補足:店主のつぶやき「さて、酒でも飲むか」
「逆さ月の花陰」の店主から見たルーカスとマゼンダ。
うちのような寂れた店を好む奴は得てして何らかの寂しさを抱えているものだ。あの中年男も男装の美女もそうだった。彼らは傷ついた心をもてあまし、なんとも言えない寂しさを滲ませながらふらりとこの店にやって来た。と言っても、幸福に見放されたような人間ばかりを多く見てきた俺からすると、彼らはまだマシに見えた。傷ついてはいたが、ずいぶん分かり易い所にある新しい傷で、手当てすることも出来るし、上手くすれば完治するだろうと思われた。世の中には、その可能性すら無いような奴もいる。時が経って手の施しようが無くなった傷を隠し持ったまま何食わぬ顔で痛みに耐えたり、膿んでジクジクと痛む傷を直視できなくて必死に気づかない振りをし続けたり、それに比べれば彼らはまだまだ救いようのある存在に見えた。
俺はそんな彼らを歓迎する事もないし、追い出す事も無い。無関心を決め込んで好きにさせていた。よく気に入らない客を追い出している俺だが、たまにはそういう事もある。それをチームの連中ときたらまるで天変地異のようにはやし立てるのだからうっとうしいったら無い。そもそも、うちは酒場としては繁盛してはいけない種類の店だ。裏稼業の隠れ蓑兼窓口として酒場を営んで居るだけ。出入りしている客や業者は共に実はそれらしく変装した身内だったりする。普通の客はまず寄り付かないし、そうなるように気を配ってもいる。店先には看板も出していない。ぱっと見、酒場だとは分からないだろう。ふとした弾みでそうと気づいて興味本位で足を踏み入れた奴がいたとしても、すぐに出て行くし2度目の来店は無い。俺の店に文句を言うようなそぶりを見せる奴は問答無用で叩き出すし、そうでなくても、俺の落ち度も無いけど愛想も気づかいも無い接客を受けて、正しい感覚をもった客なら金を払った分だけ損をしたような釈然としない気分になるからだ。こんな愛想も無い、美味いつまみも無い、可愛い給仕もいない店で飲まなくても、王都にはいくらでも安くて美味くて楽しめる店がある。
裏家業の窓口があまり賑やかで人の出入りが多いような場所では困るというのは想像してもらえると思う。俺達の本業に用があるのはどこか後暗い願望を持った金持ちばかりだ。そういう奴らは人目を忍んでこの場所に来る。そして、そういう奴らこそが俺達の大事な「お客様」なのだから彼らが訪れやすい店作りを心がけざるを得ない。かといってあんまり少なすぎてもいけない。この微妙なさじ加減を誤ると途端に本業が立ち行かなくなる。やつらはわがままなのだ。怪しく無いと信用しないくせに、怪しすぎると近づいてこない。
最初、あの男と美女もそういう輩かと思っていた。裏稼業への依頼者も時々飲み屋の客のふりをしてこちらの偵察をしてくることがある。そんなもので測られるような技量は持ち合わせて無いのだが、それでもそういう「お客様」は多い。偵察に来る――はなからこちらを馬鹿にしている――「お客様」についてはそれなりの対応をするだけだ。具体的には依頼料を割り増しでとるし、依頼者についての詮索も徹底的にする。……と、話が逸れたが、第一印象に反して、彼らは純粋な酒場の客だった。純粋な酒場の客であれば2度目の訪問は無いはずだ。先ほど言ったとおり、この店には「裏稼業」以外何もない。しかし、いつも通りの素っ気無い対応を受けたにもかかわらず、あいつらは再度来店した。更に、恐るべき忍耐力でもって常連客といっても良いような頻度で姿を現した。
うちの店は酒の種類は多い。しかしそれも俺の趣味に偏っている。普通なら古臭くて敬遠されるような品揃えなのだが、彼らはそれが気に入ったらしかった。彼らの注文する酒には一癖も二癖も有る物が多かった。こんな寂れた楽団も女も居ない酒場で飲むには少々高い値段に設定しているにも関わらず、不満気な様子など全く見せない。人を遠ざけるための技術を至るところにちりばめているにも拘らず、彼らは内の店に通い続けた。こんな場所でよく満足そうにそう安くもない金を払えるもんだと思う。俺のような店主が居る店が有ったら俺なら間違いなく文句を言う。人から謙られるのに慣れたお貴族様のくせに、おかしな奴らだと思う。バラバラに訪れた彼らが関わり合いを持つのにそう時間はかからなかった。
