第一章
一
「うわあ。今日もギリギリだ。母さんなんで起こしてくれないんだよ」
ケンは頭をポリポリと掻きながら、不貞腐れた顔を見せる。
「さあさあ、文句言う暇があるなら急いで用意しちゃいなさい。そんな寝癖じゃモニター越しでも笑われるわよ」
母は呆れ顔で朝食の用意をしながら、テーブルに座ってニュースを見ている父親をちらりと見る。
「ケン、今日の約束忘れてないだろうな? ちゃんと予定空けておいてくれよ?」
ニュースを見ていた父が、首を伸ばして聞こえるように声を届ける
「うん、大丈夫。お、やばい! 朝食、今日はいらない! 授業始まっちゃう」
パンをひと欠片だけ銜えて軽く手を振る。
「さぼんないでちゃんと勉強するのよ」
父と母は、いつもと変わらぬ朝を迎えている息子の姿を見送る。
「いつまでも、こんな毎日を続けたいだけなのにねえ」
母は力なく笑う。
「きっと、大丈夫さ、あの子なら」
そうであって欲しい、と願いを込めて父呟いた。
ケンは自分の部屋にバタバタと戻り、急いで机の上のインターネット・スクールに繋ぐ。ハードディスクの電源を入れ、座り慣れた椅子に腰掛ける。
プシュ、という小さな音と共に目の前にスクリーンが広がり、一瞬にして風景が三六〇度教室に変わる。実際は自分の部屋にいるのだが、画像・音声全てが「学校」というヴァーチュアルな空間に転送されたのだ。
電源を入れた時点で、自分は教室に居るのと同様の情報を受け取り、また自分の発する言葉や姿も、同様に教室に居る人たちにも供給されるようになっている。
通学制の学校もあるにはあるが、数年前からこのインターネット・スクールが実装され、徐々に入学者が増え始めている。最近では子供が行方不明になるような事件が多発している事もあり、ケンの親も高校進学時に、この学校への入学を勧めた。
「よっ、ケン。今日もギリギリか?」
振り向くと後ろの席のラウ・ジンが笑っていた。ラウ・ジンとはこの学校に入ってから、なぜかいつも席が近かったのが理由で仲良くなった。とにかくいつもニコニコしてる奴で、気のいい奴。今ではいい友達だ。
呆れ顔でラウ・ジンは言う。
「寝癖、今日もついてるな。少しは身だしなみにも気をつけろって。普通さ、そろそろ色気づく年頃だぞ?」
赤い瞳でニヤっと笑いながらケンの寝癖を指で触る振りをした。ケンはそれを軽くあしらうように片手で払う。
フン、と鼻で笑いながらラウ・ジンは続けた。
「僕はね、ケン。ケンの容姿がもったいない、って言ってるんだよ? その黒い髪。それ、染めてないんでしょ? それにそのこげ茶の瞳だってそうさ。まるでPUREの人間みたいじゃないか」
ケンはどきっとした。が、それにラウ・ジンは気づいてはいないようだ。ラウ・ジンは目を閉じてウットリと想像を膨らませながら、自分のありきたりな赤い瞳やグレーの髪がケンのそれだったらどんなに、と力説している。ケンはこっそりと胸を撫で下ろした。
ピピピピピピ。
目覚まし時計のような予鈴が鳴った。
「あーあ、授業か。またな、ケン」
まだ話し足りなそうなラウ・ジンに手を振って前に向き直るケン。
ふう、ドキッとするようなことを言うなよ、ラウ・ジン!
ケンはまだ心臓が大きく鳴っていた。
ビンッ、と画面の変わる音がして、一時間目の授業、歴史の先生が目の前に現れた。
「よーし、今日は前回の続き、銀河系一美しいといわれた地球から、なーんで人間がマナに移り住んでくるようになったのか。理由を勉強していく。手元のモニター開け」
どこか知らない星の昔話でもしているみたいな授業。特にいま授業を受けているこの年代には、余計、リアリティは皆無だろう。彼らにとって人間は、歴史上の存在なのかもしれない。
そう、ラウ・ジンも周りのみんなも先生も人間じゃない。LUVと呼ばれるこの星の先住民。そして広いこの教室の中で人間なのは俺だけだ。
誰も俺が人間だって事は、知らないけれど。