第九章
九
辺りは昨日来た時のような活気はなく、まだ街全体が寝ているような静けさだった。
見知らぬ街を、ケンはどこをどう歩いているのかわからなかったが、構わなかった。
ケンは興奮していた。
馬鹿なこと言うな。こんな子供だけで政府と張り合うだなんて、うまくいく訳がないじゃないか。それに、もし俺がPPPだったとしても、それは俺のせいじゃない。俺だって被害者だ、両親を殺されて、辛い思いをした。その上なんで俺が、命懸けて危険を冒さないといけないんだよ! 大体、昨日助けてもらったのには感謝するけど、だからって、一緒に捕まってくれって言ってるようなもんじゃないか。そんなにソウって奴に会いたいなら一人で行けばいい。PPPを持ってる確立はリリだって五十%だ。十分可能性はあるじゃないか。でも俺はそんな危険はごめんだ。殺されるかもしれないなんて、冗談じゃない! なんで俺がこんな目にあうんだよ、まったく!
「あああああ、もう最悪だ!」
吐き捨てるように言って、誰もいない路地に座り込む。ケンは膝の間に頭をうずめ、何も見たくない、聞きたくない、と思っていた。
ケンの今までの人生は、至極平坦なものだった。暖かな両親に恵まれ、特別裕福ではないにしても不自由のない暮らし。程よくいい友達に恵まれ、学校生活も楽しくやってきた。なんの文句もない生活。
それがたった一日でこれかよ。
そう悪態をついていた時だった。
自分の足元に誰かが立っているのに気づく。その影に沿って顔を上げると男が立っていた。
「おい、坊主。おまえ、髪の毛が真っ黒だな。ちょっとこっち来い、暗くて見えない。目も黒いんじゃないか?」
腰を屈めてケンの腕をぐいっと持ち上げる。ケンは軽がる宙に浮く勢いで、強引に立たされた。背も横幅もケンの数倍もありそうか、という程の大きな男だった。顔を近づけて言う。
「やーっぱり、目も黒い。おまえ、PUREか?」
ケンは湧き上がる恐怖に襲われた。ブンブンと首を横に振って否定する。
上半身裸の男の腰には、大きな岩でも砕き割りそうな、がっしりとした斧のような得物がぶら下がっているのが見えた。ケンはぎょっとする。
「うちの親分がPUREみたいなのを見つけたら、とりあえず捕まえて来いって言ってたからな。お前見ない顔だな。ますます怪しいなぁ」
アッシュが言っていた、レジスタンス。こいつがその仲間なのか、それともここまで政府の手が?
わからないが、とにかく逃げたほうが良さそうだ。といっても、大男に腕をしっかり掴まれていてとても動けない。
「とりあえず、一度親分に見せに行こう。褒めてもらえるかもしれないぞ」
鼻歌交じりに言うと、大男はケンの腕を持ったまま引き摺って歩き出す。
「ちょ、ちょっと! いてぇっ」
逃げないと。俺がPUREだとばれたら、一体どうなるんだ。やばいって、これ!
ケンは必死に頭を巡らせるが、地面に擦れる体の痛みになかなか思考が定まらない。
誰か助けてくれ!
心の中で叫んだ。
でも、一体誰が?
ここは地上とは隔離された世界。この荒れた街で、見るからに屈強そうな男に捕まった、貧弱な少年を助けることに何のメリットがある。自分だったら助けるのか? 答えはノーだ。自分を危険な目に遭わせてまで他人を救うなんて、酔狂な奴のすることだ。誰も他人を助けてなんてくれない。唯一の知り合いであるリリ達もこんな離れた所まで来ることはないだろう。彼らも狙われているのには変わらないのだから。
最低だ、こんな世の中。
大男は変わらず鼻歌を歌いながら、ケンを狩で仕留めた獲物のように片手にぶら下げ、のしのし歩き続けている。されるがままのケンに、抵抗する気力は失せていった。
しばらく引き摺られて、体中が傷だらけだった。どこもかしこも痛くて、その感覚すらわからなくなってきている。
死んでしまった方がいいのかもな、とふと思った。
これから生きていて、何がある。PPPであるかも知れない以上、逃げ続けるのか? 人目から隠れ、誰と関わることもなく、ただ自分だけの為に生き続けるのか? それに何か意味はあるのか? 世界を平和にすることが出来るのなら、俺の人生なんてくれてやったほうがまだましなんじゃないか、いや、そのほうがよっぽど意味があるんじゃないのか?
ケンは歪んだ顔で笑った。
「俺の命って、一体なんなんだよ」
一体なんの為に生まれて来たんだ? どうでもいい、もうどうにでもなれ。
ケンは考えることを、止めた。