おはよう
今日は陽が勢いよく私の肌をひりつかせている。日焼け止めは念入りに塗ったはずなのだがそんなもの効果がないといったように私の肌からはフツフツと汗が吹き出し悲鳴をあげているようだった。ただそこに吹く風はその熱を冷まそうと爽快さを与えてくれた。柄の広いタイプのハットが私の体を影にしてくれるのだが、半袖のTシャツにスカートと機能性を重視した服装は正直失敗したかもしれない。腕が焼けるように痛い。たぶん、次の日は赤く日焼けしてるんだろうな。そう思って私は額の汗をハンカチで拭った。まぁ、ワンピースよりはましなんだろうけど。
「朱里、早いー。ちょっと待って!」
後方から供花を持った里奈が慌てて私の後を追いかけてくる。桶と柄杓を持っているとはいえ私は軽快に石段を登っていた。里奈は夏の日差しにやられ既にバテバテの状態だった。額の汗を何度も拭っている。
「ほらついたよ」
二人は「小鳥遊家之墓」と書かれた墓石を見つめながらニッと微笑んだ。
「さぁ朱里始めるよ!桶に水を汲んできて!」
「ええー」
「ええーじゃない!誰のお姉ちゃんなの?」
「わかったよ~」
「よろしい!」
私は桶にたっぷりの水を汲んできた。だけど重くて少しばかりこぼしてしまった。
「さっ!始めるよ」
里奈は景気付けにそういうと一生懸命墓石を擦り始めた。私も慌てて作業に取り掛かる。水をかけ熱を冷ます。そうしてから念入りに持っていたスポンジで石を擦った。
「よし綺麗になった!」
里奈はそう言って額の汗を拭いながら清々しい顔を太陽に見せつけた。私もふぅと息を吐きながら曲がった腰を起こした。お互いに汗びっしょりだった。それ程までに念入りに、丁寧に、力強く石を擦っていたのだろう。ピカピカと光沢がかかったように輝く石は何だか嬉しそうに見えた。そうして私達は供花を飾り線香を焚くと石の前にしゃがみ込んで両手を合わせ目を閉じた。少しの沈黙の後に里奈が口を開いた。
「お姉さん。私達、四年制の大学に進学したんです。二人で目指したJ大に合格して、掲示板の前で二人で抱き合って喜びました。受験勉強と入学の手続きなどで来るのが遅くなっちゃいましたけどこうしていい報告ができて良かったです。今は2人ともいいキャンパスライフを送っています」
「あ!里奈それ私が伝えようと思ってたのにー」
「ごめんごめん。どうしても伝えたくなってさ」
「もうーしょうがないなー」
そうして私達はお互いにクスクスと笑う。あの病室で私とお姉ちゃんがしたみたいに。
「お姉ちゃん。もう心配いらないよ。返金無しの奨学金も借りられてるし、まあそれでも今はアルバイトしてるけどね。少しは前向きに進んでる。私ね、将来、誰かの役に立ちたいの。誰かが勇気を持てるようなそんな仕事がしたいんだ」
里奈は笑顔のまま私の話を聞いている。私はそのまま続けた。
「お姉ちゃん今までありがとう。ゆっくり休んでね」
私はそうして立ち上がった。それと同時に追い風が突き上げるようにザァと吹いた。里奈もそれに合わせて立ち上がる。私は桶と柄杓を持ってその場を立ち去ろうとした。里奈もそれに続く。でも私は首だけを曲げた。
「またね。お姉ちゃん。また来るね!」
そう言って首の向きを戻すと私と里奈はもと来た道を帰っていった。
*
目覚まし時計が勢いよく鳴る。私は眠たい目を擦りながら叩きつけるようにして目覚まし時計の音を止めた。そして徐にそれを持ち上げると一気に眠気が覚めた。
「やばい。遅刻!」
急いで飛び起きて歯ブラシを咥えたままやかんに火をかける。トーストをオーブンにセットし洗面台へと走った。口を濯ぎ、髪の毛を水で梳かして急いでドライヤーをかけた。その音で聞こえなかったがやかんの水がとっくに沸騰していたみたいでピーと甲高い音を立てながら私を急かさせた。コンロのスイッチを止めオーブンを確認するとこちらも焼けているようだ。コーヒーを淹れてから冷蔵庫の扉を開けマーガリンを出す。それを大量に掬ってトーストにベッタリと塗った。そしてそれを勢いよく頬張って笑顔になる。コーヒーで流し込むと朝が来た感じがした。チラッと時計を見た。8時。完全に遅刻ギリギリの時間。私は大慌てでトーストとコーヒーを胃に流し込むと大学へ行く準備を約5分で済ませた。これが特技なんじゃないかと思えてしまうほど毎度毎度記録を更新し続けている。そして玄関に向かおうとしてハッとし、慌ててリビングに戻った。小さな写真立てに手を合わせる。
「行ってきます!お姉ちゃん!」
笑っている写真の中の人がいってらっしゃいと言ったかのように太陽の光に照らされより一層輝いた。
勢いよく玄関の扉を開ける。階段を駆け下りて先程まで部屋に差し込んでいた太陽の光が私の体全体へと注がれる。少し背伸びをする。気持ちがいい。もう何度目の青空を見ただろうか。お姉ちゃんの存在しなくなった世界で数え切れないほどの朝と青空を迎えた。当たり前だったものはもうない。だから、ここからを私の当たり前にするんだ。私は朝と青空に向かって勢いよくおはようと叫んだ。そして駅まで続くまっすぐの道を駆け出した。
かつて生きる意義が見いだせなかった私。両親も親戚もクラスメイトも私の周りにいた人はただ私を傷つけ、痛めつけてくる存在にしか思えなかった。この世界の全てに絶望し、ただ息のみをしていたあの頃。違う人格まで生み出して必死にこの世界に抗った。そうして大切な人々を傷つけていた。そんな私をお姉ちゃんという存在が変えてくれた。だけどそのお姉ちゃんももうこの世界にはいない。けれど私には里奈というかけがえのない親友がいる。百合さんという頼れる人生の先輩もいる。私に残ったものはかなり大きかったのだとこの時になってようやく気づけたような気がする。そして、今の私にはこの世界を生きる意義がある。
それはお姉ちゃんの分まで生きること。お姉ちゃんが生きたかったこの世界で私は精一杯生きていこうと思う。そしてこの先、何度も何度もお姉ちゃんの生きられなかった空白の明日におはようを言うのだ。
「おはよう。お姉ちゃん」
あの頃の朝の風景を思い出しながら私はそう呟いてニッと笑った。
ご愛読ありがとうございました。
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