第十八章
十八
その声は、まさしくケンのものだった。二人はその姿は見えないが、間違いなくケンの声を、この建物の中から今聞いた。
「レンジ、アッシュ! ごめん! 俺、二人を置いてコア・シティには行けない!」
一歩ずつ、その姿を明るみの中に現わす。震えて収まる様子の無い足を、バレないように踏みしめながら。
「あの、ばかっ……」
レンジは必死に首を上げてケンの姿を見つけようとしていたが、その力を抜き、頭をガクンと地面につけた。
「もしかして、探す手間が省けたって事かねえ?」
面白そうにその声の方を見やりながら、ヴィカは立ち上がる。
他の仲間たち同様、成り行きを見ていたガフが、突然大声で喚く。
「ああ、こいつ! おいらが昨日捕まえた奴ですぜ、ヴィカ様!」
距離を置いてこちらの様子を見る続けるケンに、ヴィカは腑に落ちたという表情で話しかける。
「お前が本当の政府のお尋ね者かい」
ケンは、ぐっと顎を引き、睨み付けるような瞳を見開く。そして、思いっきり大きな声で叫んだ。
「お、俺は……。俺は、PUREだ! その二人を、返せ!」
一瞬、しんとしたすぐ後。
「あははははは!PUREだからなんだというんだい。お前みたいな、小僧がひとりで何するつもりだい?」
ヴィカは首を仰け反らせて言った。つられて、男達もからかうように笑う。
「うるさい! 俺だって、先に進んでみせるんだ!」
「先に進む? どこに行くっていうのさ」
ヴィカは、既にこの少年は手中にあるのと同然と言わんばかりに、余裕の様子でケンにわざと話させる。
傍から見れば、虚勢を張っているようにしか見えない、明らかに不利でしかないこの状況の中で、ケンはただ一生懸命訴えた。
「俺も、一昨日まで何にも知らなかった。地下にこんな街があることも、アースの事も、そして自分自身のことも」
ヴィカは、ケンが『俺も』と言ったことで、さっきの話を聞いていた事を察した。
「俺はあんたと違って、全部知らなければ良かったと思ったよ。知らないで済むなら、その方が幸せだって、そう思った。でも、もう一つはあんたと同感だ。世界を知る可能性を持つ権利は、誰にでもあるべきだ、って」
不意をつく言葉に、つい興味を惹かれる。
「ほお? それで、お前は何をする? 事を知り、選べる道があるお前は、どこへ進む?」
ヴィカの試すような問いかけに、ケンは戸惑う事無く答える。
「どれが正しいとか、どれが間違ってるとか、そんな事は俺にはわかんない。俺はただの高校生で、成績だって普通だし。でも、わかんないから、わかんないからこそ、怖いとか、面倒とか、そういうことに惑わされない、本当に自分がしたいと思ったことを、するよ」
その先は、レンジとアッシュに向かって言った。
「だから、今は、コア・シティに行くことより、二人を助けることの方が優先なんだ」
レンジは、横たわったまま目をつぶり、天を仰ぐ。アッシュは、苦笑いのまま、また溜め息を漏らした。
ヴィカは単純に疑問に思う。
「お前たち、コア・シティに一体何をしに行くつもりだい?」
今、一番このPURE達が近寄りたくないはずの場所に、何の用があるというのか。
「自分達の手で、終わらせる為に」
「終わらせる? まさか……コア・シティに、乗り込む気かい?」
「そうさ。馬鹿げた話だと思うんだろ、そう思ってればいいさ! でもな、俺たちは本気だ。自分達の未来は、自分達で変える。変えてみせるんだ。変えれる可能性があるんだから!」
自分の気持ちを精一杯込めた言葉は、ケンの息を荒くさせ、気づかぬうちに肩も揺れる。
ケンの言葉に、聞き入る風にしていたヴィカが、その思考を消し去るように凄みを利かせた声をあげる。
「分かっていないみたいだねー、自分の立場が! お前はもうどこにも行けやしないさ。お前に未来なんてないって事だよ! お前たち、そこの坊やをとっ捕まえな!」
その声を聞いた周りの男達がニヤニヤと笑いながら、ケンに近づいて行く。
ケンは周囲を睨み返すが、じりじりと囲まれていく。何度も後ろを振り向きながら、少しずつ後ずさるしかない。
手に持ったロープをプラプラとさせながら、ガフも歩み寄る。
「ぐふふ。今度は逃がさないからなー」
