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02:失意の

 シンディーレイラが5歳に成るかならないかの時に私の母が流行病で亡くなった。別々に暮らしていても王都の中心と郊外の距離、度々の交流でシンディーレイラも良く懐いていた。実母の居ないクロエッツアも彼女の事を頼りにしており家族皆が喪失感に肩を落とした。そんな私たちと比べるまでもなく、父も伴侶の喪失を嘆いた。深い悲しみから無気力になり、母の喪が明けるとすぐに爵位を譲ると言い出した。既にいい年齢になっていた私に否やがあるはずも無く、手続きはあっけないほど簡単な物だった。そして、伯爵家の引継ぎが万事抜かりなく終わると、父も母の後を追うように亡くなった。悲しい気持ちはあったが、父の様子から少なからず覚悟していた事でもあり、毎夜深酒をしては母の幻影を見る父の姿をもう見なくて済むという安堵もあった。早々に母の元に逝けて、父にとっては良かったのだろうと考えることができた。必要な手続きはしっかりしてくれていたので、伯爵家にも領地にも混乱などは無かった。父から譲り受けた物の大きさに混乱している余裕など無かったというべきかもしれない。父が、祖父が守ってきた伯爵家の重みは私にずっしりと押しかかってきた。

 それらの大きな悲しみや先代から受け継いだ重責は私たち残された家族の絆を強くしたと思う。シンディーレイラは甘えん坊なだけの子どもでは無くなり伯爵家の跡取り娘としての自覚を持つようになった。クロエッツアも不慣れながら伯爵夫人としての勤めを理解し、私を支えてくれていた。私たちはお互いを支えあうように寄り添って暮らしていた。心にぽっかりと空いた穴は互いに少しずつ埋めていった。それはとても大変な作業だったけれども、もう一番底を見たという安心感もあった。父母をどちらも看取ったことで、家族を亡くすような大きな悲しみは当分味わう事は無いだろうと予想していた。

 しかし、その予想はあっけなく覆される。父を看取ってから数年後、クロエッツアが事故で死んだのだ。私はその時事故現場にいた。というより一緒にその事故に巻き込まれていた。社交など必要最低限しか出ていなかったが、伯爵位を持つものとして年に数回どうしても出なければならない夜会はあった。その帰り道、何かに足をとられて馬車が横転し、クロエッツアは打ち所が悪くあっけなく死んでしまったのだった。


 その日から、私は常に悪夢を見るようになった。父や母を見送ったときとは比べ物にならない喪失感が私を蝕んだ。彼女を守ろうと伸ばした腕が空を切る様が何度も何度もよみがえる。そのたびに絶望を味わいながら目を覚ます。クロエッツアと瓜二つのシンディーレイラを見ると余計に心が苦しかった。クロエッツアがもう居ないという事実に打ち拉がれ続け、次第に家に帰りづらくなった。家に帰っても気が休まる隙は無く、何をやってもクロエッツアの不在を確認する羽目になる。葬式やなんかが一段落し、屋敷が落ち着きを取り戻すと、私はそれまでになく仕事にのめりこんだ。ワザと忙しくしていないと、時間が永遠に進まないような気がしていた。

 逆に、仕事をしている時だけはなんとかクロエッツアの事を思考から切り離す事が出来た。幸いやる気になればやるべき事はいくらでも有った。いつもならば目をつぶる程の小さな書き損じも徹底的に直し、それまでなら人にやらせていた細事の確認も自分でしなければ納得しなかった。部下達は私の仕事ぶりが変わった事にもちろん気づいていたが、痛々しいものを見るような目を向けながら私の指示に従ってくれていた。皆、私の変化の原因を良く分かっていた。

 僅かな計算間違いを指摘していくうちに、慢性化していた公金横領の仕組みを暴く事になって、少なくない人間を引退に追い込んだりもした。その事を評価されて役職が上がると益々仕事が増えた。みるみるうちに職場での評価は高くなっていったが、私に充足感など欠片もなかった。私は何の感想も感情も抱かずにただただ仕事をし続けた。毎日毎日仕事に明け暮れて、家に帰らないことが増えていった。

