外世界のもの
知らない場所に放り出されたキサラギはとにかく心細さを感じていた。
落ち着かない、戻るにはどうしたら良いのか、またエレベーターに乗れというのか。
正直エレベーターにはもう近づきたくも無い、体が本能的に拒否反応を示し足がすくむ。
エレベーターを見るだけで恐怖がぶり返す想いだった。
「そ、そうだ…、携帯」
背中に背負っていたボディバッグの中からスマートフォンを取り出す。
ついでに自分の持ち物も確認しておくべきだろう。
スマートフォン、家の鍵、財布、ハンカチ、ポケットティッシュ、ビデオカメラ。
…そして、ハンドスピナーが3つほど。
「役にたたねぇもんばっかだな…」
食糧、ライター、ナイフ、懐中電灯。そういうものがあれば心強かったのだが持っていないものを悔やんでも仕方がなかった。
とりあえずスマートフォンを確認してみる。
当然のように電波は入らない、バッテリーは80%。
良く考えたらスマートフォンは懐中電灯の代わりになる、電源を落としてバッテリーを温存しておく方が良いだろう。
「よし、大丈夫だ。冷静に、冷静にいこう」
キサラギは自分に言い聞かせるように呟いた。
食糧、ライター、ナイフ。これらは手に入るかもしれない。
今居る場所はマンションなのだから。オカルトの投稿記事を信じるなら人は居ない、盗っても怒られはしないだろう。むしろ人が居てくれた方が嬉しい。
キサラギはマンションの10階で他人の家に不法侵入を試みる。
しかしドアは鍵が掛かっており開かない。
一部屋一部屋ドアノブに手を掛けていく。
カチャン…
ノブが回った、鍵の掛かっていない部屋があった。
最悪窓を割るつもりでいたが開いてる部屋があり助かった。
ドアを少し開いたあたりでキサラギの手が止まる。
カチ…カチ…ガタガタ…カツ…カツ…
中から小さな音がする。硬質な物がぶつかり合う様な乾いた音。
人が居る?それはそれで有り難い。
しかしさっきのエレベーターの件もある、用心するに越したことはないだろう。
キサラギは少し開いたドアの隙間から中を覗き込んだ。
中に居たのは人では無い。キサラギは一瞬にして血の気が引いていくのを感じた。
中に居たのは紛れもなく生き物だ、だがあんな生き物は見たことが無い。
一番近い生き物を当て嵌めるのなら海老だろうか、薄い赤色の海老。
ただし、その大きさはキサラギの身長とほぼ同じ。
頭はキノコのように丸みを帯びてのっぺりとしているが短い触手の様な物が生えていた。
背中には蝙蝠のように膜の張った羽が生え、節のある手足の先端には鍵爪がある。
その鍵爪が床や壁を叩いて音を鳴らしていたのだ。
「ひっ」
思わず声が漏れる。
音を出してはいけない、そんな事はもちろん分かりきっている。
咄嗟の悲鳴を堪えた末に漏れた微かな声だった。
キサラギは息を殺しゆっくりとドアを閉める…。
…これは、閉め始め、閉め終わるまでの短い間の出来事だ
カカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカ!!
小刻みで早い足音が一瞬で近付いてくる。
そしてドアを閉めきったその刹那、木の割れる大きな音とともに化け物の鍵爪がドアを突き破り、キサラギの頬を掠める。
あと少しで顔面が抉れるところだった。
「うわぁああ!」
キサラギは尻餅をつき倒れ込むと、這ってその場から出来る限り遠ざかる。
冷静な判断などできはしない、その場でただただドアを見つめる。
「どうすれば!どうすれば良い…、どうすれば…」
キサラギは何もできないままドアだけがひしゃげていく。
ギィィィ…
ドアが開き、さきほどの化け物が姿を顕す。
「ひぃ!…あ…あ…ぁ」
キサラギは狼狽えるだけで体が全く動かなかった、捕まったらどんな恐ろしい目にあうのか、完全に恐怖に支配されていた。
しかし化け物は一向にキサラギを襲わない。
キサラギよりも太陽の光を気にしているように見えた。
光の当たらない場所を探し、終には諦めて部屋の中に戻っていった。
「ふは、は……はぁ…たす…かった…?」
キサラギはひきつった顔で自分が生きてる事を噛み締める。
化け物は恐ろしい見た目だったが光が弱点なら対応できるかもしれない。
人間社会は照明で溢れているのだから…。
いや、いやいやいや!はたしてここは人間社会だっただろうか。
違う、…違う。
今手元にある照明はスマートフォンのライトのみである事を思い出して背筋が凍えた。
主人公のキサラギというのはハンドルネームです。本名とは異なります。