第八章
八
カツンカツン、という金属の当たるよう音でケンは目覚めた。
ソファーに寝転がったまま、思うように開かない目を何とか凝らして周りを見回す。
ああ、そうか。ここは地下で、リリに連れてきてもらって、一通り説明をきいて……。緊張で疲れていたのだろう。色々考えているうちに、寝てしまったらしい。
昨日の事が夢だったらいいのに、と一瞬考えた。でも、間違いなく現実だ、夢じゃない。いまここにいることが何よりの証拠なのだ。
昨日ここに来たときは夜だったから気づかなかったが、地下だけあって、時計のさしている時間とは思えない程薄暗い。今まで暮らしていたその地面の下に、こんな世界があったなんて、未だに信じられない。
ここは奥の部屋で、乱雑に散らかった床の上にレンジが大の字になっていびきをかいている。アッシュは壁際にある長いすで背中を向けて寝ていた。
開きっぱなしの扉の向こうに、リリが起きているのが見えた。ダイニングでハンディーモニターを手にニュースか何かを見ているようだ。
ケンは目を擦りながら起き上がる。
「おはよう」
リリは顔を上げる。
「おはよう。寝られた? うるさかったでしょう、あの部屋」
昨日のような険しい顔ではなく、穏やかな表情のリリにケンはドキっとする。
「あ、うん、大丈夫。ぐっすり寝てた」
顔を赤くして照れているケンに気づかぬ様子で、そう、とまたモニターに視線を落とした。
ははは、と一人笑いながら、ケンは傍にあった椅子にリリとは反対を向いて腰を下ろした。 何をするでもなく、手近にあるビンを取り、ジュースを一口飲み込む。小さく喉がなる。
しばらく意味も無く部屋を見回したり、自分の足を見るでもなく見たりしていたが、思い立った様子でケンは口を開いた。
「あのさ、聞いてもいいかな」
ケンは髪の毛を手でもしゃもしゃ直しながら言った。
何?と、リリは視線をモニターに向けたまま答える。
「リリは、自分がPPPかもしれないって知ったとき、どう思った?」
んー、とその時の自分を思い返すリリ。
「両親からその話を聞いたときは、まるで人事だった。私には関係ないはず、って変に自信すらあったくらい。聞き流していた」
ケンはリリの話しを聞いて、普段の生活の中でこんな突飛な話しを聞いても、すぐには飲み込めないだろうな、と想像できた。
「その一週間後よ」
ポツリと言った。
「学校からの帰り道、突然、初対面のレンジとアッシュに引き止められた。その日、家の周りにはずっと政府の人間が私の帰りを待っていたらしくて。本当かどうか確かめに、夜遅くなってからこっそり行ってみたら、家が爆発して燃えていたわ」
ケンはリリの黒い髪に隠れている横顔を見る。
「その家に飛び込もうとする私を止めてくれた二人がいなかったら、私も今は施設に捕まってたかもしれない」
「ごめん、辛い事を思い出させちゃったね……無神経でごめん」
「もう……大分心の整理はついたから、気にしないで。それより、どうして? やっぱり不安?」
「不安っていうか。昨日色々聞いて俺、大体だけど自分の置かれている状況がわかった。なんで親や俺が狙われていたのか、とか。周りのこととか。でも、どうしてもわからないんだ」
ケンは情けないようにうな垂れた。
「どうしたらいいのか。これから、俺は何をしたらいいのか」
リリはモニターから顔をあげ、そのまま真直ぐ前を見た。そして、レンジとアッシュが寝ている奥の部屋をちらりと見やって言った。
「一緒に来て欲しいの」
ケンは意表を突かれて体ごとリリに向き直る。
「俺に? どこへ?」
リリはまた奥の部屋を気にする。さてはあの二人には聞かれたくないようだ、とケンは察した。
「保護されているという、LUVのPPP保持者の所よ。今はコア・シティの施設にいるわ」
思わず大声が出そうになるのを、必死で押さえて聞き返す。
「コア・シティ? どうやって入るんだよ、あんなとこ」
リリは小声でケンに言い寄る。
「正面から入れるとは、さすがに思ってない。忍び込む方法はこれから考える。簡単にはいかないって事も、危険だって事も、わかってる。でも、それしかないの。自分達の力で、ソウという子に会って、何としてでもアースを永久に無効化しないと」
ケンは声を荒立てないように気をつけながら反論する。
「俺だって無効化できれば、それが一番良いと思うよ。でも、そんなの不可能だよ。そんな危険を冒すくらいなら、二人のどちらかがPPPだと、正面きって事情を説明してみるのはどう? 受け入れてくれるかも知れない」
リリはテーブルの上で両肘を抱えて乗り出す。
「もし私たちが名乗り出たとして、政府が必ずアースを無効化してくれる、私たちを安全に返してくれるという、保証はないでしょう? 今の政府は信用できない。事を急ぐばかりに、沢山の命が犠牲になっていることを黙認しているのよ。そんな政府に交渉なんて不可能よ。見つかった途端に何をされるかわからないわ」
ケンは昨日見た惨事を思い出した。リリの家族も政府に殺されたという。確かに、そんな政府を信用しろと言うのは、惨い事かも知れない。
「もうこれ以上、このDNAのことで馬鹿げた事が続いてはいけない。悲しむ人が生まれてはいけない。それには、私かあなたか、どちらかが必要なの。お願い! 危険は承知だわ。でも、私達にしか止めることは出来ないの。逃げ回っていても何も解決しないのよ!」
「ちょっと待てよ!」
ケンは椅子を蹴り飛ばして立ち上がる。
「俺にはそんな勇気ないよ! 捕まったらどうなるかわからないんだろう? 世界を救う為って言われても、はい、そうですかっていけるかよ! 俺はPPPかも知れないけど、ただの高校生だ。超人でも何でもない! 死ぬときは普通に死ぬんだ! 俺にはそんなの無理だよ!」
言った勢いで部屋を飛び出た。
大きな音を立てて、シャッターをこじ開けるのが聞こえた。
リリは何か言おうとしたまま、ただその姿を見送るだけだった。