06:制裁の
私と娘の癒しの時間はあっという間に終わってしまった。私はそれまでのクロエッツアと共に過ごした日々で一生分の穏やかさを使い切ってしまったのかもしれない。静かな安らぎを目指しはじめた私の耳に、思わぬ情報が入った。クロエッツアを巻き込んだあの事故が事故ではなく故意で起こった可能性があると。首謀者が父方の叔父ではないかと。
ある日の夜、シンディーレイラが眠った後、私は眠れずに書斎に篭っていた時の事だった。情報を持ってきたのは執事。情報源は御者と護衛をしていた者達だ。
「それは、確かなのか…?」
「いえ、今は十分な証拠があるとは言えません。しかし、あの事故は不信な点が多すぎます」
執事の言葉に私は目を閉じた。怒りで目の前が赤く染まったような気がする。すぐにでも叔父を捕らえて拷問でもなんでもしそうな自分がいる。真実をと心が叫ぶ。しかし、私にそんな権限は無いし、第一あの叔父が素直に事実を話すとも思えない。私は静かに呼吸を繰り返し噴火し続ける怒りと戦った。まだ、この怒りを向ける先が叔父で良いと確定したわけではない。ふと鼻先を清涼感の有る香りが通り抜けた。目を開けると、執事がハーブティーを差し出した所だった。少し目を閉じていただけのつもりが、案外長い時間が経っているらしい。
「すまない」
短い私の言葉に、執事は更に短く「いえ」とだけ答えた。全く手をつける気にはならなかったが、ハーブティーの香りは少し気分を宥めてくれたらしく私は怒りのコントロールをすることが出来た。激しい感情を心の奥底に押さえつけ閉じ込めると、残ったのは恐ろしいほどの静けさだった。一度暴走した思考は痛いほどの冷静さを取り戻し、普段よりも回転が速い。私はこれからやるべき事を短時間で練り、指示を出す。この日からしばらく証拠固めに奔走する事になる。再び家を空けることになったが、シンディーレイラを思いやる余裕はどこにもなかった。
「よぉ。久しぶり」
そう声をかけてきたのは目つきの鋭い、灰色の瞳を持つ私の友人だった。
「ジェラルド。珍しいな、この時期に王都にいるのは」
「あぁ、ちょっとな。お前はどうしたんだ?こんなところで…仕事か?」
「あぁ、そんな所だ」
久しぶりの友人との再会だが私の心は焦っていた。早く立ち去ってくれないかと思ってしまう。今の私には雑談をしている暇は無いのだ。数日前からはじめた事故の再調査はすぐに成果を上げ始めた。探し始めると証拠はあっという間にそろった。それと同時に叔父の不正が次々と明るみに出る。細かいものも含めればかなりの数の悪事が次々明らかになり、逆に情報に収拾がつかない程だった。今はあの事故――もうすでに事故ではなく陰謀だとほぼ確信しているが――についてのみ調べて早急に証拠を固めたいのだが、そうもいかず、他の細事を早々に解決するべく王都の街へと出ていたのだ。叔父が伯爵家の名前を使って放置しているツケを払い、2度とツケを受けつけないように言い含めて回る。その際、次にツケを受け付けても伯爵家は支払いをしないという文章にサインさせる。服屋や宝石屋だけでなく、飲食店や娼館にまでツケが有ったのだから、呆れてしまう。一応、伯爵家と店との契約であり、臨機応変な対応をして早く事を済ませる為に私が直接出てきている。このつまらない作業が終われば、事故現場の検証をしている私兵達と合流する予定だ。
「どうだい、シンディーレイラ嬢は?少しは元気を取り戻したか?」
ジェラルドは私の心情などかまいもせずにシンディーレイラの様子を尋ねる。たしか、彼と最後に会ったのはクロエッツアの葬儀でだった。気にかけてくれていたのだろう。
「最近ようやくな」
