第二十章
二十
何度か検問所のようなところで、車が止められることはあったが、一度も荷台の扉が開くことはなかった。かすかに聞こえてくる、門番と運転手の会話から汲み取れる内容は、ラウ・ジンの言った通りだった。
そしてとうとう、その場所へ着いた。車が止まり、エンジン音まで消える。すると外の会話がより明瞭に聞こえてくる。
「この荷物、今日は医療ルームに入れてくれって言ってたよ」
「医療ルーム? 珍しいな……。まあ、分かりました」
会話の一方は、子供の声のようだった。
「カルヴァーに頼まれたんだ。全部運んでくれる?」
「ああ、そうなんですか。分かりました。すぐ済ませます」
間違いなく、ここはコア・シティ内、IAA施設である。とうとう、たどり着いた。こんなにも簡単に進入できる方法は、きっとこの方法以外に無いだろう。しかし、こんな抜け道があることを、一体どれだけの人数が知っているのか。そもそも、この情報を知りうる立場とは?
ケンは次々と運び出される荷物の中で、まずはこの状況が一旦落ち着くのを待とうと思った。 しかし、ラウ・ジンの顔が脳裏をよぎる。
ここからどうしたらいい? ラウ・ジンは来ているのか? ここで外に出ても安全なのか? さっきの会話では、通常とは違う部屋に運ばれているらしいし、今回はイレギュラーなのかもしれない。その判断さえ、外が見えないこの箱の中では不可能に近い。
その焦りを隣にいるリリも感じたようだ。極小さい声で言う。
「ここから出ても大丈夫なのかな」
「分からない。もう少し様子を見よう」
リリは首を縦に小さく動かした。
荷物を出し入れする音が止まり、また会話が聞こえる。
「では、ここにサインをお願いできますか?」
「はい。ご苦労様」
ガタンという音と共に、一気に静まり返る部屋。どうしたものか、ケンも聞き耳を立てるくらいの事しか出来ずにいた。
と、真っ暗なケースの蓋がいきなり開き、部屋の明るい照明が目をつぶした。思わず声がでる。
「うわっ! 眩しい!」
リリも同じように眩しい、と言う。二人は目を隠しつつ回りを見ようとする。
次第に慣れてくる目を、しばしばと瞬きしていると、人影が目の前に見える。一瞬体を引いてから、焦点を合わせようとしてみる。
「……ラウ・ジン?」
そこに見えたのは、ラウ・ジンのようだが、先ほどとは何か雰囲気が違う。
ケン達が目を慣らしていた間に開けられたのだろう、レンジとアッシュもケースから体を起こし、ケンたちと同じようにその人影に目を奪われている。
「ラウ・ジンなのか?」
そこに、部屋のドアロックを開錠する電子音が聞こえた。
開いた扉から、スルッと入ってきたのを見て、息を飲む。
「着いたか」
今度は間違いなくラウ・ジンだった。
「今届いたところ。今僕が蓋を開けてあげてたんだ。大分遅かったね、大丈夫だったの?」
「まあね。ちょっと焦ったけど」
混乱するケン達をよそに、二人は平然と話している。
目の慣れた四人全員が、二人の顔を見比べて言葉を失う。並べば、なんとかどちらがラウ・ジンかは分かる。一人は線の細い、色白で儚げな雰囲気を持っている。ラウ・ジンも華奢ではあるが、もう少し筋肉質な感じがある。しかし、その二人は似てる似てないではない。そっくりだった。
それを様々な思いで、食い入るように見ている四人に、見かねたラウ・ジンが笑顔で話し出す。
「分かったよ、説明しろってことね? ここは、IAAの施設内の医療ルーム。診療所みたいな場所ね。ちなみにこの部屋の監視カメラは昨日の内に静止画像に切り替えるようにセッティングしてあるから、安心して」
「ちがうって!」
ケンはつい声を出してしまった。まずい、と顔で訴えたが、それも笑われる。
「大丈夫。ここは防音の上、録音もされてないから、大声で話していいよ」
ふーっと、肩を降ろしたケンが仕切りなおして聞く。
「や、だから違うって言うの。ここの場所のことももちろん聞きたかったけど、その、もう一人」
そう言う、ケンの見る先を追ってラウ・ジンも隣を向いて、やっと分かったようだった。
