8、お通じのお時間です
豚というよりは鬼か何かのものに思える悲鳴が耳元で鳴って、頭がクラクラした。
短剣ごしに手に伝う感触は、思っていた以上に硬い物だった。
「くっ!?」
引き抜こうとした短剣が動かない。
眼球を貫いた短剣が、何かに挟まれたように目の奥で固定されて抜けなくなっていた。
漫画なんかで筋肉で刃物を止めるなんてぶっ飛んだシーンが出てくる事があるが、もしかしたらその類なのだろうか。
だとしたら、この豚の怪物こそ脳味噌筋肉と呼ぶにふさわしいだろう。
目の奥にすら硬い筋肉が詰まっているらしい。
「ブホオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!!」
怒りに猛り狂うオークの丸太のような剛腕が眼前を掠めた。
ほとんど偶然のように、俺は短剣を諦めて身を躱していた。
瞬間、全身から汗が吹き出した。
当たったら、間違いなく死んでいた。
ほんの一瞬の判断で、俺は死んでいたに違いない。
「バケモノめ……!」
残った右目を血走らせ、オークが俺を睨みつける。
「臆するな! 一気に仕留めるぞ!」
アルガさんが起き上がろうとするオークのその腕先を杖で払った。
「チィ……! 怪力めっ!」
オークの腕はビクともしない。
立ち上がろうとするオークに、俺は飛び込むように駆け寄った。
「先に目を潰します!」
「シロ、使え!」
アルガさんが胸元から取り出した予備の短剣を放る。
俺は速度を落とさずに掴んだまま、オークの左側へと回り込む。
左目を潰された今、そこは死角になっているハズだ。
その上、オークの注意はアルガさんに向いている。
俺はオークの肩に跳び、そこからさらに頭部へ。
焼け爛れたオークの皮膚がグチャグチャとしていて気持ちが悪い。
「ブキャアアアアア!!??」
火傷が痛むのだろうか、肩に乗っただけでオークが暴れた。
「このっ……! 大人しく、しろっ!!」
俺は振り落とされないように牙を掴み、頭部の右側へ周り込む。
右目はすぐ目の前という時、オークが俺を掴もうと手を伸ばしてきた。
俺を狙って伸びるオークの腕を掻い潜り、すれ違い様に右目を狙う。
もう俺たちの武器に予備はない。
今手にしているのはアルガさんの予備の武器として持っていてもらったものだ。
オークの行動を監視してもらっている間、もしもゴブリンに見つかった時なんかに刃物の方が静かに始末できると判断したからだ。
俺はオークの頭部から落下する間際、短剣を眼球の上に滑らせた。
深々と突き刺してはまた抜けなくなる可能性が高い。
大ダメージになればと思っていたのだが、短剣では深さが足りなかった。
ならば、視界を奪うだけなら、これで十分なはずだ。
再びオークの悲鳴。
両目から鮮血を噴出しながら、オークは暴れる事を止めない。
ダメージとしてはどれくらいなのか分からないが、視界は奪った。
俺たちに有利な状況は作り出せた。
「シロ、来い! 消臭だ!」
「お願いします!」
アルガさんの魔法が俺たちの臭いを消す。
これで、もう俺達の居場所は感知できないハズだ。
「悪いな。付近に沸いたゴブリンを処理してたら、最悪のタイミングで消臭が切れたらしい」
それで予定の配置から離れてしまっていたらしい。
だが、結果としては何とか予定の行動に持って行けた。
「ま、ちょっとばかり計画が狂ったが、あとは作戦通りに」
「えぇ、作戦通りに行きましょう」
作戦は三段階で計画していた。
内容はシンプルな物だ。
第一段階では俺が囮になり、オークを誘導する。
その道中に姿を消して隠れたアルガさんが杖で足を引っかけ、転倒させる。
転倒させる事ができなければ作戦変更で、成功なら真っ先に両目を潰す。
そして第二段階は切れ込みを入れる事だ。
視界を失い、獲物の位置を見失ったオークは滅茶苦茶な動きで巨腕を振るう。
作戦を行うには、この腕を掻い潜る必要がある。
「行けるか?」
「行きます!」
当たれば一撃で死ぬような怪腕。
だが、その動きは大振りで隙も大きい。
「こっちだ、バケモノ!」
アルガさんが距離を取って声を上げる。
オークがその声に反応した瞬間、俺はわずかに鈍ったオークの腕を掻い潜り、その股の下に潜り込んだ。
目の前には強烈な悪臭を放つオークの肛門。
呼吸を止めたまま、そこに短剣を突き刺す。
「ブホオオオオオオオオオオオオオ!!??」
悲鳴と共に血が滴るが、それ以上の物は出てこないようだった。
「……くっ!」
身を捩るオークの足元から離れるが、肛門から中身が出てくる様子はなかった。
それなりに切り込んだのだが、やはり短剣ではあと一歩が力不足のようだ。
「これで出てきてくれれば簡単だったんだけど……そう都合よくはないか」
だが、切れ込みは入った。
作戦通りに。
あの子を簡単に救い出せはしない。
これくらいは予想していた。
「アルガさん、いけます!」
「よし! 仕上げだ!」
だからこその第三段階。
俺の足元にアルガさんが杖を向ける。
「シロ、決めろよっ!」
「はいっ! お願いします!」
「舞って来い、ほんの小さき翼!」
杖の先端が足に触れた瞬間、体がフワリと軽くなった。
地面を蹴るだけで、俺の体が高い天井にまで容易く届いた。
「うおぉぉぉ!?」
あらかじめ魔法の効果は聞いていたが、予想以上の動きだった。
まるで体重がなくなったみたで重心が上手く取れない。
それでも俺は咄嗟に体を反転させ、天を蹴った。
眼下には、アルガさんの杖に足を引っかけられ、仰向けに倒れ込んだオークの姿がある。
完璧なタイミングだ。
「アルガさん、ナイス! 覚悟しろよ、豚野郎……」
魔法で軽くなった俺の体は、摩擦すら減っている状態らしい。
天井を蹴っただけの小さな力でも急速に加速する。
「お通じの時間だぜ!!」
加速した俺の体は弾丸のように、その膨らんだ腹の上に突っ込んだ。
「ブンホオオオォオオオオオオオンォオォッッ!!!!!!」
腹部を圧迫され、オークの絶叫と共に肛門に入れた切れ込みが開く。
溜め込まれていた非常食が当たり一面に撒き散らされた。