≪毛虫列車≫
婚約指輪をはめた手が、力なく血の海に浮かんでいる。
血の気が失せた白い手に、怪しく光るルビーの指輪。俺の脳内を元婚約者であり、指輪の主であり、現死体である、――あの女の嘲笑がケタケタと響き渡る。
「お、お前が悪いんだっ! お前が別れないって言うからっ!」
絞り出すように捨て台詞を吐く俺は、深夜の街へと駆けだし、帰巣本能に従って駅へと。
「くそくそくそくそくそ…」
自分しかいないホームで地団駄を踏むように足踏みをし、ただひたすら電車を待ちわびる。
帰る。帰って、シャワーを浴びて寝る。起きたら、あの女が居ない自由で新しい朝が待っているんだ。
『ねぇ。知っている?』
ちっ。どうしてこんな時に思い出す。
『≪毛虫列車≫って言う、最近噂の都市伝説』
そう言って、お前はいつもニタニタ笑っていたな。
『遭遇するのは、レア中のレアなんだけどね。普通の人が遭遇すると、何も起こらないで通り過ぎるだけだけど、悪い事をした奴が遭遇すると、その場で連れて行かれちゃうんだって。――地獄へ』
うるさい。地獄へ落ちるのは、お前の方だ。
ほら。電車がもうすぐ来る。
うわぁーんと、悲鳴に似たホームに響き渡る反響音。白い靄をまとったシルバーの車体が目に入った瞬間、車体から放たれる不気味な存在感に体が硬直する。
「な、な、な…」
本能がヤバいと訴える。その場から逃げだせと脳が悲鳴を上げるが、体が言う事を聞かない。
迫る。異様な白い靄をまとって。見たくないのに視界がやけに鮮明になり、俺の目が靄の輪郭を捉える。車体から生えている無数のうねうねと蠢いている白い毛。
毛。いや。
「手…っ」
手だった。老若男女。綺麗な白い手。血に塗れて爪が剥がされた手。ごついブレスレットをはめた小指の欠けた手。無数の手が、手虫の毛の如く車体にびっしり生えて蠢いている。
「わあああああああーーーーーーー」
その中で、見覚えのあるルビーの指輪をはめた手が伸びて、そして…。
【了】