「ああ。なるほどね」
隣の少年も、ラウ・ジンに笑って返す。
「こいつが、僕の双子の弟でもあり、君たちがここに来た目的でもある、ソウだ」
ケースの中で座ったままの四人は、そのままただ唖然とするばかりだった。
医療ルームと呼ばれるその部屋は、その名の通り、二台の診察用と思われる白いベッドが窓際に置いてあり、壁にズラリと並んだ棚には、細かなビンに入った薬品が置かれている。奥に備えられたラックには、ケン達が入っていたのと同じケースが幾重にも積み重なっておいてある。備品のストックであろう。
既に日も暮れ、暗くなった空を見上げるそのベッドに腰をかけながら、ラウ・ジンは話し始める。
「びっくりさせるつもりはなかったんだけどね。黙っていたほうが色々と動きやすかったから。それだけの理由なんだ、許してね」
レンジは床から立ち上がり、ラウ・ジンと向かい合う形で、もう一つのベッドに座るソウをちらりと見てから言う。
「だから、普通じゃ絶対外に漏れない様な情報も、知る事が出来たってことか」
「まあね」
普段通りのラウ・ジンの笑顔だ。
ケンは強い口調で、大声を出さないように声を絞って言い寄った。
「一体どういう事だよ。お前、俺たちを騙したのか? 本当はここの奴らと仕組んだんじゃないないだろうな!」
それにはラウ・ジンでもソウでもなくアッシュが答えた。
「ケン。もし僕達を騙してここに連れてくる目的なら、もっと簡単に何度でも他にチャンスがあったはずだよ」
肩を叩くアッシュの顔を見て、ケンは少し落ち着こうと意識する。
「だったら、なんで監視なんかしてたんだよ。その理由だってちゃんと聞いてない。俺は少なくとも、お前とは友達だと……」
途中で自分の言葉を言い淀む。ケンはそのまま口を閉ざす。
自分には、心から友達と言えるような友情は築いてきたことがあっただろうか。自信を持って、ラウ・ジンを友達として大切に思ってきたと言えるのか。ラウ・ジンがケンに理由があって近づいて来たからと言って、偉そうに被害者面できるのか。
「僕に説明させて」
静かに言い出したのは、ソウだった。
「僕がラウ・ジンに頼んだんだ」
腰掛けていたベッドからぴょんと降り、ケンとリリの方に向かって行く。
「僕は、ここにずいぶん長いこといるんだ。本当にずっと。でも、何も知らなかった。自分の周りで何が行われているのか。たった幾つかの壁を隔てた向こう側で、とんでもない残忍な行為が行われていることにも、何も気づかないでいたんだよね」
何か言いたそうに見つめ返すケンと、ずっと下を向いたままのリリ。ソウは語りかける。
「一年ほど前、全部見てしまったんだ。全てを知る人の、コンピューターにしまわれた、今までの結果と今後の計画」
そのコンピューターを開くのに必要なパスワードが、自分の名前であったことを思い出し、持ち主の想いを裏切っている胸苦しさで、ソウは奥歯を噛む。
「幸せだったのは自分だけだった事に、びっくりしたよ。同時にそんな自分が許せなくて、吐き気すらしたんだ。ずっと閉じ込められているってふて腐っていた自分は、実は守ってもらっていたのに、自分は可哀想だとすら思っていたんだもの」
自嘲的に笑いながら、ラウ・ジンに向き直る。
「一刻も早く、PUREのPPPが来てくれないかと願ったよ。全てを終わらせる為には、それしかないって思ったから。その時、PPPの可能性のあるPUREが二人に絞られたって知って、ラウ・ジンに頼んで、ずっと様子を見ていてもらった」
アッシュは小さく訊ねる。
「事の成り行きを、手中に入れる為に?」
「そう。それにどんな人たちなのかも、すごく興味があった。僕を助けてくれる、ヒーローみたいに思ってたよ。その人が来てくれれば、ハッピーエンドだって。でも、甘かった。政府は、PPPを見つけたからって、大人しくアースの無効に着手するつもりなんてなかったんだ。もちろん、捕まえたPPPを無事に解放するつもりなんてなかった」
