願いを籠めて
『何やねん、さっきまでずいぶんえげつない真似しとったんやろ。うちの事なんてさっさと殺せばいいやないか』
『いや、やっぱり拾ってくことにする』
『は?……何あほなことぬかしとるん。うちを生かして何の得にもならんやろ』
『ばーか、人の命を生かす生かさないに得なんかあるか』
『意味解らん。にーちゃん、頭いかれとるんちゃうか。殺し屋にそんなもんないやろ』
周りの血にぬれた壮絶な殺害現場なのにもかかわらず、今までの無表情とは一変させて顔を歪めるにーちゃんに少年は眉を寄せて睨んだ。
『別に殺し屋じゃない。まあ、今この瞬間にお前は俺に拾われたんだ。やることないなら俺と一緒に来い』
そういって微笑みを浮かべた顔は今まで見たことも無いくらい、綺麗な笑みだった。
それが、うちが生涯をかけて傍にいると誓った九条千鶴との出会いやった。
「うー、できん。できんったらできん!こんなごっつ難しいもん出来る訳ないやろ」
「はいはい、分かったから文句言ってないでやれ。ヒアリングはうまいのに、なんでこんなに発音できねーんだ。変なイントネーション使うな」
「うー、こんなもん十歳の餓鬼がやることやないんや。英語なんてせんでも生きていけるわ」
「ここが日本ならその理屈は通じるかもしれんがここは外国だ。日本語が理解できる奴の方が珍しいから英語を覚えろって何度言ったら分かんだよ」
若干不貞腐れた様に言う彩に千鶴は呆れたような声を出しながらも今まで何度となく言ってきた言葉を突き付けた。勿論際も耳にタコができるほど聞きなれているし、理由もきちんとわかっている。だが、やはりわかって頭では理解していてもなお、上手く英語を喋ることが出来ないのだから仕方がないのだろう。
今千鶴が見せている面倒臭そうな表情は組織に入って一年たっている今にとってしてみれば、かなり珍しいというよりも希少価値であることは千鶴に拾われた身であり同時に組織に所属している身である彩にもわかっている。ここにいる人間達が知る千鶴の姿からはかけ離れていることも、そのもう一つの名前、ここで請け負う千鶴のごく少数しかいない部隊の事も、その仕事の最中に拾われたので聞き知っている。
「わかっとるわ、そんなこと。でもなんかできへん。イントネーションも普通にやっとるつもりなんに全然できへんし」
「まあ、そりゃ難しーだろうよ。少しずつ覚えていきゃーいいんだしな」
「そやかて。個々の組織では共通語が英語なんやろ?」
「俺が覚えるまでは一緒にいてやるから何とかなるだろ」
「え?ほんまかいな」
目を輝かせた彩に、一瞬きょとんとした千鶴はほおを緩めて笑い、頭を撫でた。それを直視した彩は驚くと共に、この表情は外では一切出さないことを彩は知っていた。
「ま、できる限りな。でも俺に頼ってばっかじゃだめだろ。普通」
「普通とは限りなく遠い所におるんに。何いっとるんや」
「るっせーな。二年前まではこれでもふつーだったんだよ」
「うわー、信じられんわ」
嘘だった。
本人から聞いたのが初めてだったというだけで、初めてここに来た時、真崎という名字の十代半ばにしか見えない男に教えてもらったことがある。
その時にナイフを突きつけられて危うく殺されそうになったことも含めてだ。助かったのはおもしろそうだったから。などというふざけた理由だったが、彩としてもそれは事実なのだろうことは何となくだが察することが出来た。
印象は、真っ黒だ。外見に黒い部分は服くらいしかなかったが、内面の部分が真っ黒だ。黒く、暗く、深い、そこの見えない深淵が其処にはあったように思う。人の真理を観察しなくても感じ取れる彩にとってはあそこまで狂っていて、愉しいことに飢え、それなのに誰よりもまともな、まるで意味不明な人間で、興味を惹かれはしたが、深入りしたら多分殺されていた。
ぼーっと彩がそんなことを考えていると、ピリリリリ、という無機質な機械音が聞こえてきた。
それと同時に、目の前にいた千鶴の瞳から感情の色が消えうせ、仮面をかぶったような無表情に様変わりしていく。
「何か用ですか」
「実はちょっとあるんだよ。来てくれるかな?」
日本語から英語に変えて千鶴が話すと、電話の相手も英語で返答した。
まるで氷のように冷ややかで、感情が感じられない声の千鶴とは打って変わって優しげで、よくとおる労わりのこもった声だった。
「分かりました。ボスの仰せのままに」
「それ逆に恥ずかしいよ」
「それじゃあ参ります。あの部屋でよろしいですね」
「無視…。うん、いいよ」
「それじゃあ、行きますのでしばしお待ちください」
ぴっと形態のボタンを押してポケットにしまいなおすと、千鶴は小さく苦笑した。
「悪い、呼び出されたからちょっと行くな。多分ノヴァ・イズヴォリスキーが来ると思うけど」
