——空斗とアズライトの帰還初期対応は無事終了した。こうなると、二人を閉鎖空間に閉じ込めておく必要もないため詩由莉は幻想術を解き、次いでとばかりに新たな幻想術を発動させた。
「これは……?」
「冷んやり」
空斗が首を傾げ、アズライトはやや目を細めた。
流石にいきなり攻撃されるとまでは思っていないようだが、それでも突然幻想術を発動させた詩由莉に対して非難の視線を向ける空斗に対して言い訳するように、詩由莉は黒須を指しながら笑いかける。
「柊一郎くんがこんな格好してるのと、ここが地下だから勘違いするかもだけど、今は真夏だからね。一応、軽く空調を聞かせておくわ」
確かに黒須はしっかりスーツを着ているし、場所が地下なことも正しいのだが、それはそれとして自分は他人のことを言える格好なのかと思わず黒須は詩由莉のことをジト目で見た。
それもそのはず。彼女の格好は全身黒の和ゴスであり、冬に着ていたものに比べれば装飾は少ないものの袖も裾もロングである。どちらが暑苦しいかについては五十歩百歩といったところだろう。
ともかく、アオザイにも似た帰還者二人の格好は実は黒須達のものに比べれば涼しげなのだが、気を利かせた詩由莉が二人の周囲の気温を調整する幻想術を発動させたのだ。
「ありがと」
「どういたしまして。さ、外に行こう」
詩由莉が先導するような形で、四人は出口へ向かっていく。
構図としては詩由莉が帰還者二人に話しかけ、一歩引いたところから黒須が見守っているというものである。
帰還者二人は詩由莉のことを超特異拉致対策二課の協力者であるとだけ紹介されているのだが、詩由莉の見た目の年齢が二人に近いように見えることや人当たりの良い笑顔と口調から黒須よりは話し易いようであった。とはいえ、空斗はほとんど話さず、専ら詩由莉が話しかけてアズライトがぼそっと一言返す形であったが。
地下の治水施設から出た四人はすぐに車に向かった。
その到着間際、今まではほとんど会話に加わっていなかった黒須は久方ぶりに口を開いた。
「最初に行きたいところはありますか?」
黒須が尋ねたのは、これからの行き先だった。
その質問にやや目を見開きながら空斗が返す。
「どこか政府の機関に連れて行かれるんじゃないのか?」
「そうした方が都合の良いことも多いのですが、帰還者の皆さんはこの世界に帰るという確固たる意志によって帰って来た方が大半なので、まずは行きたい場所があるのではないかと聞くことになっているのです。もちろん、特にないというのなら、我々の——超特異拉致対策二課の本部に同行してほしいですが」
その言葉に空斗はやや逡巡する様子を見せた。
そんな彼の服の裾を、そっとアズライトが引く。
一瞬見つめ合うと、何かを確かめるように——決意したように二人は頷いた。
「……なら、行きたいところがある」
そう前置きして、空斗は一つの住所を黒須に告げたのであった。
空斗が黒須に伝えたのは、都内の高級住宅街の住所であった。何のことはない。彼が向かいたいと言った場所は、彼の実家だったのである。
「うーん、調べてみたけど、やっぱり家族リストには登録されてないね」
車を運転している黒須の隣、助手席に座る詩由莉がタブレットPCをスクロールしながら唸った。
異世界召喚は世界外部からの被召喚者に接続する大規模幻想術であり、感知することは容易くとも、感知と同時に阻止することは詩由莉を以ってしても難しい。被召喚者の主観はともかく、実のところ術式の発動とともに被召喚者はこの世界から別の位相へとズレてしまうので、世界内からそれを妨害できるタイミングがほとんどないのである。
そんな異世界召喚だが、前述の通り感知することは可能なので、後追いで場所と時間の特定することは比較的容易い。そのため、周囲の目撃情報の聞き込みや防犯カメラの映像といったものを用いた刑事ドラマのような手法で、誰が召喚されたのかは絞り込めることが多いのである。神秘部は秘匿されているものの国の組織であり、個人が特定できればその情報を得ることも容易い。そうして、被召喚者の家族や恋人の関係者のケアをするのだ。
この関係者のリストこそが通称、家族リストである。
「彼が召喚されたのは二年前だ。その頃にはまだ超特異拉致対策課は一つも稼働していなかった。遡り調査も少しずつ進めているが、まだまだ追いついていないんだろう」
「そうだね。どの課も目の前の業務をこなすのに手一杯って感じだし、唯一余裕のある特一はあんな感じだし……私、あそこはもう少し協力的でも良いと思う」
「そう言うな。日常的な業務は俺たちが担当し、有事の際にはあいつらが対応する。これが役割分断なんだ」
やや気軽な調子で黒須と詩由莉が会話をしているのは、理由がある。実はこの自家用車の後部座席に座った空斗とアズライトが妙に張り詰めた空気を醸し出してしまったのである。
話しかけられる空気ではないと感じた黒須は、詩由莉が妙なちょっかいをかけないように二人で会話を始めたのである(ちなみに詩由莉は人当たり良いような雰囲気を出していたが、本質的には黒須以外の人間の心情など興味がないため、黒須が止めなければ先ほどまでのテンションで話しかけてしまっただろう)。
同時に、日常的な会話をしている姿を見せることで黒須への警戒を解くという狙いもあった。
(しかし、何をそんなに身構えているんだ?カーナビを使ってるせいで別の場所に向かっているような勘違いもさせない筈だ。複雑な家庭環境とかか?)
空斗とアズライトが相変わらずの空気であることをチラリとバックミラーで確認しながら、黒須は内心首を傾げる。
とはいえ、直接尋ねることができない限りは答えが分かる筈もなく、彼は詩由莉と会話しながら目的地へと運転を続ける。
そうして運転すること一時間弱。黒須たちを乗せた車は閑静な住宅街の一画にある空斗の実家へと到着した。
「流石に二人では行かせてくれないよな?」
「どうしてもと言うのでなければ、避けたいところです。ご家族に異世界召喚に関する話をすることは禁止されていませんが、あまりにも突拍子もない話なので我々のような者がいないと拗れる場合もありますし」
もちろん、黒須が言ったのは理由の一端。他にも理由はある。
空斗の身元から、この家に住むのは彼の両親であることは裏が取れているのだが、流石に家族間の人間関係などは分からない。突飛な話かもしれないが、空斗が血反吐を吐くような思いをしてまで異世界から帰還した理由は、両親へと復讐すること——などという可能性もゼロではないのである。
もしくは単純に、黒須たちが目を離した隙に姿をくらますという事もありえる。
言葉とは裏腹に、黒須としては別行動を許す気はほとんどなかった。
「ぞろぞろと人が来るのが嫌なら、私と柊一郎くんの姿や気配を消して、後ろから見守っているっていうのも出来るよ?」
「なら、最初はそれで頼む」
「分かりました」
そうと決まればと、詩由莉が早速幻想術を発動させ、二人の姿と気配を消す。
それを確認すると、空斗は帰還時と同じくアズライトと手を繋ぎ、自宅の門へと歩き出した。
彼らは門の前で立ち止まり、空斗が大きく深呼吸を一度するとインターフォンを押す。
緊張感と裏腹に明るいチャイムの音が鳴り、誰何の声が聞こえた。
「俺——空斗だよ」
空斗が返したのは明らかに緊張した、やや擦れた声であった。
対して、インターフォンからは息を飲む声が聞こえ——数秒後、玄関から二人の男女が駆け出してくるのであった。