四人はぎょっとする。国に命を狙われるという恐怖は、改めて聞いても絶望に値する。
「待っていたってだめだって思った。だから、僕はラウ・ジンと一緒に自分達の手で終わらせてしまおうと考えたんだ」
ケンはうな垂れていた顔を上げ、聞き返す。
「自分達の手で、終わらせる? 俺達と同じ事考えてたんだな」
今日ここに至るまでの経緯は、まるで違う二人ではあるが、PPPに狂わされた道を、自分達でなんとかしようとする気持ちは同じだということが、ケンにはなんだか不思議に思えた。
「なぜ、ソウだけここに?」
突然、リリが声を出す。
え? と聞き返したのは、ケンだった。
「双子ならラウ・ジンも同じDNAを持っているんじゃないの?」
一卵性の双子の兄弟であれば、DNAは同じはずである。元々が特別な遺伝子であるはずのPPPに、その通説が当てはまるのかどうかはわからないまでも、当然の疑問なのかもしれない。
その質問は、ソウの表情を一気に曇らせた。一方、ラウ・ジンは一瞬、伏し目になっただけで、端的に話し始める。
「偶然が重なったんだ」
「偶然?」
レンジは首をかしげる。
「十五年ほど前、全てのLUVの子供が血液検査を受けなくてはならないって、役所から通知が来て、その当時結構な騒ぎになったの、知ってる?」
「ああ。本当は伝染病か危険なウィルスでも発生したんじゃないかって、親達は大騒ぎだったって聞いたことがある。実際は、政府が住民の統計を取る為だったって事で、収まったらしいけど。……あ、まさかあれって」
アッシュは、以前ネットで読んだ記事を思い出しながら、途中で感づく。
「そう。あれは、政府が本格的にPPPの研究に取り掛かる為の策だった。もっとも、当初は、PPPを見つけるというよりも、様々なDNAのサンプルを取って、今後の研究に役立てるつもりだったみたい。でも、その中に非常に特殊な配列のDNAを持つ子供を見つけることができたんだ。偶然に、ね」
リリはラウ・ジンの目を見ながらその先をよむ。
「それがソウだったのね。でもなぜソウ一人だけが?」
「また偶然さ。たまたま母さんが血液検査の予約を入れた日に、僕だけ熱を出した。しょうがなく、その日はソウだけを連れて行き、僕のことはまた後日に、と置いていったんだ。でも、ソウの血液を調べた時、突然役人達はソウを取り上げて、連れて行ってしまった……」
「でも、双子の兄弟がいることなんて、役所の人が調べれば、それこそすぐにバレてしまうんじゃ……」
ラウ・ジンは呆れたような笑顔を向けて語る。
「これも偶然。僕らの父さんは、役所の戸籍課に勤めていたんだ。まさに、僕らの出生の記録を管理する部署に。あとは、もう分かるかな……?」
リリは、眉を寄せて目を凝らす。
「記録を書き換えた……?」
「正解。母さんがソウを連れて行かれて真っ先にしたことが、父さんに僕は死んだことにして欲しい、と伝えることだった。そして、母さんの古い友人である、僕の育ての親のところに、僕を連れて行ったって訳。本当の僕の名前は『ラウ』。『ジン』という名前は、育ての親が後から付けてくれた。どちらも本当の母親だ、ということで二つの名前をくっつけて『ラウ・ジン』になったらしい。まあ、実は、僕もそれを知ったのは、最近。育ての親が、全て教えてくれた。遺言で、だけどね」
リリは、ここにも辛い経験をしている若者がいるのか、と目をきつく閉める。いくつの人生がPPPの為に狂わされているのか。悔しい気持ちで胸が痛くなる。
ずっと黙って聞いていたソウが、堪らなくなってケンに説明する。
「ラウ・ジンは何より、僕をここから助け出す事を考えてくれた。でも、僕はアースを無くさない限り、何も変わらないって分かっていた。だから、僕はここで、ラウ・ジンは外で、情報を集め、計画を練った。分かってほしい、ラウ・ジンは君達を騙したりしたんじゃないんだ。君達と同じ、PPPの悪夢を終わらせる為に、動いていただけなんだ」
ケンは、頑張って自分の顔を笑わせ、ソウに返事をした。