「……?誰や、そいつ。初めて聞いたで?」
「ここの組織の幹部のようなもんだな、真崎音和には会った事あるだろ?」
「意外ってほどでもないわな。それは」
「あいつも幹部に近い位置にいるんだよ。十代前半にしか見えねーし年齢不明ってのもあって上層部の奴らに取り入ったんじゃないかとか散々言われてるらしーな。本人はどこ吹く風だけど」
(あほらし……)
取り入るの意味が分かった際は馬鹿馬鹿しいものを見るような目で壁の付近を見た。
「それじゃあ俺はもう行くけど、気をつけろよ?お前みたいなちまいのを襲うような馬鹿もいるんだからな」
「うちはショタコンのゲイに襲われるほどやわやないわ。なんかあったらそいつしばいたるっちゅうねん」
「ははっ、まあ多分に十分でもたてば帰って来るから。お利口さんにしてまっとけ」
「うちは子供やないっちゅーに」
脱力したように机に項垂れた彩の頭を二三度叩き、千鶴は黒いローブを羽織った。
東洋人らしい黒髪に黒曜の瞳を持っているため、全身の殆どが真っ黒だ。唯一、腰に差してある日本刀だけが異様な異彩を放っている。
「じゃーな。彩」
「おーおー、とっとといね」
片手を振りドアを開けた千鶴はそのままドアから出た。
「初めましてよね?私はノヴァ・イズヴォリスキーよ。なんて言えばいいのかしら、ボスに少し頼まれごとをされてね」
「日本語、分かるん?」
「ええ、私アニメオタクなの。日本のアニメ文化は素晴らしいわ。漫画もどれをとっても面白いものばかりだわ。日本語は話せないけれど聞くことと読むことはできるのよ」
英語で話すノヴァに問うように、日本語で彩は話しかけた。
微かに顔をほころばせ、ノヴァは小さい子供が輝かしい夢を語って聞かせるような美しい光を瞳に宿らせた。
「それ、関西弁よね。日本語には英語やイギリス語、ロシア語にはないものがあって面白いのよ。一言に日本語といっても、関西弁や名古屋弁などいろいろな言葉遣いがあって、それが素晴らしい所よね。それにいろいろな漫画!日本の漫画本当に素晴らしいと思わない?アニメだって一級品だわ」
「それ、いつまで続くんや?なんや用事があったんとちゃうんか」
「あ、そうだったわ。つい、ごめんなさいね」
ゆっくりと微笑むノヴァに、彩は顔に少しだけ笑顔を浮かべた。
本当に変わった人間が多い、と彩は本気で思った。苦労を背負いこみそうな女性だ、というのが正直な感想だ。未だ知らないことだが、それは実はどんぴしゃなたとえなのだった。
「まーしっとるやろうけど、彩や。といっても、千鶴に着けてもらった名前やけどな」
「クジョウのお気に入りなんでしょう?サイっていうのは漢字も含め良い名前だと私も思うわ」
「おおきにー」
へらりと笑った彩に、ノヴァは深呼吸をし、鋭い視線で彩を見た。その瞬間にピリッと触れれば切れてしまいそうな空気がその場に漂う。
「……じゃあ、聞きたいことを言うわ。まず、クジョウ……殺戮人形っていうあの子のもう一つの名前は知ってるわよね。あの子の事を貴方はどう思っているのかしら?」
殺戮人形という単語を着た途端彩の胸の内に、何か黒いものがどろりと流れてきたような気持ち悪くなるような錯覚を起こした。
それが九条のもう一つの名前であり、初めに組織でのことを説明されたときに自分を指し示す言葉だといったそれは、その言葉自体が千鶴を縛る呪縛のようだと感じた。確かにこの組織内で千鶴は無表情無感情、冷酷で怖ろしい人殺しを主とする仕事についてはいるものの、何処か狂った部分があるものの、感情豊かで人形という言葉には一切たりともあてはまる部分がない。
そんな信条とは裏腹に、彩は口元に軽薄な笑みを浮かべた。
「何とも思っとらん。うちも似たようなもんやし」
「じゃあ、これからあなたはこの組織でどうするつもり?」
「……さあ?そんなこと聞いて何になるん。あほくさ」
わざとらしく溜め息を吐き、ノヴァの目を見てにっこりと笑った。
「質問を変えるわ。貴方はこの先、どう生きるの?」
「それ、答えなあかんの?悪いんやけど、答える義理なんてないわ。ボスからの命やったとしても、この先どう生きるのかはうちしだいや。他人にどうこう言われるつもりも、今から詳しい計画立てるつもりもないんよ」
「まあいいわ。サイがそういうのなら仕方ないもの」
そういって席を立ったノヴァに、彩はその後ろ姿に歌うように言葉を紡いだ。
『あいつが生きとらんならうちが生きる価値は無い。あいつの生きる道がうちの生きる道やからな』
「……今の、どこの言葉?」
「何処やろなー?さいならー」
ひらひらと手を振り、彩は机から離れ、ソファに沈んだ。
彼の願いを叶なわせるためなら、どんなことでもする。
その笑顔を守るためなら、自分がどうなったとしてもかまわない
だから、どうか。願いが叶いますよう――――