第十三章
十三
「では、おまえが見たのは間違いなくPUREだったと言うのだな、ガフ?」
大男は申し訳なさそうに、大きな体を曲げて答えた。
「そうなんですよ、ヴィカの姉貴。ちょっと目を離した隙に、逃げやがりまして。エヘヘ」
地下の中でも一際明かりの届かない薄暗い街のはずれ。廃材や、使い古された車などの置き場になっている、巷では『スクラップ・エリア』と呼ばれる一角に、その建物はあった。
以前は何かの工場に使われていたらしく、ポンコツで埃っぽくはあるが、広さだけは十分な廃屋である。中には流れ作業で何かを作っていたと思われるレーンが数列並んでいるが、どれも半壊しているか、ガラクタが置かれているかで、使われなくなってからの年月を感じさせる。
その建物の奥には、昼間でも暗いこの倉庫の中を照らすために、照明を寄せ集めた一角がある。その辺りに、数十人の体格の良い男たちが思い思いに散らばって騒いでいる。
「ガフのことだ、どうせ途中で飯でも食って、店に置いてきちまったんだろう」
いかにも粗暴そうな男達が、ガフと呼ばれる大男に、口々に野次を飛ばし馬鹿にする。
そんな下品な笑いの中で、一人神妙な顔で思考を巡らせているのが、ヴィカだった。
緑色の長い髪に燃えるような赤い瞳。鍛え上げられた筋肉が、屈強そうな男達の中でも一際目立つ。体の所々に古い傷跡が見え隠れし、今までの人生が平穏でなかった事を見せつけているが、女性らしいシルエットは損なっておらず、深く入ったスリットの脇から艶かしい脚線を見せていた。
女だてらにこんなゴロツキを集めて、まとめてくるのも楽ではなかった。燻った日々に嫌気がさすのも、我慢してきたのだ。
それもこの時の為。
ヴィカにはこの地下で、一生を終えるつもりはない、という強い意志があった。そしてこう信じていた。
必ず好機が訪れ、それを見逃さない、と。
とうとう、今がその時だ。なんてパーフェクトなのだろう、とヴィカは顔が自然にニヤける。
アースという地上を無にする化学兵器の存在。そしてその鍵を握るPPPを持つPUREが、まさにこの地下にいるという情報。
連邦政府は、血眼でそのPUREを捜しているらしいが、ここ地下では自由に動き回ることすら難しい。
なんて滑稽。全てが私に味方する。すでに軍配はこちらに上がっているようなものだ。これこそ、好機。見逃さずに掴めそうだ。
どうやって、このゲームを進めて行こうか、ヴィカは楽しくてしょうがなかった。アースさえ手中にあれば、それを盾に地上の奴らをどうすることもできる。
散々怖がらせ、甚振った後で、地上を更地にしてしまうのも、気持ち良いだろう。しかし、建物や植物がなくなるのも寂しいか。脅し続けて、好きなだけ要求を飲ませるのも良いかもしれない。
やり方次第では、この世界そのものを、自分で支配出来てしまうだろう。
堪らない。
今までの抑圧から開放されるだけでは、もう飽き足らないのだ。想像はとどまらない。
しかし、何においても、盾になる存在を手に入れるのが先決だ。
「お前達、よく聞きな」
ヴィカは椅子から立ち上がって声を張る。
「そろそろ、お遊びも終わりだ。私たちが地上で大手を振れるのも、そう遠くないだろう」
男達の間に、おお、と喚声が上がり、手に武器を掲げる者もいる。
「その為には、だ。まずガフが今日見つけたPUREを何としてでも捕まえてきな。政府の奴らも、隠密とはいえ、探しに来ているはずだ。でも、ここは地下だ。奴らの好きな様にはさせないよ」
男達の中の一人が言う。
「親方。そのPUREが何だっていうんです? そいつを捕まえたら、いい餌になるんですかい?」
ヴィカはこの計画の全てを、自分の手下には伝えていない。それには理由がある。
まず、情報漏洩と手下の寝返り防止。この件は政府も手をだしている。一人裏切って小僧を政府に渡されたり、取引でもされたら、目も当てられない。
それと、もう一つは簡単だ。計画なんて教えなくても、男達はヴィカの言う通りに動く。
説明する必要がないのだ。
「まあ、そんなもんだ。とにかく今回の計画には必要不可欠って事だけは覚えておきな。いいかい」
ヴィカが一段と声を上げて言う。
「必ずそのPUREを政府の奴らより早く捕まえて来な! ただし、生け捕りだ! 決して殺すんじゃないよ! わかったかい!」
野太い声で、おおおお。と建物中に響かせたあと、男達はずらずらと街に向かって、歩を進めて行った。
「ガフ」
ヴィカが呼び止めると、大男は頭を掻きながら、ヴィカの元に歩み寄る。
「お前が一番PUREの小僧を良く知っている。顔を見たんだからねえ。そうだろう、ガフ?」
「あい、そうでさあ、姉貴」
ガフは褒められたかのように、照れながら首を縦に振って答える。
「なら、お前が、もう一度あの小僧を捕まえるのは簡単だよねえ?」
ガフの返事を待たずにヴィカは叫ぶ。
「だったらとっとと出てって、捕まえて来な、このボンクラが!」
わああ、と情けない声をだして、ガフは出口へと重たい体を引きずって行った。
ふう。と溜息をつき、ヴィカは一人、また椅子に座り今後の成り行きをシミュレートする。
失敗は許されない。失敗などありえない。世界をひっくり返してやる。こんなチャンスはそうそうあるもんじゃない。
しかし、PPPという摩訶不思議なものの存在を聞いた時には、ヴィカも驚いた。
情報屋が言っていた。この遺伝子は、特殊な条件下でしか効果がでないと。そのせいでPURE共は、政府に片っ端から親兄弟を殺されて、逃げ回っていると。
「怖い世の中だねえ」
ヴィカは、深く考えずそんな言葉を口にして、ニヤリと笑った。
「あのぉ、ヴィカ様」
振り返ると一人の手下が戻ってきていた。
「なんだい、さっさと探しに行けと言ったろう、聞こえなかったかい」
険しい表情を見て、縮こまりながらも用件を伝えた。
「例のPUREの件で、情報を持ってるっていう奴が外に居まして、ヴィカ様に会わせろと……」
ヴィカは眉を寄せる。
怪しい。
この件は限られた組織にしかまだ漏れてないはず。
しかも、そのいずれもが、喉から手が出るほど、PUREの居所を知りたがっている。一体何者?なぜここに来た?
様々な疑念が沸くが、話を聞いてみるのは損にはならないだろう、とヴィカは考えた。
「ここに連れてきな。一体どんな奴なんだい?」
「はあ、どんな奴って、まだ子供でさあ」
ヴィカは興味深げに、客人を迎えた。