忘れることの出来ないこの顔。昨日の恐怖と、今湧き上がるこの憤りで、ケンは自然に眉間に力が入る。
「へへへ。逃げ場はないぞー、外にも仲間が一杯集まってるからなー」
ガフがまた一歩、足を踏み出したときだった。
建物の外から、何かモーターのような動作音が聞こえる。
レジスタンスのアジトになっているこの大きな元工場は、建物内に間仕切りが殆どない為、音がとても通る。その次第にこちらに近づいている聞きなれない機械音も、そこにいる誰の耳にも届いた。そして、それが何かしらの異常を知らせていることに、皆動きを止める。
ヴィカもその音のする方に顔を向け、不審がる。
「……なんだい? この音は」
外にも仲間はいるはずだが。男の一人が、外を確認しに出入り口に向かう。
ケンは依然立ちはだかる男達に、隙を見せないように気をつけながらも、その行く先に視線を這わす。そして、一人、唇をクッと噛み締め心の焦燥を抑えようとする。
音はいくつも重なり合いながら、次第に大きくなりながら近づいてきていた。もうそれは、建物のすぐそこにいるように聞こえている。
この近くには、自分達以外には誰も寄り付かないことは、ヴィカ達が一番良く知っている。 訝しがるヴィカの視線を背中に受けながら、男が外へ出る金属ドアを開けたときだった。
シュンッ。
扉を開けた男は、その場所で仰向けに倒れていた。
その様子を見ていたヴィカと男たちは、そのモノの速さと予想だにしていなかった展開に、反応しきれずに成り行きを見ているだけだ。
それは、この地下には一切ないはずのエア・バイクだった。空気を吹き上げて移動するこのバイクは埃だらけのこの街には、不適切極まりない為に、一切広まらなかった。
その無いはずのエア・バイクがざっと二十前後、次々と倉庫内に入ってくる。すぐに数台のバイクが倉庫内を低速で移動しならが現状把握を始める。やけに統率の取れた動き。事前にしっかりとした指揮が執れている様に見える。
扉を開けた男をなぎ倒したエア・バイクには、背が高く、ガラスの様な目をしたLUVが乗っていた。
「お前たちは! まさか……!」
ヴィカは、驚きと腹立たしさで歯軋りをする。彼女には、相手が誰で、何の目的なのかということは概ね理解できていた。
先頭にいた男が、バイクに乗ったまま、少し高い位置から言う。
「お前が親玉か。ここにPUREがいるだろう、こちらに渡せ」
聞いていたレジスタンスの男達は、乗り込まれた事でかっとなっている。ヴィカが声を上げれば、すぐにでも飛び掛るつもりのようだ。ちらほら聞こえる怒声が、緊迫感を煽る。
「挨拶もなしに、随分な態度だねえ。人の家に勝手に上がりこんでおいて、その言い方は野暮なんじゃないのかい?」
迎え撃つ準備はいつでも出来ているのか、ヴィカの物言いからは怯む様子は伺えない。
「素直に従うとでも思っていたかい? なぜここが分かった。誰が垂れ込んだんだい。教えてくれてもいいだろう、政府の役人さん?」
そこまでを、固唾をのんで聞き耳を立てていたレンジとアッシュは、ヴィカの発した言葉に飛び上がりそうになる。縛られているから、僅かに体が揺れるだけではあったが。
「隠す必要もないだろう。我々はIAA、政府管轄の部隊だ。特別命令で地下に来ている。ここに我々の探すPUREがいるという情報が入った。そのPUREさえ渡せば、我々はそれ以上の争いを起こすつもりは一切ない。しかし、遂行が妨げられれば、何をしても構わないという許可も出ている。状況が理解できたら、速やかに該当者を引き渡してもらいたい」
「大事なことをお忘れのようだね、お役人さん。ここは、『地下』だ。命令だの許可だのは、ここじゃ無いも同然。誰もそんなものは怖くもなんともないんだよ。それに、ここに上の人間がいるってばれようものなら、あっという間にそこいらの荒くれ物が山ほど集まってくるよ?」
レジスタンスの男達は、悪趣味な笑い声を上げながら、各々の手に荒々しげな武器をもてあそぶ。
バイクに乗る男は顔色一つ変えていない。簡単な取引になるとは思っていなかったということか。その後ろに控える部下であろう男が小声で問う。
「シュリ様、三名のPUREを確認しております。ご指示を」
