異世界流離類型論1
新章スタートです。
書き溜めはあまりできていないので、「黒と白」よりはややゆっくり進めていきます。
それは黒須 柊一郎が降綱 詩由莉と相棒となってから一年ほど経った2013年の夏の昼過ぎのこと。
黒須は左手で団扇を仰ぎながらPCで書類仕事に勤しんでいた。
場所は神秘部超特異拉致対策二課のオフィスである。
「あー、ダメだ。やっぱエアコンが故障していたら仕事にならん」
愚痴を溢す。
神秘部は近年増え続けている超特異拉致——所謂、異世界召喚事案に対応するために、2012年に新設された部署である。しかし、対応とは言うが、所詮は事後対応であり、異世界召喚を防ぐことは原理的に不可能である。
それはすなわち、対処不能な拉致事案が今後も発生しうるということである。
そのようなことを公表すれば、多大な混乱が起こることは簡単に予想がつく。そのため、超特異拉致は勿論、その対応が専門の神秘部もその存在を秘匿されているのである(これは日本だけでなく、超特異拉致に存在に気づいた全ての国家・組織が同様の立場を取っている)。
国家に所属する秘匿組織。
言葉にするならば簡単であり、物語でも良く聞く設定である。しかし、実際に運営するとなると、このご時世では難しい。
一般に気づかれずに経費を落とすだけなら裏のルートは幾らでもあるし、武装を始めとした装備も元々が特殊な品だけに徐々に供給方法が確立されつつあった。しかし、難しいのは一般的な備品や施設の整備である。
簡単に購入でき、経費を後で請求できるものならば良い。
しかし、専門家にしか設営や管理ができず、元来国が専門のルートを持っていないようなものに関しては、単純には済まない問題なのだ。
つまるところ、既に特二の課長である左庭がエアコンの修理を上に依頼していたが、なかなかそれが行われることはなかったのである。
「お疲れ様、柊一郎くん」
不意に黒須の机にアイスコーヒーが入ったグラスが置かれ、からりと氷が涼しげな音を立てた。
やや驚きつつ彼が振り返ると、そこにはこの暑いのに全身黒の和風ゴスロリ服——所謂、和ゴスを纏った少女がいた。
全てのパーツが極限の完成度を持つ、作り物めいた美少女である。
「詩由莉……」
少女——降綱 詩由莉の姿を確認したことで、黒須の眉間の皺が一層濃くなる。
別に彼が少女のことを嫌がっている訳ではない。
彼の主観では少女との付き合いは一年ほどになるが、基本的に波長は合うし、何度かの話し合いを経て過激な行動(彼女曰く趣味)も減ったため、付き合いやすい相手であると認識している。
勿論、仕事面でも頼りになる相棒である。
しかし、それとは別次元で思うところがあったのである。
「まだ夏休みには入っていない筈だが学校はどうした?」
「あー、学校ね……あはは、体調不良で早退しちゃった」
えへへ、と笑う詩由莉。
最強の帰還者こと降綱 詩由莉は一般的な高校に通っていた。
この通学は政府や黒須の希望ではなく、彼女から出された希望である。
彼女の見た目の年齢だけならば、確かに高校生と言っても問題なく通じるのだが、その内面を知っている者からすれば違和感しかない。実際、左庭を始め、政府の人間たちは彼女が何故高校へわざわざ通っているのか分からずに訝しんでいた。
彼女曰く、「少しでもまともな経歴を手に入れるため」なのだが、これが冗談ではなく本音であり、その目的が何なのか知っている人間は黒須だけであった。
「仮にも体調不良で早退した奴が、着替えてまで出歩いちゃ駄目だろう」
「大丈夫大丈夫。部屋を出ることはしたけど、外を歩いてはいないから」
「どんな屁理屈だ……」
書類上の詩由莉の保護者は黒須である。
そのため、何か問題があれば彼のところに高校から連絡が来るのだ。
ゆえに頭を抱える黒須であったが、その一方で珍しいとも思う。(黒須にとってはやや意味不明な)我が儘を言うことも多い詩由莉であったが、このように彼にも迷惑が掛かるようなものは未だ皆無だったのである。