美女が男装しているのも不思議だったが、男がそれに気付いて無いのも不思議だった。傍からは滑稽にすら見えるレベルだ。俺からしてみれば、彼女の男装は仮装パーティー向けの変装レベルだ。背が高いから似合ってはいるが、それだけだ。到底男だとは思えない。三つ編みされた髪の柔らかそうなツヤも、涼しげな目元も、細くて白い首も、隠し切れない女の色気を纏っている。露出の無い男物のシャツが逆に色気を増しているように見えるくらいだ。ま、暗い夜道で遠目に見れば男だと思う奴も居るかもしれないから、一応の防犯効果くらいは有るかもしれない。しかし、いくら薄暗いと言っても明かりのある店の中で、あの変装が見破れないのは意味がわからない。一応調べさせてみたところ、中年男は城勤めで割と高い地位に居るらしいことが分かった。やり手だと評判らしいのだが、この店にいる彼からはその片鱗すら感じられない。人違いでもしたのかと我がチームの情報収集能力を疑うほどに別人だ。いや、俺の店でこれほど長時間寛げるのだから、或いは大物なのだといえるかもしれないけれど……。鷹の隠す爪が能の有る物か無い物か情報によってある程度の予測はできるとしても、正確な所は結局その爪が自分に向けられた時にしか分からない。有能な鷹ほど己の爪の使いどころをわきまえているし、それ以外の時は巧妙に隠すものだ。何が言いたいかというと、少なくとも店の中で見る男は俺にはただの間抜けに見えたということだ。
2人が言葉を交わすようになって数週間、この2人は一体何なのだろうか?いい年して互いの好意に気付きもせず、まだ名さえ交わさない。と、思ったら女が昔話を始めた。少し進展があるかと期待するが、カウンターの中から彼らの様子を見ているとじれったくて仕方ない。いい年こいてもったいぶってないで、さっさと宿にでも行けば良いんだと思うが、きっと彼女の男装に気づいて居ないこの男にはその選択肢はないのだろう。それなら互いに纏わせているほのかな好意は何なのだと詰問したい気がするが、きっと問い詰めたところで彼らは自分の気持ちに気づいていない。ま、別に俺には関係無い事なのだが……。
普段なら客同士の係わり合いなどに興味を持つ事はない――興味が沸くほどの関わり合いを持つような客も居ない――のだが、この2人の関係に俺はいつに無く興味を引かれた。週に数度、目の前で繰り広げられる小さな喜劇をどこか楽しんでいる自分がいる。このことが仲間に知れたらどれだけ馬鹿にされるか分かったものではない。彼らの放つ、甘酸っぱい様なくすぐったいような雰囲気は俺には全く馴染みの無い物だった。だからこそ、そう年も変わらない彼らの出すその雰囲気が興味深くてならない。今までどう生きてくれば、そんな初恋もまだの子どもみたいな空気を出す事ができるのかと思う……誤解が無いように言っておくが、決して馬鹿にしている訳では無い。彼らの出す雰囲気はなんというか……俺にとって救いのように感じられたのかもしれない。詳しい説明は避けるが、淡い淡い好意でも、それが自分に向けられたものでなくても、純粋な気持ちに癒される事があるのだ……特に、俺は人間の裏側ばかり見すぎている。そんな俺の日常の中で、彼らの恋模様は清涼剤だった。
清涼剤……はいいのだが、ほのぼのと見守るにも限度がある。彼らは年齢だけは十分なくせにかなり奥手ならしく、なかなか進展を見せない。これだけ言葉を交わして、どうして男装した女だと見抜けないのだろうか?あまりの嗅覚の無さに呆れを通り越して不安を感じる。こいつこれで貴族社会を生きていけるのだろうか?見掛け倒しの中年男――見た目だけならそれなりに女泣かせに見えないこともない――もさることながら、美女の方は外見と中身にかなり差があるようだ。ぱっと見た目は派手な美人だ。きっと女物の少し露出度の高いドレスを着て、ばっちりと化粧でもすれば「落ちない男は居ない」とか「魔女」とか「一夜の夢」とか言われるようなタイプに見えるだろう。手当たり次第に男を陥落して、夢を見させて散々もてあそんだ挙句、利用価値が無くなったら捨てる……そういう種類の女のように。けれども、その実は初心な少女のようなところがある。きっと、周囲に誤解されて生きてきたんだろうなと同情を禁じえない。また、話が逸れたが、そんな見掛け倒しの2人のせいで目の前の恋模様は全く進展を見せない。進展の「し」の字すらも感じない。そんな様子に放っておくしか無いはずなのに、どこかで放っておけないと感じてしまう。……この鈍い男女が自分の思いに気づくのを待っていたら、何か手遅れになるような気がして、ちょっと背中を押してやることにした。閉店を理由に酒を持たせて街へ送り出した。少なくとも、互いの名前くらいは知る仲になればいいと願いを込めて。