「わかったよ。俺こそ、騙したのか、なんて言って悪かった。俺達は、同じ事をしようとしていただけなんだな」
ソウは嬉しそうに笑う。
「うん。そしてそれも今日で、全て終わる」
その場の誰もが、期待と不安で高揚する。
そこに集まったのは、六人の少年と少女。時と場所が違えば、ただの友達同士として、仲良くなれたかもしれない。しかし、今彼らが迎える瞬間は、そんな日常の一こまではない。苦しまされた日々の清算と、明日から始まるべき新しい道へと進む為の儀式とも言える、終止符を打つ時。
緊張とは違う、高鳴りとも違う、息を深く吸えない、何かに詰まる空気。
ケンは強く言う。
「やるべきことはわかってるんだ。終わらせよう。全部終わらせてから、俺達、お互いをもっと知り合えるさ。今は、ここに来た目的を果たそう」
リリはケンから目をそらさないままで大きく頷く。レンジもアッシュも、自然に力が入る。
ラウ・ジンは、いつもの笑顔をこの時は崩していた。
「ここには全て必要なものが用意できている。すぐに取り掛かれる。あとは……」
そう言って、ラウ・ジンはソウを見つめる。
「そういえば、LUVのPPP潜在能力の開放はされているの? 条件は分かったって」
リリが以前ラウ・ジンが言っていたことを思い出した。
全て了解している、という顔でソウは柔らかく頷く。
「安心して、問題ない。すぐに終わるから。その前に聞いて欲しいことがあるんだ」
妙に落ち着き払った様子のソウに、ラウ・ジンは怪訝そうに言う。
「ソウ。開放条件って一体なんなんだ。まだ準備できてないってどういうことだ? 一人ではできないことなのか? もう教えてくれてもいいだろう?」
「どういうこと?」
ケンはその会話に割り込む。ラウ・ジンにも焦りの色が出る。
「実は、ソウから開放条件が分かったって聞いたけど、その方法は当日になれば分かるって言うから、僕もまだ聞いてないんだ」
ソウは静かに立ち上がり、部屋の奥に向かって歩きながら、どこまでも穏やかに話し始める。
「開放条件はね、簡単な事だった」
ソウは薬品のストック棚のある、部屋の突き当りまで行き、振り返る。
「PUREと同じ」
にこっと微笑みながら、いつの間にか手にしているボトルを口に持っていく。
「……おい、やめろー!」
ラウ・ジンが飛びかかる。
壁に押し付けられたソウは、その勢いでボトルを床に落とす。
一瞬遅れて、その意味を理解した四人は、ソウの足元に転がるボトルを見て息を飲む。
それは、先ほどシューターの前でラウ・ジンが話していた、IAAの使う毒殺用の水だった。
リリは反射的に上げる悲鳴を止められなかった。
「そんな……!解毒剤は?ないのか?ここ医療ルームだろ?」
ケンも状況を忘れて駆け寄りながら、声を上げる。
レンジは呆然と立ちつくし、アッシュは手当たり次第、近くにある薬品を調べるが、心当たりがあるわけでもなく、横目でラウ・ジンの背中を見守るばかりだった。
ラウ・ジンは必死の形相で、ソウの体を床に座らせ、背中をさする。
「出せ、出してくれ、ソウ! なんてことするんだよ!」
気づきもしないその瞳から流れ出ている涙が、ソウに降りかかる。
ラウ・ジンには分かっていた。この毒で作られたた水を一度飲み込めば、その吸収を止めることなど出来ないことは。しかし、このまま見ていることなどできるだろうか。
「一体……何をしている……!」
その声は突然後ろから聞こえた。
ソウ以外の全員が驚いて振り返る。
「お前達は、PURE? ソウ……? そんな……まさか、双子?」
ドアの前には、次々に目にはいる状況が信じられないという表情で、立ち尽くすカルヴァーがいた。
「だれ……」
身構えながらその背の高い男を見返すレンジに、アッシュは言う。
「カルヴァー・シュレイズ。政府の役人。IAAの総責任者」
レンジだけでなく、ケンもリリもその答えに驚いていた。
ソウは、ラウ・ジンの顔を見たまま答える。それは予測の範囲だったかの様に驚く素振りは見せずに。
「早かったんだね、カルヴァー。もっと地下での騒動の収拾に、時間がかかるかと思ってたんだけど。さすがだね」