私は適当に答える。ようやく何なのか言っていないので嘘は言っていない。再度口を開きかけたジェラルドに早口で今は急いでいるのだと説明した。彼はそれはすまないと謝って数日王都に居るから時間を見つけて酒でも飲もうと言った。私は時間が出来たら連絡すると答えた。小さなため息を残してジェラルドはその場を去った。私は自分の作業に戻る。後ろで友人が心配そうな視線を投げかけていることなど気づきもせずに。
この国は法治国家だ。王政ではあるけれども法律もある。王は法を変えられるが王でも法に縛られる。そして、その法律で個人が人を故意に殺めるのは罪になると定められている。例外は大きく分けて3つ、戦争時と騎士の決闘、それから自衛の為仕方なかったと認められた場合だ。しかし、私はどうしても自らの手でクロエッツアの無念を晴らしたかった。
集まった証拠についてまとめられた報告書を机の上に広げて私はその前でじっと目を瞑っていた。報告書の内容は既に全て頭に入っている。馬車への細工、街道に置かれた罠、事故に見せかけるための小細工は巧妙に隠されていた。それと疑って詳しく調べなければ分からないくらいには。私たちの行動を把握する為に使用人を買収しようとしたりもしていたらしい。既に退職していた元使用人が夫婦そろって出かける予定について叔父にしつこく尋ねられた事を証言している。彼女の退職理由は叔父の大事な金時計を盗もうとしたことだった。思ったほど情報を吐かなかった彼女に嫌がらせをしたのだと思う。当時払われなかった退職金に色をつけて支払った。その額に彼女は目を回して恐縮していた。
事故――もうすでに陰謀と確定したが――の調査と平行して行なわれた叔父の素行調査から、一応の動機も予想ができた。叔父の目的は一言で言えば伯爵家の乗っ取り。私とクロエッツアを亡き者とし、シンディーレイラの後見人になって伯爵家の財産を好きにしようと考えたのだろう。彼には多額の借金があった。伯爵家に泣きついても縁を切られるだけだろう額の借金だ。そんなものの為に、クロエッツアが死んだのかと思うと、押し込めたはずの怒りが憎しみに形を変えて心の奥底から染み出してくる。国に訴えれば、きっとそれなりの罪になるだろう。きっと一生強制労働か何か……重い罪が科せられるはずだ。それでも極刑には出来ないだろう。叔父の罪の半分は伯爵家の……私の監督不行届きが原因だと判断されるに違いない。私は彼の命がこの世に有る事にどうしても納得が出来ない。罪を償いたいのなら地獄でどうぞと言いたい。少なくとも私は永久に許すつもりなど無いけれど。
叔父が住むのは王都の中央だ。誰かに家を尋ねられたときに、彼は貴族街の外れと説明する。正確には豪商など金持ちの平民が暮らす高級街にある。このつまらない見栄とか貴族であることへの拘りが叔父を形作る大きな要素となっている。家は叔父が独り立ちするときに祖父母が買い与えたものらしい。叔父と叔母の2人で暮らすには大きすぎる豪奢な建物には、趣味の悪い置物があちらこちらに置かれている。一つ一つは高級な芸術品なのかもしれないが、どう考えても置き過ぎて互いに喧嘩している。そして、どれもうっすらと埃を被っており、その魅力をまったく発揮できていない。家のレベルをおのずと示していた。
突然訪問した私に面食らいながらも、使用人たちは叔父の元へと案内した。メイドは派手な女性ばかりで、案内をする短い時間の中でさえ、私に対して科を作ってみせる。私は彼女らさえ切り捨てたくなる自分に驚きながらも無表情を貫いた。
「ルーカス、どうした。突然」
「叔父上、どうしてもお話ししたい事がありまして」
私はいつものトーンで彼に話しかける。彼は私をソファに座らせて茶を用意させた。花柄の華美なティーカップに入ったお茶は、媚薬でも入っていそうで飲む気にならず、形だけ口をつけたてみせる。人払いをすると、叔父は私の正面に座ったまま頭を下げた。
「すまなかった」
「……何のことでしょう」
