ドーナツホール
ヒステリカ・アルトシュタイン:http://charasheet.vampire-blood.net/m547552a50bc9a9efe0f3be45fec269dc
レイズン・ランペドゥーサ:http://charasheet.vampire-blood.net/m7af0d01a253acef34a0ccc7017843ea4
(簡単な感情ばっか、数えていたら)
(貴方がくれた体温まで忘れてしまった)
【推奨BGM:「ドーナツホール」(TOアレンジ/Vo:みーちゃん) http://www.nicovideo.jp/watch/sm24229270 】
「あのー、すいませーん」
ルキスラ帝国の一画、さる盗賊ギルドにて。世間の裏側に位置するそのギルド内には似つかわしくない、どちらかというと派手な色合いの少女が間延びした声を上げていた。
「確かここって、レイズンさんの所属するギルドですよね? ちょっと用……もとい、依頼があるのですが」
つまるところ、私だった。
「あん? 何だお前、ここはお前みたいな嬢ちゃんの来るようなトコじゃねェぞ。とっとと帰った帰った」
受付らしきところで声を上げていれば、裏から面倒くさそうにでてきたのはいかついお兄さんだった。いかにも裏の人間ですと言いたげな風貌にもめげることなく、寝不足でぐるぐるする頭で私はなおも言葉を募った。
「嬢ちゃんじゃないです。私はギルド<ナハト・マグナ=グランツ>、中位・フィーアのヒステリカと申します。正式に依頼をしたく来たのですが、このギルドはクライアントにもそんな態度をとるんですかね?」
ある悪夢のせいで寝るに寝れないため、最近の私はすこぶる機嫌が悪かった。おかげで出てくる言葉も自然刺々したものになる。幸いお兄さんはそれにさしたる注意を払うことはなく――――大方小娘が無理矢理捻り出した精一杯の皮肉だとでも思われたのだろう。それはそれで癪だ――――、「依頼?」と首を捻った。
「それならここじゃなくて……」
「どうした、何をしている?」
お兄さんの奥から涼やかな声が響いた。常に冷静でいて、とてもとても頼りになる私の愛する人の、大好きな声。その名は、
「レイズンさん!」「れ、レイズン様……」
レイズン・ランペドゥーサ。一度日の下に出れば輝くような綺麗な白髪と、まるで深淵を湛えるかのような深いアメジスト色の瞳を持つ人。
例え機嫌が最高に最低であろうと、彼の顔を見ればすぐに満面の笑みになるのが私だった。つくづく単純だと自分でも思う。
完全に場違いな私を見、彼は怪訝そうに眉を顰めた。
「ヒステリカ……? お前、何故ここに……まあ良い、ついて来い。何か用があって来たんだろう」
「えへ。ありがとうございます」
若干覚束ない足取りで彼の後を追うと、ある個室に辿り着いた。彼に与えられた部屋なのだろう、内装は黒い革張りのソファにテーブル、デスクのみ。部屋の隅には仮眠用と思しき簡素なベッドが一つだけ。なんともまあ性格が如実に表れていた。余計な装飾など全くもって一切無い。
「そこに座ってろ」
「あ、はい。失礼します」
部屋に設置された無線でなにやら頼み、それがすぐさま届くと(匂いからして紅茶らしい)私用と自分用とそれぞれ置き、私の対面のソファに静かに腰掛けた。普段依頼で同行する際に見るよりも、今日はオフの日に訪れたからか彼の挙措にはどこか余裕のようなものが感じられた。
飲めと促され、「頂きます」と返してから一口口をつける。この香りと味からして、銘柄はディンブラだろうか。上品な香りはいかにも彼らしいと思った。
「……今日は顔色が良くないな。何か言いたいことでもあって来たのか」
やはり、バレたか。思っていたより疲労が顔に出ていたらしい。あは、と半ば虚勢で苦笑を形作る。
「叶いませんね、貴方には。ええ、そうです。仕事の依頼を……と思いましたけど、やっぱり、駄目ですね」
ふぅ、と一つ息を零す。他人の前でなら容易く紡げる空元気も、本当に好きな人の前ではあっさりと看破されてしまう。おかしいな、師匠はともかくノアには隠し通せていたのに。
「仕事のほうも本当ですけど。会いたかったんです、レイズンさんに」
彼の方も紅茶を口に含み、一つ嘆息した。私の表情と言葉から察したか、先手を打つように口を開く。
「言っておくが、お前を慰めるような言葉がオレから出るとは思わないことだ。……オレがそういう性分じゃないってことは、同行したお前なら知ってると思ったんだがな」