シュリと呼ばれるその男は、一度ゆっくり瞬きをして辺りをぐるっと見渡す。床に転がる二人の少年。もう一人は死角にいるのだろう。その様子をヴィカも見ていた。ほんのちらっと、ケンのいる方向に目だけを動かす。
「では、我々の要求を聞き入れない、と解釈してよいのだな?」
年頃の女性としてみるならば、美しいという賛美を受けるに違いないその顔に、わざとらしく笑みを浮かべて言いのけた。
「どうぞ、ご自由に」
シュリとヴィカの目が静かに触激した。政府側は人数では圧倒的に不利ながらも、エア・バイクという飛び道具は攻防に圧倒的に有利になる。レジスタンス側は、自陣営内であることで、数と力で分がある。どちらも、負ける気などない、という様相だ。
「障害を排除し、PURE三名を奪取」
「お前たち、お客様の相手をしておやり、手加減はいらないよ!」
それぞれの掛け声が、戦いの合図かの様に、向かい合った交戦体制の男達は動き出す。
反響する館内、怒声、金属のぶつかり合う音。蹴飛ばされ、引き摺り下ろされ、床に突っ伏し舞う土埃。今まさに始まった攻防戦は、目の前で繰り広げられている。
それを避けながら、レンジとアッシュは、目立たないように転がり移動する。どうせこの格好では逃げられないと思われているからか、この二人を見張っていた男達も大声を上げて戦陣に加わっていった。
「おい……。これ、一体どういうことだ?」
レンジはアッシュにまず発する。
「僕だって知りたいよ。なんでIAAがこのアジトまで来たんだ? いくらなんでも早すぎる。僕たちがここに来たのだって、ほんの一、二時間前だろう? それなのに政府の部隊がもうここにいるなんて」
「あの女親分が言っていた。『誰が垂れ込んだ』って。誰かが密告したんじゃないか?」
大きく鼻から息を漏らすレンジ。と、はっと気づいた。
「そんなことより、ケンは?」
やっとのことで体を起こして探してみるが、その姿は確認できない。同じ建物内とはいえ、ケンと二人の場所は離れていて、声こそ聞こえたがその姿は先程から見えていなかった。
「まさか、捕まってなんか、いないよなあ……?」
心配そうなレンジの声にアッシュは軽く睨む。
「心配するくらいなら、助けに行くこと考えないと、だろ? 早く、後ろ向いて。まず僕がレンジの縄ほどくから!」
だな、と苦笑いして素直にアッシュに背中を向けようと振り返ると、焦点が合わない。すぐ目の前に壁。
面食らう。
いや、壁のはずが無い。次第に見えてくる実体。それは大男、ガフが屈んでこちらを見ている姿。
「わああ」
気がついた途端、レンジはお尻を滑らせ後ずさる。
「お前たち、逃げようとしてるなー? 見つけたぞー。だめだー、また俺が怒られるじゃないかー」
あちゃー、と目をつぶるアッシュ。
「あっちの鉄柵に繋いでおこう」
ガフにかかれば、少年二人を担ぐことなどは造作もない事。腰を屈めて持ち上げようとした所で、それは上から降ってきた。
ゴン。大男の顔が地面にのめり込む。
「ぶはっ。こいつ今日も地面とキスだ」
驚く二人は、何事かと顔上げて二度驚く。
「ケン!」
それは、エア・バイクで大男の顔を踏んづけたケンだった。
「お前! 捕まってなかったのか! どこにいたんだ?」
「心配かけてごめん。大丈夫だった?」
バイクから飛び降り、二人を縛り上げる縄を解きながら、ケンは口早に説明する。
「これ、全部俺たちが仕組んだんだ」
「仕組んだ?」
「二人がレジスタンスに捕まったのは、ラウ・ジンのせいだったんだ。あいつが、俺とリリを間違いなくコア・シティに連れていく為に、こいつらの矛先を急遽レンジとアッシュに向けさせたんだ」
アッシュは納得した表情で言う。
「なるほどね。だから、彼女は僕達をPPPだと信じ込んでいたのか」
ケンは頷く。
「でも、俺はそんなの許せなかった。二人に身代わりをさせて置いていくなんて」
ケンはすまなそうに言った。
「だから、コア・シティには行かなかった。約束破ってごめん」
「気にするな、ケン。謝ることなんか無いだろう。俺たち、助けてもらったんだぞ?」
そう言うレンジは、縄が解けて、今まで締め付けられていた部分を痛痒そうにさする。アッシュも同意する。
「そうさ、礼を言わないといけないくらいさ。でも、これを仕組んだってどういうこと?」
