黒と白 エピローグ
黒須たちがエルデハイトを取り逃した夜から数日後、黒須は特二の執務室で書類処理に勤しんでいた。
そんな彼の背後から少女が近づき、コーヒーを入れたマグカップを彼の机に置いたのである。
「お疲れ様、柊一郎くん」
「ああ、ありがとう……そうか、もう大学が終わる時間か」
ちらりと時計を見ながら黒須は言う。
黒須の台詞にもあるように、最強の帰還者こと降綱 詩由莉は大学生である。異世界転移前の年齢的にも彼女の主観における年齢的にも、日本の一般的な大学生の年齢を大きく上回っているのだが、見た目的には違和感がなかった。
ちなみに、大学に行く時も黒尽くめの和ゴスを着込んでいることについては、大した度胸だと毎度ながら黒須は感心している。
「うん。今日は三限までだったから。それで、そろそろ始末書の山からは解放されそう?」
「ああ、今書いているので終わりだ」
始末書とは勿論エルデハイトの件——ではない。
黒須が書いていたのは、主にゴロフが突然開催した花見によって通した無茶に関する始末書である。
そもそもエルデハイトの件に関しては黒須に問うことができる責任は殆どないのだ。
エルデハイトの転移に気付けなかった事。これはRDSの不備である。この件に関しては特三が詩由莉のアドバイスも受けながら、システムの改修を急ピッチで進めていた。
エルデハイトによって、保護していた高雄を拉致された事。
高雄についてのデータやエルデハイト自身のデータを改竄され、さらには特二に潜入された事。
これらは特二全体で見れば前代未聞の不祥事であり、課長の左庭はこれらの件で上から責任を追及されていた。ただ、立ち上げ当初からいて、半ば左庭の右腕的な扱いを受けているとはいえ黒須は一般職員である。ゆえに、彼に出来ることは左庭の手が回らなくなった仕事を手伝う事くらいである。強いて言えば、不運なことに高雄の担当をしていた職員は始末書を書かされていたが、それについても相手がケースAであった事により、重い処罰は免れていた。
襲撃された際にエルデハイトを取り逃した事。これに関しては黒須も上から多少叱責を受けた。しかし、お門違いもいいところであると彼は思っている。なぜなら、特二は帰還者のメンタルケアや彼らと社会との折り合いをつける事が業務であり、暴力的な手段を以って帰還者を捕らえる事など業務外も甚だしいのだ。
あの場にいたのが黒須ではなく他の職員だったら、取り逃したなどと言われる事もなかっただろう。単に「黒須がいたならば詩由莉もいたのだから、何故できなかったのか?」という無茶苦茶な理論なのである。
この件に関しては、詩由莉の「あの場で捕まえても良かったのですが、周囲一体は灰塵と化しても問題なかったという認識で宜しいでしょうか?」という台詞によって最終的には不問に付された。むしろ、良く彼女のことを止めてくれたと、黒須は左庭から感謝されたくらいである。
このように、エルデハイトが引き起こした事件は多方向に影響をもたらしたが、驚くことに黒須への影響は少なかったのである。
とはいえ、勿論皆無というわけにはいかなかった。
「今日は外回りも無かったし、あとは通常業務?」
「……実は特一に呼び出されてるんだ。おそらくエルデハイトの事について直接話を聞きたいんだろう」
特一——超特異拉致対策一課は神秘部が持つ暴力装置である。所属しているのは全て戦闘に特化した能力を持つ帰還者であり、帰還者が暴走した際の鎮圧から、幻想術による国家間の闘争時の戦力まで、神秘部の血生臭い側面を一手に引き受けている。
逃走したエルデハイトの確保は当然彼らの任務であり、エルデハイトの件は既に特二から特一へと引き渡されたのだ。
「特一に?大丈夫、私も行こうか?」
何だかんだ、神秘部の花形は特一である。その自負もあってか、特一は他の課を下に見ている風潮があった。戦闘に特化したものを集めたことに原因があるのだが、彼らは強さこそ正義とする風潮が強かった(一般社会で暮らすならばこうした傾向は面談によって更生されていくのだが、特一に配属される者に限れば闘争心として働くため、あえて放置されるのだ)。
特に帰還者ですらないにも関わらず神秘部の職員である黒須など、彼らにとっては下の下なのだ。
「いや、大丈夫——と言いたいところなんだが頼む。実は特一からは詩由莉も連れてきてくれって言われてるんだ。たぶん、帰還者の目から見たエルデハイトの情報も欲しいんだろう」