「何かあったのか?」
やや真剣な眼差しで問い掛ける黒須。
すると、詩由莉は何故か顔を赤らめながら答えたのである。
「帰還者が来るよ。それも結構強力な人がね」
帰還者が来る——それは文字通り、帰還者が異世界から帰還することを意味している。
現在、超特異拉致対策三課の開発部門が総力を上げてこの帰還イベントを検知するシステム(Return Detection System = RDS)を開発しているのだが、まだまだ予測に関しては数分前が限界の精度である。
そのため、そのRDSの開発に協力している詩由莉の方がより早く帰還者の存在を察知することがあるのだ(厳密にはRDSは詩由莉の術式を機械工学と幻想術の融合技術によって再現することを目標とされており、特三の一部では詩由莉は歩くRDSと言われている)。
ともかく、強力な帰還者が帰ってくると言うならば、黒須の所属する特二も動かなくてはならない。
彼は「……そんな真剣な表情でいきなり見つめられたら照れちゃうよ」などと小声で呟いている詩由莉をスルーして、左庭のデスクへと向かった。
「課長、詩由莉曰く強力な帰還者が戻ってくるそうです」
「聞こえていたよ。彼女がわざわざ言うくらいだ。相当強い帰還者と見た方がいいだろうね」
「そうだと思います。あいつの感知は正確なので……それで、どうしましょうか?」
「どうしましょうか?」というのは文字通りの意味である。
現在、発足したばかりの特二は慢性的な人手不足——というより、課長の左庭と黒須、それに非公式なメンバーである詩由莉の三人しかいないのだ。
元々、発生する異世界召喚の数に対して帰還者の人数は少ない。その原因はそもそも異世界に放り込まれて生き延びることが難しいことと、生き延びた者は逆に順応してしまい帰ってこないことにある。そうした背景に合わせて、現存する数少ない帰還者も優先的に特一や特三に配属されてしまうのだ。
(お上としては国防に直接関与してくる特一や特三に戦力を割り当てたいんだろうが、そろそろウチも限界に近いぞ)
特二の業務は派手さはないが、多岐に渡る。いくら神秘部に所属した帰還者の面談はその課の上司が代わりに引き受けてくれているとはいえ、そろそろ特二はキャパオーバーを迎えつつあるのだ。
エアコンの壊れたオフィスでも黙々と黒須や左庭が書類仕事をしていたのは、これが原因であった。
そして、そんな状況で黒須と詩由莉が現場に行って大丈夫か?——それが黒須の質問の意図であった。
「行かないわけにもいかないでしょ。幸い交渉に成功して、僕の実家から人員を一人引っ張ってこれた。その人が今日の夕方には到着する予定だから、君たちは現場に行ってくれないかい」
「課長の実家っていうとあの左庭家ですよね?勿論助かる話なんですが、良く人を出してくれましたね?」
左庭の実家——左庭家は複雑な事情を持つ旧家であり、何より帰還者の事情に精通している。そのため、特二の当初は助けがあるものだと黒須は期待していた。しかし、実際にはまるで助けがないことや左庭の口ぶりから、黒須は既に諦めていたのである。
「ええ、色々と交換条件を出されてしまったから、今後いろいろと便宜を図る必要があるけどね。何より、来てくれる本人が自ら希望してくれたのが大きかったよ」
「そういうことなら、自分は詩由莉と一緒に現場に行ってきます。上からの指示に先立って現場に向かうことになるので、何とか誤魔化しておいてください」
「たまたま外回りで近くにいたことにでもしておくよ」
「よろしくお願いします」
軽く頭を下げると、黒須は踵を返して自らのデスクに戻る。
彼は氷がだいぶ溶けて薄くなってしまったアイスコーヒーを一気に喉に流し込むと、話の流れを読んで既に鞄や車のキーを準備していた詩由莉に声を掛けた。
「行くか」
「うん!」
笑顔で頷く詩由莉を連れて、黒須はオフィスを出るのであった。




