第五章
五
ケンは警察を後にした。既に辺りは薄暗くなっていた。
さっきの警察官が、外にバイクを置いてある、と言っていた。あの時置き忘れて来ていたバイクをここに持って来てくれていたようだ。
助かった。
とてもあの場所にもう一度行く気にはなれない。外に出て、ぐるっと見回すと敷地の端にそれを見つけたときにそう思った。
このバイクは空気を強力に地面に吹き付ける力で浮き進む乗り物で、エアバイクと言う。サドルの下にファンがあって、それが高速で回る。十六歳からライセンスが取れると言う事もあり、若者の間では移動の手段として最も使われている。ケンもどこに行くにもこればかりだ。
ケンがずっと欲しがっていたエア・バイク。十六歳の誕生日に家の前に置いてあった。大喜びして両親に抱きついた。優しかった両親。
もうあの日々は戻ってこない。二度と……。
自然と流れそうになる涙をぐっと堪えてバイクにまたがる。パワーを入れ、ブワッ、という音と共に地面から軽く浮上する。
まずは家に戻りたい。帰って心の整理をしたい。
さっきの現場を通らないように少し遠回りして、家へと向かう道を走り始める。
プルルル。
家路について少しした時だった。
ケンの腕に付けている携帯電話が鳴る。腕時計のように手首に付けるタイプで、ケンのお気に入りだった。
でも今は誰とも話したくない。
そう思いながら着信相手を見る。電話はデールからだった。デールは今日行く予定だったレストランのオーナーだ。いつも家族で食事といえば決まって通っていたから、オーナーとも顔馴染みになっていた。
仕方ない、バイクを停めて応答ボタンを押しながら腕を顔に近づける。
「もしもし」
「あ、ケン君。どうしたの、今日はみんなで来るんじゃなかったのかい?」
「デールさん、すいません……」
その後が続かない。まだ自分自身に事実を受け入れさせることで精一杯なのに、それを客観的に人に伝えることなんてできない。
慌てたようにデールが話す。
「いや、予約をすっぽかされるくらい構わないんだよ。いつも来てくれているんだから。でも、お父さんにもお母さんにも電話したけど繋がらないしね、ちょっと心配になってね」
ケンは何も返事をすることが出来なかった。
「さっき、ラウ・ジン君もお店に来て、ケン君は来てないのかって聞きに来たし。これは何かおかしいなと思ったんだよ」
ケンは、デールの言葉を上の空で聞きながら、うっすら考えていた。
なんで、ラウ・ジンまで。ああ、そういえば今日学校で外食するってラウ・ジンには言ったっけ。
構わずデールは続けた。
「だって、今日は何か大切な日だったんだろう?」
「えっ?」
ケンは急に我に返る。
そういえば、今日はなんでわざわざ家族で外食しようなんていう話になったんだっけ。誰の誕生日でも、何か祝い事があったわけでもない。
ケンは聞き返した。
「大切な日?」
質問したデールが答える羽目になった。
「いや、だってお父さんが予約入れてくれた時に言ってたんだよ。この日は家族で大切な話をするから、少し静かなテーブルを頼むよ、って」
そんな話聞いてない。ケンは尚も訪ねる。
「父さん、何の話って言ってた?」
デールも困った声で答えた。
「それ以上は聞いてないんだよ。てっきりケン君の将来の事についてとか、そんな感じかと思ってたけど、ケン君も何も知らないとは思わなかったよ」
ピッ。ケンは携帯のボタンを押して一方的に電話を切った。
何? 大切な話? そんなの父さんも母さんも何も言ってなかったじゃないか。今までだって真面目な話をすることはあったけど、わざわざ食事をしながらすることなんてなかった。
色々考えても、やはり思い当たる事といえば一つしかない。俺達の事、そうPUREである俺たちのことだ。目立たない席を注文したのもうなずける。周りに聞かれたくはない話だ。でも、だったらなんで、わざわざ人目のある外で食事をしながら話さないといけない? 家で話せばいいはずだ。
今となってはもう、何の話をしようとしていたか、答えを聞く相手はいない。でもだからこそ気になる。
父は何をケンに伝えようとしていたのか? PUREである事に関係のあることなのか? いや、それほど大切な話なら家に何かヒントになるようなものくらいは残しているかもしれない。
家に早く帰ろう。
ケンはバイクに勢いよくまたがり、ブウウンという音と共に急いだ。
額を滴る汗が、風に混じってまた一つ飛んでいく。