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黒と白1

 異世界召喚と聞いて思い浮かべるものはなんだろうか。

 ある者は言うだろう。

 「やっと自分が主人公になれる」と。

 ある者は言うかもしれない。

 「これであらゆる欲望が満たされる」と。

 ある人生に疲れた男は言った。

 「他に選択肢などなかった」と。

 ある追い詰めたれた少女は言った。

 「私の望みが叶う唯一の手段」と。

 そして、ある男曰く——あんなものただの誘拐に過ぎない。







 そのドアはありふれた事務所の一室の扉としか説明のしようのない、飾りもなければ重厚感もない灰色の扉だった。世間に対して秘匿されているとはいえ、仮にも宮内庁の内部部局の一つに所属する課の執務室としては、似つかわしくはないものである。

 加えて場所も場所だ。

 ありふれたやや古い建物の薄暗い廊下の丁字路の突き当たり。

 廊下に申し訳程度にある磨りガラスの小窓からは光が差し込み、埃がキラキラと輝いている。

 そんな場所に扉はあった。

 そのためだろう。

 一人の青年が扉の前で逡巡していた。ちらりと自分の手にしている紙の書類——恐らくは辞令書であろうものを見ては、ドアの右上にある表記と見比べている。

 目の前のドアの表記と自身が持つ紙の表記は確かに一致している。しかし、それが納得できないというような仕草であった。

 年の頃は二十歳ほどであろう幼さを残した顔立ちと、それにミスマッチな癖の強い白髪を持つ青年である。線の細い体躯からは、自信の無さが滲み出ているようだった。

 彼は明らかに動揺していた。

 ——すぐ隣、三メートル程度しか離れていないところから男が自分をじっと見ていることに気づかない程には。


(課長が言ってた今日来る新人っていうのはこいつか……さて、どうしたもんかな)


 男は男で頭を悩ませ始める。

 20代後半程度に見える平凡な容姿な男であった。

 ある程度引き締まった体に、辛うじて目が出ている程度の長さの黒髪。唯一の特徴といえば、無表情ではなく()()()面なことくらいだろうか。

 出勤して自分のデスクに向かうこと三十分強。寝不足が祟って早々に集中が切れ始めたため、彼はコーヒーでも買ってこようと一旦席を外していたのである。

 そして、戻ってみればこの状況である。

 彼は自分のコミュニケーション能力が決して優れていないものであることを自覚していた。しかも、彼が所属している部署はいろいろと()()なのである。

 彼が現実逃避として缶コーヒーのキャップに指を掛けたのも無理はないだろう。

 しかし、結論から言うと、彼は廊下で缶コーヒーを開栓するはめにはならなかった。


「あれ、何をしているんだい君たち?」


 第三者の声。

 声の主は丁字路の突き当たりにある部屋へ、男とは別の廊下からやってきていた。そのため、声の主の姿は男からは死角となって見えない。

 とはいえ、その人物は男の直属の上司であり、付き合いもそろそろ長くなってきた相手である。当然、男は声の主が誰か気づいていた。


「おや、黒須(くろす)くん。居たのかい。それなら助けてあげないと」

「すいません、課長。今まさに声を掛けようとしていたのですが……」


 青年に近づく途中で、姿が見えたのだろう。男——黒須の上司は困ったような笑みを浮かべながら彼に注意をしてきた。

 課長——左庭(さにわ) 武光(たけみつ)は、その名前から受ける印象とは真逆の枯れ木のような容姿の人物である。

 180を超える長身ながら、無駄な肉はおろか必要な肉も最低限しかついていない彼は、風が吹いただけで折れてしまいそうなどと部下たちによく揶揄されている。50代も後半に差し掛かる年齢が原因かと思いきや、少なくとも数年前からこの体つきであることを黒須は知っていた。

 そんな左庭がうず高く積まれた紙の書類を両手で抱えていたため、彼はすかさず嘘をつきながら扉を開けた。

 その間、青年は事態について行けずに「えっ?えっ?」と言いながら、目を白黒させていた。


「さあ、入ってエルデハイトくん。まずは色々と説明しよう——おっと、黒須くんも僕の席まで来てね。君にもまとめて話してしまいたいから」


 青年の背を軽く押しつつ、左庭は黒須が開けた扉を通って部屋に入っていった。

 それを見送り自身も入室する黒須。彼は静かに自分の席へと逃げようとしたのだが、背後も見ずに発せられた左庭の声に止められてしまった。


(はあ……やっぱり俺か。しかも、()()()()とは……)


