9、お食事中には読まないで
結果として、それは止めの一撃となった。
俺の捨て身の突撃は、腹を突き破るような一撃ではなかったが、ダメージとしては決定的だったらしい。
「これは驚いたな……中身を捻り出せたら上出来と思っていたが、まさか倒せてしまうとはよ」
オークは糞便を撒き散らし、その姿を光の粒子に変えて消えてしまった。
消えていく光の粒を目で追いかけるアルガさんの表情は、どこか切ない物だった。
「……しかし、ひどい臭いだ! せっかくお宝が出て来たってのに、気分が台無しだぜ」
そう思ったのは一瞬で、すぐにいつものアルガさんに戻った。
おっとりとした表所の中に、悪戯っ子のような笑み。
その視線の先には確かにお宝らしきものがある。
消えたオークの後に残ったのは、二つの木箱と、一つの人型だった。
俺からすれば初めてのドロップアイテムになる。
「お宝は山分けって事で、文句ないだろう、シロ?」
「いや、アルガさんが貰っていいですよ。俺の目的は……」
「そうか。そうだな、分かった。言うな。わかってるから。だから、それはお前が全部もっていけ。遠慮はいらないからな!」
鼻をつまみ、口元も手のひらで覆いながらアルガさんが後ずさっていく。
視線だけを糞塗れの人型に向け、「ほら、はやく助けろよ」と訴えてくる。
ここにきて無情な裏切りである。
オークの尻の中身をぶちまけたおかげで、眩暈がするほどにツンと鼻をつく糞の臭いが辺りに立ちこめていた。
近くに隠れていたのか、ゴブリン達も奇声を上げて逃げていくほどだ。
そしてその人型……たぶん人だと思う。
それはもはやただの豚糞の塊にも見えるが、多分、人間だ。
俺が助けたいと思ったあの少女のハズである。
「これがお前の助けたかった少女だろ? 早く助けないと死ぬぞ。臭さで。息できないだろ」
「わ、わかってますよ……」
うん、ぶっちゃけ近寄りたくない。
オークの中から出てきた一番巨大な塊であるこの人型が、この悪臭の根源だ。
辺りにも糞便は散らかっているが、それほど臭いは強くない。
臭いが強いのは明らかにこの人型の近くだ。
ほとんど臭いの元だと言って良い。
「ア、アルガさん、とりあえず消臭を……」
「悪い、さっきの最後の魔法で魔力切れた」
「えっ、えぇ…………」
「………………諦めろ」
アルガさんが息子を戦場に送り出す母親のような悲しい目で首を振った。
「くっ……!」
俺は覚悟を決めて近づいていく。
距離が近くなると自然と涙がでてきた。
臭すぎるせいだ。
あぁ、もうヤダ。
なんでこんなことになったんだ。
後悔しても仕方がないのだが、あまりに臭すぎて後悔が止まらない。
後ずさりしたいのを堪え、前に進む。
そして人型の頭らしき部分にそっと触れる。
「う、お、おぉ……」
ぬちゃりと何とも言えない手触りがして変な声がでた。
良い感じに生暖かいのが余計に不快だ。
もうこうなればヤケクソだと力を込めて手を進める。
その先に細い糸のような感触があった。
それは束のようになっていて、髪の毛だと気づく。
今触れているのは後頭部のようだ。
どうやら中身はうつ伏せの状態になっているらしい。
一度、大便状の人型をひっくり返し、まずは顔辺りの糞を拭う。
糞を拭ってはその辺に払って捨て、繰り返していると中身の形が見えてきた。
鼻、頬、口。
そして、ちょっと今は黄色がかってるけど、整った顔立ちが現れた。
「え?」
それに気が付いた時、心臓がヒヤリとした。
口は閉じたまま、動いていなかった。
空気の流れがない。
呼吸をしていないのだ。
「……嘘、だろ?」
せっかくオークを倒したというのに、こうして姿を見ることが出来ているというのに、触れられる距離にいるというのに、結局、何も間に合わなかったのか?
得体の知れない悲しみが俺の体の底から湧いてきた。
少女の頬に触れるとまだ暖かい。
それはオークの腸内に居たせいなのだろうか。
俺にはとても死んでるようには思えなかった。
軽く頬を打てば、深い眠りから覚めるように目を覚ますのではないかと思った。
でも、冷静に考えればわかる事だ。
俺がオークに襲われて、逃げて、アルガさんに助けられて、そうしてまたオークのもとへ戻ってきて。
その間にも時間は経っている。
ずっと呼吸をせずになど居られるわけがない。
生き延びられるわけがないんだ。
「間に合わなくて、ごめんな……」
せめて綺麗にして上げよう。
そう思って少女の顔の周りの糞便を拭っていたとき、不意にその瞼がパチリを開いた。
息を飲むほどに透き通った紺碧の瞳が俺を見た。
「え?」
生き返った?
それともただ、何かの拍子に今だけ呼吸が止まっていたのか?
そんな瞬間的な俺の疑問は、すぐに消えた。
「う、うわあああああああああああん!!」
人を見て安心したのか。
それとも助かった事を理解したからなのか。
少女は声を上げて泣いた。
そして俺に抱き着いてきたのだ。
それはもう全身で、全力で、両手を背に回してガッチリ抱き着いてきた。
「う、うわあああああああああああん!?」
少女とお揃いの糞便塗れになり、俺も泣いた。