054「リスと歩けばオネエに遭う」
「帰ったら、また怒られるぞ、ドミニク。講堂に集合する時間は、とっくに過ぎてる」
「平気だって、テオ。じっと冷たくて硬いベンチ座って、毒にも薬にもならない上にオチも無い話を長々と聞かされるより、こっちのほうが楽しいじゃないか。あぁ、ウキウキしてきた!」
二人は、パサージュの下の石畳を並んで歩いている。謎の物陰を追いかけているうちに、またしても街へと繰り出してしまっているのである。
「僕は、君が何かしらしでかさないかと、ハラハラしてるけどな」
「なんだよ、テオ。それじゃあ、まるで僕がトラブルメーカーみたいじゃないか」
「その通りだよ。自覚が無かったのか?」
「無意識って怖いな。――あれ?」
行く先にブティックが見えてきたところで、ドミニクは、だしぬけに立ち止まる。
「オッと! 急に足を止めるなよ、ドミニク」
「ゴメン、ゴメン。でも、あれを見て!」
ドミニクが指差す先には、ブディックのオーナーである青年がいる。いつもなら、どこで間違えたか分からない個性的で奇抜なファッションに身を包み、マネキンにブラシをかけたり、置物にハタキをかけていそうなものだが、今日は珍しく、地味でパリッとしたフォーマルスーツ姿をしている。ショーウィンドウには内側からカーテンが引かれてあり、デイバッグを片手にドアを施錠しているところだ。
「店を閉めてるみたいだな。何かあったんだろうか?」
「風邪を引いた、という感じではないな。訊いてみようぜ!」
「あっ、待てよ、ドミニク。変な詮索をするなって。そもそも、目的と違うだろうが」
物陰でヒソヒソと話していた二人だったが、らちが明かないとばかりにドミニクが飛び出し、青年に話しかける。そのあとを、テオが追いかけて行く。
「こんにちは!」
「あら、お久しぶりね。ハンサムボーイと一緒に来てくれたのは嬉しいけど、これからしばらく、出かけなきゃいけないのよ。ゴメンナサイね」
「ご旅行ですか?」
「だったら、どれほど良いことか」
テオの質問に対し、青年はため息交じりに応じたあと、懐から封蝋が押された手紙を取り出し、表の文字を見せてから再び懐にしまう。そこには「ネイサンへ」という宛名書きと切手が貼られてあり、切手の端には「オレンジシティー一区」の消印が押されている。
「実家から呼び出されちゃったの。いつもなら封を開けずに捨てちゃうところなんだけど、今回は書き留めで送ってきたものだから、無視するわけにいかなくって」
「大変ですね」
「どこにも、家庭の事情があるもんだな」
二人が同情すると、青年はフッと口の端で軽く笑みをこぼしてから言う。
「ありがとう。まぁ、そういうことだから、少しのあいだ、お店をお休みにしなきゃいけないの。悪いわね」
そういうと、青年はポケットから懐中時計を取り出して時刻を確認する。
「いけない! 馬車を待たせてるんだった。それじゃあ、またね」
青年は顔色を変え、挨拶もそこそこに、まるでワンダーランドのシロウサギのように慌てて駅に向かった。その様子を見たドミニクは、そのあとを追いかけようとしたが、テオは素早く腕を掴んで引き留めた。