 

 シンディーレイラの事が気にならなかった訳ではない。家族として父として、娘を支えてやらなければという気持ちはあった。心のどこかでは仕事などしている場合では無いとも思っていた。それに、執事をはじめとする使用人達は、私がたまに屋敷に戻ると口を揃えてシンディーレイラにかまってやれと言った。お嬢様が寂しがっておいでです…娘の乳母に何度そう言われたか分からない。けれど私はシンディーレイラと共に過ごす時間を増やさなかった。いつまでもメソメソしている父親なんかお呼びでないと思ったのだ。クロエッツアを守れなかった私を娘は恨んでいるだろうと。唯一の家族であるシンディーレイラから向けられる恨みの感情を受け止める勇気は無かった。シンディーレイラが私にどんな気持ちを抱いているかと考えると恐怖しかなかった。

 顔を合わせる代わりに、クロエッツアの遺品をシンディーレイラに渡した。彼女の持ち物はほとんどが私が贈ったものだから、それらが私の元に在る事に耐えられそうも無かったというのが手元に置かない一番の理由かもしれない。けれども、母の面影を感じられる品々は娘にとっては慰めになるだろうと思ったのもまた事実だ。実際の効果の程は確かめていないが、遺品をシンディーレイラに渡すように使用人に託した翌日、仕事に礼状が届いた。字の癖さえどこかクロエッツアを感じさせるが、子どものひた向きさが滲んだ娘の字で、私の体を労る内容が書かれていた。私はそれをじっくり眺めるだけの余裕も持てずに、机の奥深くにそれを仕舞い込んだ。


 しばらくすると、城の仕事はひと段落ついてしまった。部下の中では一番の古株であるレイリーが「もう今できる仕事は有りません。」と宣言した。それでも納得しない私に、彼はこれまでに終えた仕事について列挙し、これ以上、今処理できる仕事は無いと丁寧に説明した。これ以上他人の仕事を横取りしては恨まれることになるとも言われた。私がしぶしぶ頷くと私に付き合っていた部下達はどこかほっとしたような顔をしていた。皆一様に疲れていて、それはどう考えても私の責任だった。クロエッツアを亡くしてから2ヶ月程、私は周りの迷惑など一切省みなかった自分を恥じた。

「皆、すまなかった。」

 私が頭を下げると皆やはり痛々しい者を見る目で私を見て首を横に振った。

「私たちは良いのです。」

「そうです。謝るべき人は他に居ますよ。」

「仕事もひと段落しましたので、今日からはお屋敷にお帰り下さい。」

 皆がシンディーレイラの事を言っていると気づいたが私には曖昧に頷くしかできなかった。


 レイリーに仕事が無い宣言をされてから、私は過去の資料整理をして勤務時間を過ごした。膨大な量の資料があるが、残念ながら急ぎの仕事などではない。定時になれば部下達の視線が帰れ帰れと煩く、その視線に追い出されるように仕事場を出なければならなかった。

 家に帰らない正当な理由はなくなってしまったが、それでも家に帰りづらい気持ちは変わらなかった。時間をもてあました私は、王都の商業地で偶然見つけた、今にも潰れそうな酒場に入り浸るようになった。そこはカウンターしかない本当に小さな店で、庶民にも貴族にも同じ様に素っ気ない対応をする店主がいた。騒ぐような客がいないのが気に入った。クロエッツアが居ないというのに、世の中はにぎやか過ぎた。うらぶれて静かな酒場の有り方が、私には正しく見えたのだ。美味いつまみも要らなかった。ただ酒を飲んでぼんやりと過ごせればそれでいいと思っていた。何もないような店だが、酒の種類と管理だけは文句の付け様が無かった。木の杯で出されるほどほどの値段の酒が驚く程の香りを持って迫ってくる。何もなくとも酒がすすんだ。私はあっさり酔いに身をまかせ、思考を上手く濁らせることができた。


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