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01:若かりし頃の

 自分で言うのもなんだが、クロエッツアと私は大恋愛だったと思う。


 彼女は留学先の隣国でたまたま入った食堂で働いていた。けれども出会ったその日から、ただの客と給仕という関係では無かった。ふと目の合ったその瞬間、彼女は私の想い人になり私も彼女の想い人になった。

 貴族と庶民という事も、生まれ育った国が違うということも私には何の障害にもならなかった。まわりにいた友人たちの制止も両親が戸惑うだろうという予想も彼女に苦労を強いるだろうという常識も私の想いを止められなかった。もしクロエッツアが私を拒否すれば止まる可能性があったかもしれないが、それもくだらない言葉遊びでしかない。彼女が私を拒むことはなかったのだから。むしろ、彼女に比べれば、私の方がまだ慎重だったと言っていいだろう。臆することなく、無理に媚びるでもなく、策略を練るでもなく、ごくごく自然に好意を伝えてくれる彼女の様子に、私もあっさりと初めての恋に落ちる事ができた。

 クロエッツアは庶民の出だが、凛とした佇まいがどこか高貴な印象を与える娘だった。着飾って黙っていれば気品ある名門貴族の深窓の令嬢と見まごう雰囲気を纏っていた。しかし、ひとたび口を開くと、朗らかで暢気で飾り気の無いどこにでも居そうな庶民の娘になる。その捉え所の無さは私を夢中にさせた。


 むかしから頑固だった私が留学先から彼女を連れて帰った時、父と母は額に手を当てて嘆いたが、それでもしぶしぶ許してくれた。私がこうと決めたら梃子でも動かない性格だというのを彼らはよく理解していたし、伯爵家の跡取りに代わりはいない。結婚に反対してへそを曲げられては厄介なことになるというのは嫌というほどわかっていたのだろう。私が、結婚適齢期を少しはみ出ていた事も理由かもしれない。私はそれまでどんな縁談を進められてもなかなか首を縦に振らなかった。もしかしたら、一生結婚してくれないかもしれないと思っていた息子が、やっと結婚したいという娘を連れてきたのだ。伯爵家の存続の為には相手が庶民だという事は、この際目をつぶろう…と考えたのかもしれない。多くの貴族家庭では結婚には何かしらの利益をもたらすことが求められるようだが、家を大きくしようという野心が無ければ、実は誰と結婚しようと大した問題には成らない。

 私の父母が頷けば結婚話はあっという間にまとまった。クロエッツアに父母は無い。結婚前に伯爵家が調べさせて分かったのは行商人をしていたクロエッツアの実父母は盗賊に襲われて亡くなっているという事実だった。クロエッツアの記憶が成人の頃を境に曖昧になっていて、自分の名前以外ほとんど何も覚えていないのはこの実父母の事件が原因だと考えられた。クロエッツアの故郷やなんかも調べることができたが、特に近しい親族がいるわけでもなく親しく付き合いのあった者も居なかったらしい。それもあって、彼女が蓋をした記憶を私たちがわざわざ開けることは無いと判断して、彼女には何も伝える事はしなかった。

 勤めていた食堂の店主と女将を父母代わりに招待して私達は結婚式を挙げた。ごく身内だけを呼んだこじんまりとした式だったが、クロエッツアは花のように笑っていた。その顔を今でも思い出す。オレンジがかったこっくりとした色合いの金髪に黄緑の葉と白い花で作られた花冠が良く映えていた。花嫁姿というのは誰でもそれなりに見えるものらしいが、元々美しい彼女は尚更美しく、本気で天使か女神なのではと疑うほどだった。式後は伯爵邸でガーデンパーティーをした。その日はよく晴れていて、空を映したような彼女の瞳にも、かげりなど一つも見えなかった。


 結婚して数年のうちに赤ん坊を授かり、女の子が産まれた。クロエッツアそっくりの美しい赤ん坊に、私の父母もとても喜んだ。それまでクロエッツアに対してどこか遠慮がちだった態度が赤ん坊のおかげで軟化したと思う。産まれたばかりの娘を見て、私は「成功者」とか「光り輝く」という意味のシンディーレイラという名を父方の祖母からもらう事にした。それを意気揚揚と発表した時、クロエッツアが一瞬眉をしかめた。私はそれに気付いたのだが、良い名だと喜んで盛り上がる父や母の手前、その場でクロエッツアに尋ねることはできなかった。