「ふーん。そういう所は謙虚なんだ。でも、帰還者から見た情報ってことは、私だけじゃなくてアイツとかゴロフさんの話も聞いた方が良いってこと?」
「それは面談の時に聞いておけば良いって事になってる。というか、ゴロフのオヤジやレイジュエルさんあたりは勘付いてただろ」
彼らは完全にとまではいかなくとも、何かしらエルデハイトに対して感じていた——そう黒須は考えている。思えば真凛も様子が変だったが、あちらは野生の感なので言語化不可能だろうと、真凛に関しては諦めムードの黒須であった。
そして、ふと思うことがあって、黒須は詩由莉に向き直った。
「勘付いていたと言えば、詩由莉も俺のことに気づいていたのか?」
「うーん、どうだろうね」
何が?と詩由莉は言わない。
当然、エルデハイトが予想した黒須が異世界転移に関わり続ける理由の話だろうし、彼女としても黒須がいつこの話題を振ってくるのかと、この数日間身構えていたのだ。
「あの時も言ったけど、私はあの理由がいけない事だとは思ってないよ。あと、柊一郎くんが異世界転移に——というより、私たちのクラス集団転移について拘ってる理由はあれだけじゃないと思ってる。勿論、理由の一端ではあるけどね」
黒須は詩由莉の言葉に驚かない。
この数日で、彼は自分でも深く考えてみたのである。そうして辿り着いた結論は詩由莉と同じ。
決してあの理由だけではない、である。
「その顔は教えてくれる気はないって事か?」
「その通り!柊一郎くんは自分の事には無頓着な節があるから、自分を見つめ直す良い機会だと思う」
「はあ……これも目を逸らしてきたツケって事か」
黒須はため息を吐いた。
彼はこの数日で、エルデハイトが語った「非日常を楽しんでいる」という理由とも向き合った。
その上で、彼は気づいたことがある。
「じゃあ、ちょうど良い機会ついでに聞いてくれ」
「良いよ」
「エルデハイトは言ってなかったが、俺は帰還者が羨ましいっていう理由もあるんだと思う」
「羨ましい?異世界に行きたかったって事?」
当然違うということを承知で詩由莉は聞き返す。
笑顔を絶やさずに、しかし興味深そうな視線を隠そうともしない彼女は、生徒の回答を見守る教師のようであった。
「異世界に行く行かないではなくて、帰還者が持っている力自体かな。何だかんだ、あの日——俺だけこの世界に取り残された日から、俺は自分の無力さばかり味わってきたから」
当然彼は努力をしたし、その分成果も得た。
しかし、彼が望んだものには遥かに届いていないのが現実である。
この想いにも、非日常を楽しんでいるという面にも、黒須は答えを出すことはできていない。まだ彼は問題を見つけたばかりなのである。
「詩由莉も言ってたけど、まずは向き合うしかないよな。その上で、これは自分で答えを出す必要がある問題だ」
「偉い偉い!他の誰もしてくれないと思うから、私が褒めてあげよう!」
よーしよしよし、と。
大型犬でも相手にするような手つきで、詩由莉が黒須の頭を撫で回す。
「止めてくれっ」
黒須は何とか脱出すると、立ち上がった。
「この話はここまでだ!とりあえず、特一に——」
その時、彼のPCにアラートが表示される。
それはRDSから発せられたもので、意味することはただ一つ。
「新しい帰還者か……」
「どうする?今回みたいに異世界を攻略して帰ってきた危険な相手かもしれないよ?」
少し悪戯っぽく詩由莉は黒須に尋ねた。
とはいえ、これは信頼の証。彼の回答が分かっているからこそ、その回答を聞きたくて彼女はわざとやっているのだ。
「馬鹿言うな……異世界転移なんてただの拉致だ。その被害者を迎えに行くのに躊躇うわけないだろう」
黒須はそう言い切ると、笑顔で頷く詩由莉を連れて部屋を飛び出していくのであった。
本話でこの章は終わりです。
一段落つきましたが、まだまだ書きたいことはあるので続きも書いていきます。
閑話的な回を挟んで次の章に行く予定なのですが、(早くも)ストック尽きてしまったので、少し時間が掛かるかもしれません。
最後に、もし少しでも面白いと感じたり、続きが読みたいと感じたりしていただけたのなら、【感想】や【ポイント評価】、【ブックマーク】などをしていただけると幸いです。よろしくお願いします。