 僅かな左庭の台詞から判明した厄介な事実に内心ため息をつきつつ、黒須は左庭に返事をすると彼の席へと向かった。勿論、流石に缶コーヒーは自分の席に置いたが。

 そうして黒須は青年の横に並ぶ形で、左庭の席の前に立つ。

 三人が通ってきた扉を除くと一切の出入口がない長方形の部屋。その再奥の窓際の席が左庭の席だ。

 デスクトップPCとモニター、それと積まれた書類の山々。その隙間から見える左庭はどこか人の悪い笑みを浮かべていた。


「さて、エルデハイトくん。彼がウチの課——宮内庁神秘部超特異拉致対策二課のエースの黒須 柊一郎(とういちろう)だよ」

「課長、エースとか止めてください。俺はそんな大層なもんじゃありません」

「実際、実績は一番なんだから謙遜することないのにね……っと、それはともかく、黒須くんにはエルデハイトくんの研修をお願いしたいんだ」


 嫌な予感が的中したことに落胆しながらも、黒須は改めて青年を見た。

 その青年はというと、キラキラとした子犬のような目で黒須を見つめていた。顔には露骨に黒須への憧憬が表れている。

 どっと疲れが溜まるのを黒須は感じた。

 それと、他人事のように笑っている左庭への怒りも。


(……席に戻る前に書類を一山崩すか)

「ほら、エルデハイトくんも自己紹介して」

「あっ、はいっ。エデルハイト・リーフベルト。ケースC0の名前持ちです」

「名前持ちなことは分かっていたが、0か……」

「すいません」


 キラキラとした表情から一転、肩を落とすエルデハイト。これまた子犬のようだと黒須は思っていた。叱られてシュンとする、そんな子犬である。


「お前が謝ることじゃないさ。お前たちは被害者なんだ、俺と違ってな。それより課長、俺はあいつが帰ってくるまでしか研修を担当できないと思うんですが、どうするんですか?」


 彼が思い浮かべたのは長い付き合いの相棒の姿。その相棒はというと、今は珍しく出張に行っていた。そのため今でこそ黒須はペアを組んで研修することができるが、相棒が帰ってきたら研修の続行不可能だというのが黒須の認識である。

 ……なんというか、色々と()()()相棒なのである。

 そして、この認識は左庭も同様なようだった。


「それは分かっているんだけどね……この課はほら、特殊な人が多いから。新人研修なんて君にくらいしか頼めないんだ」


 ちらりと室内を見渡す左庭。

 パソコンに向かいながらもどこか新人の様子を窺っていた数人のメンバーは、さっと視線を逸らした。次いで、言い訳をするようにキーボードを叩く音が響く。

 今度は隠すことなく、黒須はため息をついた。


「課長も今は空いているのでは?」


 黒須は一応の抵抗を試みる。左庭の有能な秘書も今は別件でいないことを知っているからこその反撃である。

 とはいえ、攻撃力はかなり低いであろうことは誰よりも黒須が自覚していた。

 何せ、彼の机の上の惨状——処理すべき書類の山が見えているからである。

 それを左庭も分かっているのだろう。彼はただ肩を竦めるだけである。

 その視線が雄弁に語っていた。——代わってくれるのかい?と。

 勿論、黒須の答えはノーである。


「……分かりました。でも、あいつが帰ってくるまでの3日間だけですよ。それ以上は俺はともかくコイツや課長を庇い切れる自信がありません」

「勿論。君ならその間に、十分仕事を教えられるでしょ。それにエルデハイトくんも優秀だからね。後は働きながら覚えていけるさ」

「よろしくお願いします!」


 エルデハイトは風切り音が聞こえそうな勢いで頭を下げた。

 その勢いで左庭の机の上の書類山が音を立てて倒壊していく。

 「ああ……あああ……」と情けない声を出しながら左庭はなんとか止めようとするが、明らかに無駄な抵抗であった。

 エルデハイトは左庭と同じくらい動揺していたが、黒須を初めとした他のメンバーは見て見ぬふりだ。

 端的に言って、いつものことで慣れているのである。

 ともかく。

 こうして、黒須はエルデハイトと名乗る青年と出会った。

 2016年、春。

 まだまだ肌寒い日が続く中、珍しく巡ってきた暖かい日であった。

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