「ああ。ラウ・ジンを脅して計画を考えさせた」
面白そうに笑うケン。
「詰め寄ったんだ、お前のせいなんだから何とかしろって。そしたら、俺にここに来て、なんとか時間稼ぎをしてろって。必ずここが騒動になるようにするから、それを利用して逃げろって」
まさか、という表情で驚くアッシュ。
「政府に密告したのは、ラウ・ジン?」
「俺も初めは、訳がわからなかったけど、どうやらそうらしい。この混乱はラウ・ジンの仕業みたいだ」
「何者なんだ、ラウ・ジンって奴は」
ケンは肩を窄めて答える。
「ま、とにかく、こいつらが揉めてもらってる内に逃げないと!」
レンジがケンを制する。
「でも、ケン。お前のそのエア・バイクはどうしたんだ? 大体、一台じゃ三人逃げられないし」
そのレンジの横顔に一つ陰が被る。
「一台じゃないよ、レンジ」
レンジは声の主を見て笑う。
「リリ。お前も来たのか」
リリは体中砂だらけだった。
「私だって、二人がいなきゃいやよ」
頬についた泥を手の甲で拭きながら言う。
ケンがここに潜り込んでいる間に、リリがバイクを地上から運んできていた。一台のバイクに乗り、もう一台を運ぶのは大人の男でも力を要す。
きっと何度か転倒したのだろう。
恥ずかしそうに笑ってから、意識して真顔にもどす。
「早く乗って。見つかる前に、ここから脱出しないと。間に合わなくなっちゃう」
「間に合う? 何に?」
レンジが聞く。
ケンがアッシュを後ろに乗せて、アクセルを吹かしながら答える。
「コア・シティに決まってるだろ?」
シュリはワイヤレスマイクで部下に指示を出しながら、戦況を見ていた。
どんどん増えてくるレジスタンスの数が多すぎて、スムーズに鎮圧が出来ない。しかも動き回る度に舞い上がる砂埃と、元々の薄暗がりのせいで、PUREの居場所すら把握仕切れていない。
「全く、視界が利かない。なんて暗い場所だ」
シュリは愚痴る。このスクラップ・エリアは特に明かりの少ない地域ではあるが、ここに来るまでの間も、真昼間とは思えない暗さに多少なりとも驚きを感じていた。
シュリは地下のエリアに来るのは初めてであった。普段から、住人には内密に設置されている監視カメラや、資料などで内部の一部始終を把握していたつもりではあったが、実際に来て見るのとは、違うものだった。
「よく、こんな世界で生きているものだ」
同情にも似た気持ちが口をつく。しかし、そんな思考はすぐに切り替わる。マイクに向かって指示をだす。
「動きの取れるものは、隙を見て該当PUREの居場所を確認しろ。報告せず確保で構わん」
ヴィカは常日頃から鍛えた体で、縦横無尽に動き回るバイクから男たちを引き摺り落としたり、低空飛行するものには飛び掛ったりして奮闘していた。
「お前たち! 日頃の鬱憤、思いっきり晴らしてやりな!」
側にいる男達は、声を上げ奮起する。
また一台、ヴィカの前にバイクの陰が現れる。すばやく一度横に避けてから、すぐ後ろに回りこみ、飛びつきバイクに乗り込んだ。交戦しつつも運転する男の首に腕を回す。バイクは右往左往しながら進み、その後ろでヴィカは高々と笑い声を上げていた。そのヴィカの視界に入ったもの。
エア・バイクに乗って逃げ出す少年達。
瞬間、後を追おうと体が動く。しかし、ヴィカにはこのバイクを運転する術は分からない。もちろん降りれば追いつけるはずも無いだろう。ヴィカは男の首を締め付ける腕を緩め、トンと地面に飛び降りる。気道を押さえられていた男は、咳き込みながらその場を離れて行った。
ヴィカは追いかけるべきPUREの少年達の姿を目で追う。他にすべきことがあるだろうと、頭では分かっていながらも、力が抜けてしまって呆然と見送っている。そして、自分に言い聞かせるように呟いた。
「あんな子供が、政府に楯突こうなんて、面白いじゃないか」
ヴィカは、自分が以前灯したモノ、心に燻らせたモノに似た何かを、ケン達が体のど真ん中に燃やしているように見えた。だからだろうか。
「あの子らがどこまで出来るか、高みの見物でもさせてもらおうかね」
ヴィカは、何かを期待するような気持ちで、その姿がこの倉庫から出て行くのを確認し、また向かって来た政府のバイクに飛び掛った。