08:報いを受けるべき
結局2日ほどその安宿に泊まって顔の腫れが引いてから屋敷に戻った。マゼンダとは再度、もう会わないと約束して。私は彼女とまた会いたいと思っていたが、それは彼女の選択に任せる事にした。私はまだクロエッツアの為に生きるべきなのだと思うし、クロエッツアの為に生きたいとも思っていたから。それでも数年後、クロエッツアの死を私が上手く昇華できた時に、もう一度マゼンダと共に酒を飲みたいと思った。そのときは思い出のウイスキーではなく、2人で飲んだことの無い銘柄を試すのだ。このくらいの想像はクロエッツアならば笑って許してくれるだろうと思う。
屋敷にもどった私をシンディーレイラは泣きそうなのを必死に堪えて出迎えた。それから数日はぴったりと私にくっついて離れようとしなかった。私の居ない間に叔父の事について調査のために見知らぬ人間が多数出入りしていたらしい。その所為で不安な気持ちになったのだろうと思われた。それに、私が危ない橋を渡ろうとしていたことを子どもなりになんとなく感じていたのかもしれない。寝ているときでさえ私の腕を放そうとしないのだから、かなり負担をかけていたのだろうと伺えた。私は娘の側に居ながらもどうしても申し訳なさが先に立ち、積極的に関わる事ができなかった。そんな様子を使用人達は呆れたように、困ったように、それでも見捨てずに見守ってくれていた。ぎこちないながら側に居る事でだんだんとささくれ立っていた心が癒されていくのを感じる。叔父に対して感じた激しい怒りはいつの間にかコントロールできるような感情に変化していた。城の使者から事後報告を受けても冷静に受け止めることができた。彼は北の外れにある炭鉱で強制労働を強いられる事になった。懲役300年が課せられたのだから、たとえ恩赦があったとしても生きている間は市井には戻って来られないだろう。
戸惑いながらも日常生活を送る。1週間も経てばシンディーレイラの様子も落ち着き、仕事に戻る事ができた。資料整理しかないはずだったが、いつの間にか通常業務が再開しており、仕事を始めて数日は私は決済のはんこを押すだけのマリオネットのようだった。
ある日の夕暮れ、私はプレゼントを探すために一人で街をうろついていた。明日はクロエッツアの誕生日としていた日だ。記憶の無い彼女は正確な誕生日を知らない。その為に2人が出会った日を彼女の誕生日としていたのだ。今年は受け取ってはもらえないが、何も用意しないという選択肢は私には無かった。しかし、いつものように屋敷に商人を呼んで大っぴらにプレゼントを選ぶのも憚られたのだ。シンディーレイラがどう思うか想像も出来なかったし、使用人達に心配されるのはうんざりだった。
雑貨屋や宝石屋をいくつも回り品定めをしている途中、誰かと肩が触れた。
「失礼」
そういって相手を見ると『逆さ月の花陰』の店主だった。相手も私がわかったのか目を見開いている。
「怪我は無いか?」
「問題ない」
店に居る時と同じようにぶっきらぼうなやり取りがなぜか無性に懐かしく感じた。
「そうか。ではな」
彼と立ち話するような事は無い。店に通ってはいたけれど、ついぞ彼の雑談を聞くことはなかったのだから。周囲は明らかに貴族と平民がぶつかったので、何か大事になるんじゃないかと戦々恐々としている。私は面倒な事になる前に早々に立ち去ろうとした。しかし、その背中に思いも寄らぬ言葉が投げかけられた。
「未亡人孕ましておきながら放置かよ。お貴族様のする事はいつも上品なんだな」
その言葉に私が慌てて振り返ると店の主人は跡形も無く消えていた。周りの人間も今の言葉を聞いたものは居ないらしい。通常通りの街の喧騒が私の目に映る。しばし呆然とした後、私は駆け出した。足がもつれてなかなかすすまない。叔父を追い詰めたときの異常なキレはあの時の限定的なものだったらしく、私の体は年齢通りに衰えている。心の中でクロエッツアに謝った。今年はプレゼントを贈れそうに無い。
私は彼女の名前を元に彼女の家を探した。彼女は子爵家の邸宅には居らず、子爵家の人間は彼女の居場所について知らぬ存ぜぬで通した。仕方ないから、王都から領地に帰ろうとしていたジェラルドを止めて、彼の隠者を使って調べてもらう事にした。使えるものは何でも使うのが私の信条だ。ジェラルドはブツブツと文句を言っていたが、私に隠者の存在を知らせた彼が悪い。
王都の中でも庶民の家が立ち並ぶ一角に彼女の家はあった。いくら後妻とは言え、こんな場所に義母を住まわせているのだ。子爵家が隠すのも無理は無い。家を訪ねると玄関を開けたのは彼女だった。使用人が居ないらしい様子に目を見開く。現子爵とマゼンダは仲が悪いのだろうか…?彼女は私を見て驚き固まっていた。
「マゼンダ。入れてくれないか」
私がそういうと、ハッとしてドアを開く。入り口を入ってすぐが居間のようだった。生活感のある空間が見えるような間取りである事にまた目を見開く。
「あまり、見ないで下さいませ」
控えめな声に窘められて私は慌てて部屋を見回すのを止めた。不躾な視線を送っていた自分が恥ずかしい。奥の間から子どもが2人こちらを覗いていた。シンディーレイラよりも少し大きいのだろうか。2人ともあまりマゼンダには似ていない。子ども達に気づくとマゼンダは子ども達に部屋に戻るように叱った。2人の娘は不安そうな顔をしながらも母の言いつけに従った。
「今日は、どのようなご用件でしょうか?」
庶民のような簡素なドレスながら、マゼンダの女性らしい格好は目を引くものが有る。まだおなかには膨らみなどは見えない。それでもウエストを締め付けない形のドレスである事が分かった。
「私に知らせるべきことがあるだろう?」
私はできるだけ穏やかに話しを進めようとゆっくり言葉を選んで話し出した。しかし、マゼンダは顔を歪ませ目には涙が溜まっている。
「どうして、知らせてくれなかったんだ……」
「一人で産み育てるつもりでした」
「いくら子爵の遺産があっても、子ども3人育てるのは厳しいのではないか?ろくに教育もできないだろう?」
私の言葉を聞いて、マゼンダの目に溜まっていた涙が流れた。一度流してしまうと後から後から涙が落ちる。それをじっと見ていると、彼女はぐっと歯を食いしばり、なぜか床に座って頭を下げた。
「な、何を……」
「世間様にはあなたの子だと知られない様にいたします。もちろん養育費など求めませんし、認知していただく必要もありません。ですから、どうかおなかの子を産ませてください」
慌てる私を他所に、マゼンダはそう一気に言い、床に額をこすりつけた。
「や、やめなさい。そんな事はしなくていいから」
私はすぐに膝を着き、彼女を起こそうとするが、頑なに顔を上げずに床に張り付いている。妊婦を力ずくで動かす事も出来ずに私はそのままのマゼンダの肩に手を置いた。
「結婚してくれないか?」
私は勇気を振り絞り、決死の覚悟で用意してきた言葉を紡ぐ。その瞬間、マゼンダはハッと顔を上げた。床に手をついたままで、涙に濡れた美人がこちらを呆然と見つめている。私は乱れてしまった彼女の赤毛にそっと手を埋めてそのまま耳の辺りを撫でる。途端に彼女の顔は髪と同じような色に染まった。