カルヴァーは、部屋を一瞥した次の瞬間に、自分の血の気が引いていく音までを聞いた。床にあるボトルを見れば、その末路がどうなるか、わからない訳がない。
「ソウ! なんて事を……!」
その場で片膝をついてしまうほど、力が抜けた。
「……なぜ……」
ソウは、徐々に薄れ始める意識と、味わったことのない痛みが湧き上がるのをなんとかごまかしながら、一言一言、大切に言葉にしていく。
「……ケン、リリ。もう説明しなくても、わかるよね。僕が……死んだら、すぐにラウ・ジンの血液を輸血して。僕達の目的を、果たして欲しい。頼んだよ。レンジ、アッシュ。来てくれて……ありがとう。できたら、ラウ・ジンとこれからも仲良くしてあげてね」
リリが声を上げて泣く声が聞こえると、ソウは少し笑う。
「カルヴァー。聞こえる?」
もう何も説明の要らないほど、自体を把握していたカルヴァーは、壁に背中を預け、呆然とした顔で、ちいさく返事をする。
「……ええ。聞いています」
「いままで、ありがとう。本当によくしてくれて。なのに、いい子でなくて、ごめんなさい」
カルヴァーは痛みと愛情の篭った瞳をそらす。血の気のなくなっていく顔を、それ以上見ることが出来ない。
「最後に一つだけお願いがあるんだ」
肩で大きく息をしてから、話し出す。
「この五人を……逃がしてあげて。もう、これ以上、誰も苦しまないように。……お願い」
カルヴァーは、下唇を噛み、必死に気持ちを抑える。いくつもの命を殺めてきた彼に、欠如していた感情が怒涛のように押し寄せ、人を失うという本来の悲しみを教えられる。口元に手をあて、どうにもならない事に、ぶつけようのない悔しさを握ったこぶしに掴んでいた。返事をすることもできず、そのまま、崩れるように床にへたり込む。
ソウは、最後の力を込めて、唯一の家族に向かって語りかける。
「ラウ・ジン。……聞いて。最後まで……黙っていて、ごめん。でも、僕は……ラウ・ジンがいてくれるから、死ねるんだ。僕の……半身……が僕の代わりに、いてくれる……から」
ラウ・ジンはどうすることも出来ずに、ソウの腕を抱えながら泣いていた。
「僕の分も、……色んなところに行ったり、色んな人と会ったり、恋愛……ははは、とかもしてさ。幸せな人生……ってやつを、送ってくれるって、しん……じてるから」
話す言葉は既に、息切れと共にしか発することが出来なくなっている。
ボトルの水を口に含んでから、三分が経とうとしている。
「ソウ……」
「いま……やっと、僕に……生まれてきた価値が……理由が……みんなの役に立って……だから……うれしいん……だ」
「ソウ!」
小さな息と共に、全ての力がソウから抜ける。
最後の言葉は、嘘ではないのだろう。苦しかったであろう最期を迎えたはずなのに、満足そうに微笑んでいるのだから。
「わああああ」
堰を切ったように、その体を抱きしめながら、ラウ・ジンは泣きじゃくる。やっと出会えた家族が、また目の前でいなくなってしまった。その虚無は涙で埋められるものではないはずなのに、止めることは出来ないほど。
ケン達も、すべきことの優先順位がわからない。それにもまして、気持ちが一杯一杯でもある。
その時、大きな声が部屋に響く。
「お前達は、一体何をしに来た! ソウを死なせる為か? なんでこんな事になるんだ!」
感情のままに叫ぶその声は、怒りを超えた悲痛なものだった。
「こんなところまで乗り込んで来て、自力でアースを無効化させる為か。いい度胸だ! 自分の命を守る為に、危険を冒して、最期はソウが死んでくれた。後は輸血をするだけか! 思い通りだな! これも計画通りか?」
「ちがう!」
睨み付ける先には、感情をあらわにするケンがいた。
「俺達は、そんな思いでここに来たわけじゃない!」
今のケンには、アースを無効化しなければならない事や、目の前のLUVに捕まってしまうかもしれないという思いは、どこかにいっていた。ただ、自分や仲間の思いを、私欲にまみれたものだと取り違えられるのは、許せなかった。