あぁ、彼女は妊娠したのか……久しぶりに姿を現した女が果実水を注文したことで、俺はそれを悟った。この間の俺の気遣いは大いに2人の距離を縮めたらしいと喜んでいいのか否か。答えは一目瞭然だ。彼女のこの思いつめた表情を見る限り、早まった事をしたと反省するべきなのだろう。
しかし、あの男何をしているのだろうか?俺は2人を店から追い出した時、もし2人が寝床を共にしたとして、その後悪いようにはならないだろうと思ってそうした。つまり、彼女が女だと分かればきっと男の好意は実感をもって姿を現すだろし、そうなれば男は形はどうあれ彼女を手放したりはしないだろうし、男のあの生真面目な様子からもしもの事があっても、それなりに責任を取るだろうという予想の元、あの晩彼らを送り出したのだ。妻を亡くしたばかりだということは知っていたけれど、それが多少の障害になった所で、「現在」の思い人を傷つける理由にはならない。……いや、人というのはそんなに理路整然と生きている訳ではないのだから、こういう結果を予想しなかったのは俺の落ち度か?蓋を開けてみれば男はあの夜からパタリと姿を現さず、美女は蒼白な顔で目の前に座っているのだ。俺の見立ては大外れということだ。結局、俺のしたことは酒を持たせて2人まとめて店から出しただけの事で、その後何があろうと俺の責任ではないはずなのに、なんだか申し訳なさを感じてしまう。少なくとも「立派な大人のしたことなのだから責任は本人達にあるはずだ」と自分に言い聞かせる必要があるくらいは気に病んだ。
彼女は青い顔をしながらも、ほぼ毎日現れて男の姿を待っていた。期待と不安の混じった顔で現れては、落胆と安堵を張りつけて帰る。俺はその姿を見ながら、己の罪悪感と戦うしかなかった。自分の能力を持ってすれば男の居場所を突き止めることも、彼女に偶然を装って引き合わせることもできるはずだが、余計なお節介にまた余計なお節介を重ねては事態は益々こんがらがってしまうような予感がしたのだ。彼らに関わるのは止めたほうがいいと自分の勘が告げていた。
ある日、待ち人が来た。男はなぜかヨレヨレでクタクタのボロ布の様だった。女を抱き締めて泣く姿に唖然とするが、ほっとしてもいた。きっと何か事情があったのだろう。余計なお節介だと自重せずに男をさっさと連れてこれば良かったかもしれないと小さな後悔を抱く。俺は泣き喚く男が邪魔だからと匂わせていつかのように2人を追い出した。持たせた酒はこだわって選んだ。度数は高く傷の消毒にも使えるが、味も悪くないものにした。うちの店に有る中では高級品になる酒を差し出したのは、罪滅ぼしの気持ちもあったのかもしれない。
とうとう、手を出してしまった……俺のポリシーに反して、金儲けにならないのに技術を使ってしまった。あの男と偶然を装って再会し、彼女の妊娠を告げてきたのだ。これで、とりあえず事態は動くだろう。腰の重いあの男も子どもとなれば動かざるをえない……結果良い方向にいくかどうかは俺の知るところでは無いけど、きっと悪い事にはならないだろう。
それにしても何をどう間違ったら男に妊娠の事を伝えないという判断になるのか……女というのは良く分からない。今回は俺が動く事にしたのは偶々だ。あの美女が財産を換金しようとした為少なくない金が一気に動いた。急に大きな金の動く時は裏でも何か動きが有る事が多い。何が危険に繋がるか分からないこの狭い王都の中でうちのチームも一応その流れを注視することにしていた。そして、偶々、女が王都を出るつもりだという事に気づいたのだ。事前に気づいたから一肌脱ぐ気になった様なものの、さすがに女が王都を出た後だったら追いかけてまで面倒見ようとは思わない。間に合ってよかった。
しかし、俺としたことが、タダ働きなどらしく無い事をさせられたものだ。やはりあの美女には悪女の素質があるのかもしれない。いや、本当に悪女の素質があるのなら、俺がこんな風に世話を焼く必要もないのか……どちらでもいいが、チームの連中がニヤニヤしているのが気に食わない。もっと気に食わないのは、なぜか俺が晴れ晴れとした気持ちになっていることだ。もう、これ以上関わるのは止めにしよう。やつらの幸せなど、俺にとってはどうでもいいのだから。
店主はマゼンダに惚れちゃったんですかね?結局、彼も自分のほのかな好意に気づけない男の1人だったということですかね
……お後がよろしいようで(?)