彼の行動は予想の範疇だった。この数日私が彼のツケを払い歩いているのを、彼が知らないはずはないのだ。私の返事に叔父は頭をかいた。
「街中は物騒な事も多いと聞くし、金を持ち歩くのが億劫でな、いろいろとツケを貯めてしまっていたのを払ってくれたらしいな。迷惑をかけるつもりは無かったんだ」
そう言って彼は呼び鈴を鳴らした。案内したのとは別のメイドが大きな盆に布をかけたものを運んでくる。テーブルに置かれたそれを叔父は私に差し出した。
「これは?」
「とりあえず、屋敷にあるだけ用意させた。事前に来ることを教えてくれれば全額返せたのだが……」
そういって叔父が布を取り払うと、山積みにされた金貨と、ごちゃごちゃと宝石のようなものが着いた置物が出てきた。金貨の額はツケにしていた分の4分の1程度、置物の価値は全く分からない。
「このような用意をしていただく必要は無かったのですが……」
私は戸惑うようなそぶりを見せてそう呟く。そう、金の用意などしなくても良かったのだ。これから叔父は死ぬのだから。借金の返済に充てた残りはシンディーレイラの物に成る。私の考えを知る由も無く、叔父は大げさに顔を顰めた。
「お前に尻拭いをさせるつもりは無かったのだ。伯爵家のすねかじりなどと噂が立っては店の信用に関わる」
「そうですか。そうおっしゃるのであれば、受け取らせていただきます」
「うむ。そうしてくれ。その置物は残りの借金の担保として持って居てくれ」
叔父は鷹揚にうなずきながらにこりと笑った。
「私はこのようなものは不勉強でして、どのような価値があるんですか?」
「お前も貴族ならこのくらいの目利きは出来んと舐められるぞ。白金貨3枚…いや、5枚分はあるのではないだろうか」
叔父の目利きに閉口する。目の前の醜悪な置物にそのような価値を見出せない。それに今回のツケで払った分がだいたい白金貨1枚分だ。担保にするには価値が高すぎる。
「それは、担保としては価値が大きすぎるのでは?」
叔父に合わせて話すのも疲れてきた。そろそろ本題に入っていいだろうか。
「迷惑代と思ったのだが…それもそうか。しかし、今それ以外に適当な物が無いんだ」
「そうですか、それは困りましたねぇ」
私の言葉に、一瞬叔父が口角をひくつかせた。感情が顔に出る辺り彼には貴族の才が無い。
「では、どうだろう。その置物を担保とする為に、そこの金貨と、白金貨2枚を一旦貸し付けてくれないか。それならば担保との釣り合いが一応取れる。何、1週間ほど時間をくれれば、白金貨3枚を返すから、その時その置物を戻してくれ。もし私が事故にでもあって用意できなければ、容赦なくそれを売るといい。うまくすれば白金貨5枚くらいの価値になる。足元をみられても白金貨3枚以下にはならないだろう」
彼はスラスラと一気にそこまで話した。やはりそういう意図があったかと私はため息をつきそうになるのを堪えて微笑んだ。
「そうですね。そうすれば価値が釣り合いますね。念のため、2、3質問させていただいていいですか。一応金を貸す前は慎重であれと父から教育されていますので」
私の言葉に叔父はニヤケるのを我慢できずに表情を崩し、そのまま何度も頷いた。
「それでは、正直に答えてくださいね。嘘をついたら、舌をちょん切っちゃいますよ」
彼は私の子どものような言い草に違和感を持つ事さえせずに、安請け合いをして頷いた。愚鈍な叔父に私は最後の微笑みを与えた。
大体、白金貨1枚が今で言う500~1000万円というイメージで貨幣価値を定めています。
叔父さんは伯爵家の次男に生まれましたが、成人して装飾品や美術品を扱う商人として暮らしている設定です。爵位はもちろん無くや継承権もルーカスが爵位を継いだ時点で消えてしまっています。庶民の中でも貴族と深いつながりがある「名家」と呼ばれるくらいの地位です。