黒と白11
貴方のことの方が気になっている——エルデハイトはそう言って微笑んだ。
場面を間違えると、まるで愛の告白のようだが勿論違う(詩由莉の視線がやや冷たくなった気がしたが、黒須は気のせいと思うことにした)。
「詩由莉のこと以外で考えると、俺の過去のことか?」
黒須の過去。それは中学生時代のクラス集団転移から一人取り残されたこと。
「ええ……集団転移から取り残された彼は、一見すると神秘部立ち上げに際して偶々配属されたように見えました。しかし、よくよく調べるとそうではないことが分かります。彼——黒須さんはずっと異世界転移を追っていましたね?」
それは学生時代の集団転移未遂から、今に至るまでの黒須の生き方。
特二でも課長と詩由莉しか知らない彼の経歴をエルデハイトは丁寧に調べ上げていたのだ。
「転移事件を忘れたくて距離を置くなら分かります。残された者にとっては手掛かりもなければ出来る事もない。加えて、世間や周囲の人間からは好奇の目で晒されたり、嫌疑を掛けられることもあるでしょう。実際に家族や友人が異世界に召喚された人には、そういう対応をした人もいた筈です」
それは超特異拉致——異世界召喚の負の側面。
今でこそ家族や友人を異世界に召喚された人々のケアは特二が担当しているが、特二が設立されるまではより厳酷だった。
手掛かりや理由なんて掴める筈もない、暗闇で彷徨うような日々を彼らは送ることになる。
その途中で彼らが諦めたとして、誰が彼らを責める事ができるだろうか。
そうして希望を失った彼らは、今度は異世界召喚——もちろん、それと分かっている訳ではないが——から距離を置こうとするのだ。こうした経験は大なり小なり誰しもあるだろう。
「ですが、黒須さんはそうしなかった。むしろ、積極的に関わっていたように見えます。ここで立てることが出来る仮説は二つ。自分が異世界に召喚されたいのか、それとも誰か帰りを待つ人物がいるのか……要するに何かしら異世界に未練があるということです」
「それは……」
二の句が継げなくなる黒須。
それはエルデハイトの言葉が図星だったから——ではなかった。
そして、単純に間違えていたからでもなかったのである。
前者は論外。
異世界に召喚されたいなどという事を黒須は思ったことがなかった。
彼はそれだけは断言できる。
何故なら、彼は異世界召喚を自身の意思で断っているのだから。
むしろ後者。
帰りを待つ人物がいるから。
勿論、人間の思考は単純ではない。そのため、理由を一つに絞る事はできないが、待つ人物がいるという事は自身の行動の根底に存在する——そう黒須は考えていたのだ。
しかし、気づいてしまった。
(他人に言われて初めて気づいた。それは俺の中で理由になっていない。いや、アイツが帰ってくることは望んでいる——望んでいるが、叶わない願いだと自覚していた……?)
「その顔。やはり自覚がなかったんですね。その通り。貴方が異世界転移に関わっている理由はこの二つのどちらでもありません」
「俺は……そうだ。俺は、単純に俺の中であのクラス集団転移という事件に蹴りをつけるために——」
「それも違いますね。いや、理由としてはそれもあるでしょうが、それは関わることを止めない理由であって続ける理由ではありません。続ける理由はエネルギー源。魂を突き動かす燃料となるものです」
エルデハイトはじっと黒須の目を覗き込む。
まるで自身の奥底まで見透かされているような錯覚を覚え、思わず黒須は目を逸らした。
「今日を黒須さんと過ごして僕が出した結論は単純です。貴方は帰還者と関わることで、自分の手に入れられなかった非日常の片鱗を味わっているのです」
「なっ——」
黒須は絶句する。
否定できなかったのだ。
異世界召喚自体は未だに唾棄すべきものであると考えているし、自身は召喚など何度でも断る。しかし、帰還者自体には悪い感情はないし、むしろ応援している立場である。そのことを黒須は自覚しているからこそ、否定する材料がないのだ。
「黒須さんは帰還者たちとの距離感がかなり近い。確かに彼らが望んだからという事もあるでしょう。それでも普通は恐怖や忌避の感情もある筈です。最強の相棒がいる安心感?確かにそれもあるかもしれません——でも、今日はいませんでしたよ?」
黒須は吐き気にも似た自身に対する嫌悪感が込み上げてくるのを感じた。
(彼らと関わる事で非日常を感じていただと?何という冒涜。何という侮蔑。確かに楽しい事もあっただろう。それでも、それは彼らがやり抜いたからだ。等しく苦痛や挫折もあった筈からだ。少なくとも物語を読むように俺が娯楽として消費していいものじゃない!)