「ええ、知ってます。貴方はそこまで甘い人じゃない。ただ、顔が見たくて」
言い訳じみてしまったかもしれない。呆れられてしまったかもしれない。それでも構わないと思うくらいには、今の私には余裕が無かった。
十分すぎるほど知っている。己に厳しい彼は、他に対してもそれなりの厳しさを以ってあたることを。それで私は何度も救われたし、それでも反面、少しくらい甘やかしてくれたってと高望みをしたこともあった。
だが今、そんなことは重要ではなかった。
「……最近、悪夢ばかり見るんです。身から出た錆、それは私が背負うべき罪業だということは重々承知しています。でも私には、……耐えられなかった」
毎夜毎夜、忍び寄る夜と同時に私の心を蝕んでいく悪夢。意識しないところに沈んでいた自責の念が、月と同時にその鎌首をもたげる。
何度夜中に飛び起き、手を伸ばせばすぐそこにあるぽっかりとした闇に怯えたことか。汗で張り付いた髪すら纏わりつく死者の腕に思え、涙が溢れて溢れて止まらなかった。愛しい人の顔を思い出そうとしても混乱しすぎて上手く思い描けず、あろうことか最悪のことばかりが脳内を巡って、そうしてその果てに護身用として普段持っているナイフで首を掻っ切ろうとしたことすらあった。
「オマエノセイデ」と私を責める声が、今でも耳にこびりついて、……離れない。
「……――――お前、人を殺した事はあるか」
居心地悪く落ちた沈黙を不意に破り、彼はそう告げた。真っ直ぐにこちらを見つめる深い紫の視線に、反射的に肩が震えてしまう。
認めなければならない。それは他でもない私の罪。なあなあにして誤魔化すことなど、到底許されることではなかった。
「……はい。私が直接手を下したわけではありません。ですが私は、誤ることで。そして、見捨てることで人を、――――殺し、ました」
罪を告白する声、そしてカップを持つ手が、小さく震えた。息が上手く吸えず、喉の奥からひゅうという音がか細く鳴った。
「……そうか」
その長い睫毛の下は、何を思っているのか。幻滅されただろうか。失望されただろうか。それだけは嫌だった。他でもない彼に見捨てられることだけは、死を選ぶよりも嫌だった。
「やれやれ、こういうのは苦手なんだがな……少しだけ、昔の話をしてやろう」
次にどんな言葉が出てくるか戦々恐々としていた私は、思っていたどれとも違う言葉を投げかけられて静かに瞬いた。
やがて自然下げていた視線をカップから上げ、こくりと幼子のように頷く。
「オレは親がいないんだ。分かるだろう……ナイトメアの角によって母体が傷つき、生まれた時には、母親はいなかった。父親はオレのことを忌み嫌い、施設に預けたそうだ……恨んではいない、オレが母を殺したようなものだからな。……だが、本題はそこじゃない」
また一つ紅茶を口に含み、ぼんやりと彼の過去を思う。赤子の頃から幸せなど無かった人生。生まれ落ちれば誰もが当たり前のように受ける祝福を貰うことは出来ず、唯一の肉親からは嫌われ、遠ざけられた。
「やはり、生き辛いのは確かだった。幼かったオレは、境遇に耐えかねて施設を飛び出した。……無謀だったがな。盗みを繰り返したが、結局その日の食事にありつけることは滅多になかった。
――――だが転機が訪れた。空腹で倒れていたオレは、拾われたんだ。暗殺ギルド『闇の一党』に」
彼の過去は、私が生まれた時にも当然のように存在していた、もう一つの私の可能性。ご多分に漏れず私も幼少期は酷い迫害を受けたものだが、それも彼や、もう一人のナイトメア・テレジア、そして他にもひっそりと生きているであろう他のナイトメアに比べれば俄然生温いものであったことは違いない。
彼には、生まれた瞬間から味方などいなかった。周囲を見回せば敵しかいなかった――――否、周囲が自分のことを敵としか認めてくれなかった。
自分ならば耐えられない。育ちきる前に心が壊れていた。だからこそ私は、何があっても自分を愛し慈しんでくれた両親に恥じぬナイトメアに成る、と決意したのだ。
「食事にはありつけるようになったが、オレにはある任務が与えられた。当然暗殺任務……だが。新米で子供だったオレの役割は、囮だった」
「おと……り」
部屋の窓から外を見やる彼の瞳に何が映っているかは、私には窺い知ることができなかった。
心が冷えた。日々の食事や着る物すらままならない、心無い迫害を受け擦り切れかけの年端もいかぬ子供に、囮などと。命じる人間の心理が到底分からなかった。
そして、使い捨ての消耗品として扱われていることを知らず、或いは薄々知りながらも、ただ生きるためにその任を負った彼の心境は、如何なものだったか。
