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異世界流離類型論2

 詩由莉が帰還者の帰還を予知したために特二のオフィスを出た黒須たち。彼らが向かったのは埼玉の地下にある巨大な治水施設であった。


「ある意味わかりやすい場所で良かったな」

「そうだね。この辺りで座標の縦方向がこれくらい下ならこの施設内しかないだろうし」


 詩由莉の帰還感知の精度は未だ試運転といった状態の帰還感知システムであるRDSに比べてかなり高い。しかし、そんな詩由莉の感知にもRDSに勝てない点がある。それが座標と実際の地図との照らし合わせである。

 世界情報をそのまま読み取るような術式を使用可能な詩由莉でさえ——いや、そんな彼女だからこそ人間が後から付け足した地名や施設名といったデータは自身の中に持っていない。ゆえに地図を見ながら自分が感知した座標を実社会の「場所」へと変換するというアナログな作業が必要なのである。

 しかし、今回の場合はそれが容易であった。

 何故なら、詩由莉の言葉にもあるように、帰還座標が明らかに地下であったからである。


「この施設の管轄はお得意様の国土交通省だが、そもそも普段から人がいないからな。上層部への根回しだけで、あとは詩由莉の人払いで対応できる。変に街中とかに帰って来られるより数百倍楽だな」


 その根回しさえも今回は左庭に丸投げした黒須は、スマートフォンの振動を感じて、スーツの内ポケットから取り出した。

 彼が画面を確認すると、RDSからの帰還通知であった。


「RDSの方でも帰還を感知したらしい。そろそろ来るから、準備を頼む」

「うん、分かった」


 時間軸的に帰還が近づいたことにより高まった感知精度に基づき、詩由莉はある幻想術を発動させる。

 それは物理的な遮断術式——俗に言う結界のような術式だ。

 イメージするのはストレートに透明な壁。それを帰還予測座標を中心に四方、そして上を塞ぐようにもう一枚と構築していく。

 性質も何もない、物理的な壁のため、さして難しい術式ではない。幻想心臓(イマージナル・ハート)の相性が悪い——たとえば、埒外の幻想心臓(イマージナル・ハート)を持つジャージの少女のような——場合を除けば、比較的容易にどの帰還者でも発動可能な術式である。まして、降綱 詩由莉の手にかかれば朝飯前であった。

 彼女が何故このような結界を張っているかというと、帰還者の帰還時に起こり得る問題を防ぐためであり、実は彼女の行動は神秘部の初期対応マニュアルに基づいている。

 すなわち、帰還者が異世界由来の未知のウイルスや細菌、その他広義の意味での微生物等を持ち込んでいる可能性があるため、それがこの世界に広がるのを防いでいるのだ(実は、厳密な意味での未知の存在は紛れ込まないのだが、厳密な対策をするに越したことはないのだ)。

 また、反対に帰還者が何らかの理由で免疫力が低下しており、この世界のウイルスや細菌に弱い可能性もある。

 こうした事情から、帰還者の帰還に際しては、少なくとも結界が発動できる人員が現場にいる必要があると初期対応マニュアルでは定めているのだ。


(と言っても、帰還者に対応しているのは俺と詩由莉ばかりなのだから、今のところマニュアルは殆ど活用されていないが)


 一般的な職員が従うべき手順を示している初期対応マニュアルであったが、その最大の例外こそが詩由莉である。このマニュアルの作成には黒須も多大に尽力しているのだが、今のところ彼はその恩恵をほとんど受けていなかった。


「準備OKだよ。そろそろ——来たみたいだね」


 結界術式を発動しているとはいえ、その目的は内外を物理的に隔てることであり防御ではない。そのため、詩由莉の張った結界は名前から受ける印象よりも遥かに脆い。

 誰よりもそれを理解している彼女は、不足の事態に備えて黒須の近くに移動しながら、結界の中心を見つめ続けた。

 幻想心臓(イマージナル・ハート)を持つ帰還者ならば、結界の中心で大気中の幻想力が急速に消滅していくことが分かっただろう。これは異世界(あちら)この世界(こちら)を無理矢理繋げる幻想術が、自身の維持のためにこの世界(こちら)の幻想力を異世界(あちら)の術者やシステムに送り込んでいるのである。

 一般人にもそろそろ空間の歪みが何らかの形で見えるだろう——というところで、詩由莉の瞳の焦点が僅かに揺らぐ。

 ——何処か遠くを見ているというよりは、そもそもその身体を通しては何も見ていないように。


「持っている幻想心臓(イマージナル・ハート)はかなり強力だけど、ケースはB以下みたい。少なくとも『あの子』のところは通っていないと思う」

「了解……ともかく、まずはコミュニケーションだ。俺たちもまだ経験豊富って訳でもないから、集中していこう」


 いよいよ自身の目にも空間が揺らいでいる様子が見えてきた黒須は、手早くスーツを整え、ネクタイを締め直した。

 こういうものは最初の印象が大切である。服装から入ることを馬鹿にする風潮もあるが、服装程度で印象を少しでも良くできるのならば喜んで整えるのが黒須のスタンスであった。

 そうこうする内に、結界内に光が満ちた。

 ついに、強引な常理の捻じ曲げによって世界が悲鳴を上げ、発光という形で黒須にも視認されたのである。


「二人か……?」


 光の中に現れたシルエットは二人分。

 二人は寄り添い、手を繋いでいることが黒須からも分かった。


(手を繋ぐというのは(はな)(ばな)れにならないようにする対策か……いや、単純に不安の現れという方が正しそうだな。ケースBということは、帰還の術式を自分で行使した訳ではない。元の世界に帰れる確証も無ければ、不安にもなるか)


 光が徐々に収まり、二人の姿が黒須からも見えるようになってくる(なお、詩由莉には最初から二人の姿が見えていたがノーコメントであった)。

 片方は高校生くらいの少年であった。

 身長は175cm程度で細身。決して日本人離れした容姿ではなかったが、唯一特徴的なのは黒髪の中に数本深紅のラインが入っていることであった。

 もう一方は中学生くらいの少女。

 青と空色が入り混じった瞳と髪が特徴的で、見る角度によってもその割合が変わって見える不思議な少女であった。どこか儚げで、身体の端々が世界に溶けて消えているような印象さえ抱かせる人物であった。

 二人の服装は双方ともに日本の服ではない。強いて言えば、ベトナムの民族衣装であるアオザイに似ている服装であった。ただし、織り込まれている紋様は黒須には見覚えのないものだった。


(断定できないが黒髪の方が帰還者、青髪の方はその随行者もしくは眷属か。しかし、あの目付きは……)


 黒須も決して目付き良い方ではないが、少年も相当であった。

 普通に育ったら——いや、現代日本において多少不良になったところでなるような目付きではない、鋭い目付き。

 過酷な異世界から帰還した帰還者特有のそれが、少年にも宿っていた。


「凄いね。戦士って感じだ」


 黒須の隣にいた詩由莉がぽつりと呟いた。

 彼女は決して茶化している訳ではない。素直に感心して言っているのだ。

 そして、その声が聞こえたのだろう。二人組が黒須たちに気づいた。


「……お前たちは?」


 少年の方が身構えながら訪ねる。

 その構えは達人のそれではないが、堂に入ったものであった。おそらく異世界で生き抜くうちに培ったものなのだろう。


「宮内庁神秘部超特異拉致対策二課の黒須と言います。端的に言うと、異世界から帰って来た方々の世話や相談に乗ることが仕事の公務員です」


 そう言って、黒須は二人に向けて頭を下げたのであった。

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