くらり、と。
思わず彼の体が傾きかけた。
それを受け止めたのは彼の相棒——詩由莉であった。
「大丈夫だよ、柊一郎くん。その程度のことで揺らがないくらい、皆は柊一郎くんのこと信頼してる。あなたが私たちにこの世界でしてきてくれたことは、そのくらいじゃ無くならないよ」
「詩由莉……」
「大体そのくらい楽しんで良いんだよ?柊一郎くんは昔から真面目すぎるし、自罰的すぎるから」
黒須を安心させるように微笑むと、詩由莉はエルデハイトへ視線を送る。
「さて……そろそろいいかしら?」
「ええ。僕の話を聞いていただきありがとうございました。そこで相談なんですが、黒須さんの自己分析への貢献に免じて僕を見逃してもらえませんか?僕はこういう情報収集や分析も得意ですし、役に立ちますよ?」
エルデハイトは、あえて詩由莉ではなく黒須を見て言った。
半ば詩由莉を無視した形になるが、強ち間違いでもない戦術である。
この二人の場合、主導権はどこまでも黒須が握っているのだから。
「所謂、非合法の情報屋です。調べてみたところ、特二も黒須さんも他省庁との折衝から帰還者へのメンタルケアまで、なるべく先手を打とうと努力しているのは分かりますが、あまりにも情報不足。僕と組めば、報われる努力だけで済む分、すごく効率的になります」
それは悪魔の囁きであった。
まさにラプラスの如く自分が全てを見透そう、と。
努力が全て報われるのだ、と
それは甘言であり、事実の一端を突いているのだろう。
エルデハイトの能力は詩由莉のもの程の派手さがない分——いや、無いからこそ、この世界では驚異的だった。ただし、非合法であることに目をつぶればであるが。
「努力が必ず報われる、か……」
「ええ、やはり努力はいいものですよ。僕も異世界ではコツコツとステータスを上げるために努力したものです」
黒須は俯き、その表情はエルデハイトからは窺え知れない。
黒須の表情が分からないのは、横にいる詩由莉も同様なのだが、彼女は次に来る黒須の返答が予想できて微笑んだ。
「悪いなエルデハイト、見解の相違だ。俺は『努力が必ず報われる』って言葉、嫌いなんだ」
努力は必ず報われる。
非常に耳障りの良い言葉だろう。
しかし、黒須は考える。
必ず報われると分かってする努力と、報われるかも分からない——ともすれば報われることなど無いと知っていてする努力。どちらの方が好きかと。
黒須は後者であった。
報われないこともあると理解しつつもする努力の輝きこそを尊いと、彼は思うのである。
故に、彼は叫ぶ。
「詩由莉!」
まさに阿吽の呼吸。
黒須が呼びかけた刹那、詩由莉の黒い触手が殺到した。
「交渉決裂ですか!」
しかし、エルデハイトもケースAの実力者である。黒須の目にはまるで見えなかった詩由莉の一撃を、彼は後方へ大きく跳ぶことによって回避した。
エルデハイトは、この結果も予期していたのだろう。流れるような動きでさらに黒須たちから距離を取ると、夜の闇に紛れるようにして姿を消した。
とはいえ、この程度で最強の帰還者からは逃れることは不可能である。詩由莉は未だ、完全にエルデハイトの位置を補足していた。
しかし——
「柊一郎くん、人払いが解かれたみたい。今ならまだ追えるけど——」
「いや、止めよう。今回は申請も通してないし、この前のこともあったばかりだ。これ以上、詩由莉に不自由を強いたくはない」
「私は別に平気だよ?」
「俺が嫌なんだ」
言いつつ、黒須は顔をしかめた。今回の件は反省点があまりにも多すぎたためだ。
羞恥と自分への怒りで思わず叫び出したくなる黒須であったが、深く息を吐きながら天を仰ぐに留めた。
その横で、詩由莉は黒須の言葉を噛み締めて、口元を緩ませるのであった。
とても難産でした……
辛かった……