「……自分が生きるために、オレは何度も殺しをやったんだ。直接手を下してないとはいえ、オレが殺したことには変わりない」
一瞬、その瞳に色が過ぎった。決して明るいとはいえない、昏い昏い、絶望に澱んだ色。深海のような冷たさを孕んだ瞳に、私は知らず息を詰まらせた。
そんな目、しないで欲しかった。だが、自分の弱さを受け入れることも出来ない私には、それを言う資格など到底ありはしなかった。
彼が口を噤む。次にその目を窺った時には、既に先程の色は消えてなくなっていた。
「……生に固執することは、悪いことなんでしょうか。他人を切り捨ててまで生きたいと願うことは、……罪なのでしょうか」
『生きたい』――――至極シンプルで、原始的な願い。それは全ての人に共通していて、だからこそ他人のその意思を踏み台にして自らを生かすことは、果たして赦されることなのか。……分からなかった。
「オレが言いたいのは、そういうことだ。オレに命の尊さを語る資格などはない……だが」
次いで彼が告げた静かな言葉に、私は目を見開いた。
「生きるためにした選択を、後悔しない。オレは今でも後悔したくないと思っている」
その通りだと、思った。
生きたいと願い、そのためにした選択には命の重さがそのままそこに乗る。とうに分かっていたことだった。ただ、それを上手く飲み下すことが出来なかっただけ。
「……はい。私も、生きたいから彼女を切り捨てることを選びました。そのことは、後悔してません。しては、彼女の命が無駄になる」
そして、選択を誤ったがゆえに殺してしまった彼のことも。私のせいで喪われた命は、永遠のその先まで、この命がいつか果ててもなおその先まで、背負うべきだと理解していた。
「いつも正しい道を選べはしない以上、誰にだって辛い過去や悲しい思い出はある。だが……取り返しようのない過ちも、拭い切れないほどの後悔も、その全てがオレ達の生きた証なんだ。――――……そのおかげで、お前やあいつらとも会えたんだしな」
もし私が、あそこで生きることを諦めていたら? 一瞬でも走ることを止めた瞬間に容赦なく喰らい飲み込んできたであろう深淵の闇に、思わず悪寒がした。
諦めていれば、今こうして悪夢に悩まされることも無かっただろう。だが、それだけだ。絶望の中でも真っ直ぐに想い焦がれた彼と、こうして再び言葉を交わすことも無かった。
それは、私の望みではなかった。
「もう、取り返しはききません。これからもきっと悩み続ける。……罪は、背負います。でも私には、罪を背負ってでもやるべきことも、やりたいことだってある。あそこで死ぬわけには、いかなかったんです」
自分に言い聞かせるように、そう呟いた。今までの言葉の中に在ったぐらつきが、既にあるべきところに定まった気がする。
「……いつものお前の顔に戻ってきたな」
ちら、と瞳がこちらを見やる。その所作はどこか満足そうなものだった。
「そうだ、お前はそういう顔でいろ。夢を語る時のお前は、案外悪くない」
それが彼なりの褒め言葉であることを、私はとうに知っていた。今まで心に巣食っていた暗闇が瞬く間に払われていく。絶望の代わりに与えられたのは、ほんのりと温かみを帯びた感情。
今なら、言いたかったことを言える気がした。
今度は喉に詰まることなく素直に息を吸う。顔を上げた拍子に、眦に浮いていた涙が一筋頬を伝った。
「私がずっと夢見るために、それを成すために。私が知らないところに、行かないでくださいませね……レイズンさん。
私の夢は、貴方無しでは叶えられないものですから」
恋人に笑いかけるような、悪戯っぽい笑顔。茶目っ気と恋情を込めて、上手く浮かべられた自信があった。
「オレがどこかに行くと思うのか? ……フン、杞憂だな」
ふいっとそっぽを向きつつも、そう答えてくれた気持ちが嬉しくて。続く「飲んだら勝手に出て行くがいい」とのお言葉にも、すぐさま反駁することが出来た。
「あ、とっとと追い出そうったって無駄ですからね。お仕事持ってきたのは本当なんですから」
残っていた涙もすぐに拭き去る。次いで懐から取り出したのは正式な依頼書とこの地域の地図。
「……やれやれ、どんな依頼なのか説明してみろ」
足を組み替えつつそうすぐさま仕事の顔に切り替える彼のことを、やはりとても愛しいと思ってしまうのだった。
(簡単な感情ばっか、数えていたら)
(貴方がくれた体温まで忘れてしまった)
(崩れかけた時にくれたその言葉、)
(今度はずっと、この気持ちと共に)