 その晩、2人になってから尋ねると、彼女は申し訳なさそうに首をかしげた。

「あなた、スィンド・ゥル・リイラっていえば意味分かる?」

 彼女が異国の言葉を口にするのを久々に聞いた。直訳すると「汚い人」とか「泥にまみれた者」…そこから浮浪者や流れの娼婦、犯罪者を侮蔑する時に使われる言葉らしい。

「少し、響きが似ている気がしてしまったのよ…。」

 うつむき加減でそういう彼女に私は頭を抱えたくなった。なぜ一言クロエッツアに相談しなかったのか悔やまれた。別にシンディーレイラという名前に特にこだわっていた訳ではないのだ。デイジーでもジャスミンでも良かったのだ。けれど、既に家族の前で発表した手前、娘の名前を変える事はできない。特に父になんと説明しても角が立つだろうと思われた。しかし一方で、これから先クロエッツアは愛しい娘の名を呼ぶたびに母国語の響きに引きずられて気持ちが沈むのだろうかと想像するといてもたってもいられなかった。

「君の国の名前をつけよう。」

 私の口をついて出た言葉にクロエッツアは怪訝な顔をした。

「ミドルネームって君の国では良くあるだろう?それをつけよう。シンディーレイラは祖母の名を頂いたものだし…既に発表してしまったから、変えられない。この国では『成功者』を意味する立派な名前だよ。君にも慣れて欲しい。でも、君が親しみを込めて呼べる名前をミドルネームにつけてあげてはどうだい?女将さん達に送る手紙にはミドルネームを記せばいい。嘘にはならない。」

 私の案にクロエッツアは飛びついた。ブツブツと声に出して名前を考えはじめて、すぐにはっと顔を上げる。

「セレスティアにするわ。」

「セレスティア?」

「はい。『志を遂げる』とか『願いが叶う』とかって意味がある名前なのよ。」

「それはいいね。じゃあ、私達の子はシンディーレイラ・セレスティア・クランドールだ。」

「はい。あなた、ありがとうございます。」

 クロエッツアは満面の笑みを浮かべて私に抱きついてきた。彼女の笑顔はいつでも私を幸せにした。


 こちらの風土が体に合わないのか度々体を壊す彼女は、娘を出産した時次の妊娠は命に関わると宣告された。跡取り息子を産むことができないことをクロエッツアはとても嘆いたが、私には彼女の方が大事だった。跡取りは養子をもらってもいいし、シンディーレイラが婿をとることもできる。けれどクロエッツアの代わりはどこにもいないのだ。私の説得に応じて、彼女は子供を欲しがることをやめた。

 だから…という訳ではないが、私達はシンディーレイラを慈しんで育てた。貴族の家では子どもの世話や教育を乳母に任せる風習があるが、それはクロエッツアが拒否した。庶民として育った彼女は自分が産んだ子どもの世話を出来ないことは不幸だと考えていて、それ以外では伯爵家の習慣に馴染もうと努めていたが子育てに関しては一分の譲歩も無く頑なに自分がすると決めていた。身体の弱い彼女を助けるために育児経験の有る乳母をつける事はしたが、子育はクロエッツアが中心となって行なった。はじめは慣れない方針に乳母をはじめ使用人達は戦々恐々としていたが、特に問題もなかった。私はというと妻と娘がいればそれで幸せだった。

 元来あまり出世欲を抱かない家系なのもあって、男子が産まれない事や、子育てのあり方を責める者は家族には居なかった。父方の叔父に一人、文句を言う人が居たけれども、それは父がぴしゃりと諌めてくれた。本家が納得している事に家を出た人間が口を出せるわけはなく、それ以降は親戚連中に煩わされる事もなくなった。

 私は、王都のはずれに家を建て、親子3人で暮らすことにした。母は離れて暮らす事を寂しがったが、王都の中央に居るとどうしても他人の心無い言葉がクロエッツアの耳に入る。私は彼女と娘に憂いの無い生活をさせたかったのだ。穏やかな日々に満足しそれがずっと続く事を願っていた。

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