071「泳げないわけじゃないけど」
常春の楽園とうたわれるオレンジシティーにも、短い夏がやってくる。木々は青々と葉を茂らせ、草花は鮮やかな色を誇る。パサージュを行き交う人々は皆、薄着になっている。
「あ~つ~い~」
「えいっ。僕にくっつくな、ドミニク」
腰に手を回し、背中に抱きつくようにベッタリとへばりつくドミニクを、テオは書き物をする手を止め、ふり返ってグイグイと両手で引き剥がしにかかる。テオは、左胸に校章が刺繍された半袖開襟のワイシャツを着ているが、ドミニクは、右肩に校章が刺繍された長袖のワイシャツを、適当に袖を折って着ている。
「ムググ。清涼感がある色をしてるけど、ぜんぜんヒンヤリとしないな」
「当たり前だ。僕は、雪や氷で出来てるわけじゃない。――いい加減、指定のワイシャツを買えよ、暑苦しい」
「やだよ。あとひと月もしないうちに夏休みになるっていうのに、ここで買ったら負けだよ」
「何に勝とうとしてるんだか」
テオが再び書き物をはじめると、ドミニクはつまらなさそうに自分の机に向かい、天板の上に両肘をついて両手の上に顎を乗せると、上唇を尖らせて鼻とのあいだにペンを挟む。
そこへ、ドアの向こうからカツカツと廊下を歩く足音がする。そして、二人の部屋のドアの前で一旦足音が止み、ドアの下に一枚の紙が差し込まれたあと、再び足音がする。
「オッ! 今日は、なんのお知らせだ?」
「読み終わったら、かいつまんで説明してくれ」
ドミニクがペンを机の上に置いて席を立ち、そそくさとドアに向かうと、テオは、ふり返りもせずにドミニクに話しかける。
そのテオの言動を不満に思いつつ、ドミニクはドアの下から紙を拾い上げて読み上げる。
「少しは、興味を持てよ~。どれどれ。……明日の午後、七区にある遊泳施設において、水泳実習を行う。上級生は前年度の不合格者のみとし、下級生は……ええっ!」
「リアクションが大きいぞ。なんと書いてあるんだ。……下級生は全員参加。よほどの体調不良でない限り見学は認めない。なお、見学者は来年度に合格するまで再試験する」
席を立ったテオが、ドミニクの手から紙を引き抜きつつ続きを読み上げる。すると、ドミニクはテオの二の腕を両手で持つと、そのまま血流が止まるのではないかと心配になるくらい鷲掴みしながら、涙声で泣きつく。
「どうしよう、テオ。僕、水着になんてなれないよ」
「柄にもなく悲観するな、ドミニク。とにかく、ここは事情を知ってる先生に相談するしかないだろう。――ほら、行くぞ」
テオが腕を回してドミニクの手を振りほどくと、今度はテオがドミニクの二の腕を掴んで廊下へ向かう。そのテオの行動に、ドミニクは理解が追い付かず、リス耳をクルックルッと落ち着きなく動かしながら質問する。
「行くって、どこへ?」
「決まってるだろう。医務室だよ」
「あっ、そうか! 体育の先生の飲み水を消毒液にすり替えるよう、保健の先生にお願いするんだね?」
「事件を起こしてどうする。穏便に話し合って、なんとか免除できないか交渉してもらうんだよ」
そう言いながら、テオは紙を持った手でドアを開け、そのまま二人は早足で廊下を歩いて行った。