「俺達は、確かにアースを無効化させる為に来た。それに、もう、追いかけられたり、逃げ回ったりするのもいやだった。でも、自分の為だけじゃない! 自分が助かればいいなんて思っていない!」
「ならばなぜソウが死ななければならない! ソウは死に、助かるのはお前達だけだろう。ソウの命を踏み台にお前達は生きていくのではないのか!」
カルヴァーの放つ言葉はケンにも聞いている四人にも痛かった。ソウの死がもたらす事実は、言い方こそ違えどその通りなのだから。
でも、ケンには言わなければならないことがある。一度、大きく息を吸って、一気に吐く。
「あなたの言うことは、事実かもしれない。でも、きっとそれはソウの願ったものじゃない! ソウはきっと、ソウは、あなたに分かって欲しかったはずだ!」
「私に?」
ケンは、大事そうにソウを抱えるラウ・ジンから目を離して言う。
「大事な人を失う辛さを、その苦しみを、あなたにも分かって欲しかったに違いないんだ。だから、自分が最後になることを願って、全てを終わせようとしたんだ。その気持ちを、あなたが分かってがあげなければ、ソウが自分の命を投げ出した意味すら無駄にしてしまう!」
前が良く見えないのは、自分の涙のせいだと気づかずにいるケンの腕を、そっとリリが掴む。顔を上げたまま、その手をケンは反対側の手で握り返す。
「俺達は、絶対無駄にしない。ソウも、俺達の家族も、たくさんのPUREの命も、全てがアースの無効化に向かった道だったのなら、俺達は、そこをまっすぐ進む!」
無我夢中だったケンが、荒げた息をそのままにカルヴァーに向かう。
嫌な沈黙が流れる。
無意識に息を荒げていたケンの呼吸が、部屋の中を埋めていく。うな垂れるしかないケン達は、ただその空間に佇んでいた。
事情がどうであれ、ここは敵地であることには変わりない。少し前まで希望に満ち溢れていたこの部屋は、すでに監獄同様といってもおかしくはないのだから。
しかし、次の一言は静かに、それでもはっきりと、ケンの耳へ入ってくる。
「……五分」
「えっ?」
ケンは、今さっき自分達を罵っていたのと同じ声が言う言葉の意味がわからなかった。
怒りとも、悲しみとも違う感情の波の中で、カルヴァーは口を動かす。
「五分間だけ、侵入者警報を鳴らすのを待ってやると言っている」
レンジとアッシュがお互いを見合わせる。ケンはカルヴァーを見返して言った。
「……逃がしてくれるのか?」
「それが、ソウの初めてで最後の、私への願い事だというのなら、私はそれを叶えるだけだ」
憔悴しきっているが、ぐっと堪える表情は、どことなく威厳を感じる。
「さっさと行け、気が変わる前に。裏の通用出口から出れば、街までもすぐだ。見つからずに逃げれる」
レンジがラウ・ジンをなんとか立たせて連れて行こうとしている。リリとアッシュもドアを開けてケンを待つ。
ケンはそのまま出ようとして、一度躊躇し一言だけ付け足す。
「……ありがとう」
そのまま、五人は振り返らずに裏口を目指した。
部屋に残ったカルヴァーは、小さな亡骸に目を向ける。その顔は、嬉しそうに微笑んで、痛みのない世界へと旅立っていったかのよう。
無くしていた胸の痛みに震えながら、カルヴァーは呟く。
「お前は、会いたがっていたものな。あのPUREたちに会うことを、それだけを楽しみにしていたものな……」
LUVの潜在能力発動の方法を知ったとき、ソウはすぐにでも自らの命を絶とうと覚悟した。
しかし、その前に一つだけ、わがままを叶えさせて欲しいと思ったのだ。
それはPUREのPPPに会うこと。
どんな人たちなのか、ソウはどうしても自分の目で見て、彼らと話をしてみたかった。
だから、わざわざここまで来てもらう手はずをラウ・ジンと整えたのだ。
ソウは満足だった。
彼らになら、PPPの結末を任せられると、思ったから。自分は、何の心配もいらずに、この世を去ることが出来ると。
これがソウの、生まれて初めての、自ら選んだ道だった。