全ての始まり
携帯電話の着信音が、遠くなっていた意識を少しずつ現実に引き戻していく。
柔らかいベッドの中で、日向陽二は、音の主を手探りで探した。
「はい、ここ」
昨夜触れていた彼女の指が、陽二の手に携帯を差し出す。
「ん、サンキュ」
陽二は半分眠ったままで電話を受けた。
「もし…?」
「陽二くんっ、今どこ?もう待ってるんだけど!」
弟の光平である。
「あー…ごめん、今すぐ行くから」
陽二は電話を切ると、大きなあくびをした。
「誰かと約束?」
彼女が、少しだけ探るような視線を向けながら訪ねる。
「ん―…」
陽二は自分の服をかき集めて、急いで身支度を整えると、
「今日は兄弟で、おふくろの墓参り」
「本当に?」
「意外?」
「…ちょっとだけ」
「正直だね。ま、いいけど」
陽二はクスッと微笑むと、彼女のこめかみにキスをして、部屋を出た。
歩きかけて立ち止まると、ドアを振り返る。
「名前…なんだっけ?…ま、いっか」
時計を見ると、約束の時間を30分も過ぎていた。
「まずい」
陽二はポケットの車のキーを確かめると、足早にマンションを出た。
「全く、あてにならないんだから、陽二くんは。どうせ、今日も知らない女の人の部屋で起きたんでしょう?」
会って車に乗り込むなり、弟の光平が早速文句を言い出した。
「別にいいじゃん、人様に迷惑かけてる訳じゃないし」
「待たされた俺や兄貴は迷惑かけられてるんですけど。ね、兄貴」
光平は、後部座席に座って小説を読んでいる、長男の喜一を振り返った。
「もう、慣れたけどね」
喜一は、視線を動かさないまま答えた。
「おい、兄貴、本屋の店員やってるんだから、プライベートな時くらい、本から離れたら?」
陽二がルームミラーで喜一を見る。
「いいだろう、趣味なんだから。それに、一応、店長な」
「光平、お前はあんなふうに堅物で面白みのない男になるなよ?俺みたいに、色んな経験しておく方が、将来役に立つ」
「兄貴も陽二くんも極端なんだよ。俺は標準がいいのっ」
「兄貴だって、決してルックスは悪くないと思うんだけどなぁ…。何で彼女出来ないんだろ」
「前は普通にいたんじゃない?」
「よっぽど痛い目に遭ったか…まさか同性に…」
二人の会話を聞いていた喜一が、本で陽二の頭をこづいた。
「いいから、ちゃんと運転しろ」
「だって、気になるじゃん。ま、俺は真実を知っても偏見は持たないから、男が好きなら、はっきり―」
「そうじゃないよ、放っておいてくれ」
陽二は、やれやれといった顔で光平を見た。
「ま、俺が一番堅実って事だろうね」
光平はそう言いながら、満足そうに頷くと、
「母さんの美容室を継いだのも俺だし」
「たまたま好きだっただけだろ。兄貴は全然むいてないし」
「陽二くんだと、お客さんに声かけまくって泥沼になりそうだしね。今のセレクトショップだってメンズの店なのに、陽二くんの周りは女の子いっぱいだし」
「うるさいよ、お前」
「俺は陽二くんの心理が全然理解出来ない。彼女なんて一人で充分」
「そういえば、光平って彼女連れてきた事ないよな?」
「そりゃあ、陽二くんが危険じゃないって判断出来るまでは、ね」
「おいおい、いくら俺でも弟の彼女に手は出さねぇよ?」
「どうだか」
喜一が後ろで呟く。
ほら、見ろ。と言わんばかりに、光平が陽二をつついた。
そうこうしているうちに霊園のエントランスが見えて来た。
今日はとても天気が良かった。
女手ひとつで、三人を育ててきた母は、自由奔放であったが、明るく頼りになる強い存在だった。
そんな母は、病に倒れてからたった一年で、還らぬ人となったのだ。
毎年、命日には三人揃って墓参りに訪れる。
約束した訳ではなかったが、自然とそうなっていた。
「あんなに泣き虫だった光平も、少しは立派になりましたって報告しなきゃな」
陽二が歩きながら、からかうように言う。
「いつまでもガキ扱いしないでくれる?」
「だって本当じゃん。怖い夢見た〜って、いつも母さんに抱っこされて泣いてた」
「そんなの、本当に小さい頃の話じゃん」
二人の会話を聞きながら先頭を歩いていた喜一が、ふと足を止める。
「どうした?兄貴」
二人も立ち止まる。
喜一の視線を辿ると、母の墓前に一人の男の姿があった。
四十代半ばであろうか。
スーツ姿の細身で長身の小綺麗な印象の男は、ひざまづいて手を合わせていた。
「…誰だ?あれ」
陽二が呟くと、男は三人に気付いて立ち上がり、頭を下げた。
「…とにかく、行こう」
喜一が二人を促す。
男に近づくと、喜一は問いかけた。
「失礼ですが…どちら様でしょうか?」
すると男は、ニッコリと微笑んで、
「初めまして。俺は…この子の父親です」
そう言うと光平を見た。
「え?」
三人は、唖然とした。
確かに光平は、父親が違う。
それは三人とも知っていた。
喜一と陽二の父親は他界し、その後、母は誰かとの間に光平を儲けた。
だが、再婚はしなかったし、喜一達も相手が誰か追求しようと思わなかった。
母が自分で決断した事であるし、何より年の離れた弟が可愛くて、そんな事どうでも良かったのだ。
「俺はこういう者です」
男がポケットから取り出したのは、警察手帳だった。
名前は、如月直人。
「…突然、どうして…」
戸惑いながら呟いた喜一に、如月は一枚の封筒を差し出した。
表には、『息子達へ』とかかれていた。
「知世からの手紙だ」
「…母さん、の?」
喜一はそれを受け取ると、中身を開けた。
陽二と光平も、後ろから覗き込む。
息子達へ
突然の事で驚かせてごめんね
如月さんは、間違いなく、光平の父親です
この出会いは、きっと
あなた達のためになる
あなた達が迷わずに進める答えをくれる
だから、彼と協力して
あなた達も理解を深めていって下さい
全てに意味はある
母より
「その意味が解んねぇ」
陽二が首を傾げる。
「そもそも、これは本当に母さんが?」
光平も不思議そうに呟いた。
「…うん、間違いない」
喜一がそう答えた。
「は?兄貴、何で断言出来るんだよ」
陽二は手紙をまじまじと見つめた。
「そうか、君が長男の喜一くんか…君が言うなら間違いないんだろうな」
喜一が黙っていると、陽二が身を乗り出して、
「それに、この人が光平の父親だっていう証拠だってないだろ」
そのまま疑惑の眼差しで如月を見た。
「陽二」
喜一が、陽二の体を制する。
「それも…きっと本当だよ」
喜一の言葉に、陽二と光平は顔を見合せた。
「…それで、如月さん、何か用があって、いらしたんですよね?」
「あ、ああ、そうなんだ…少し、力を貸して欲しくてね」
どうやら、光平を引き取りたいという申し出ではないようだ。
喜一は、光平が複雑な表情をしているのを見て、如月に向き直ると、
「解りました。まず、お参りを済ませないと…それから、家に行きましょう」
「おい、兄貴っ…」
「いいんだよ、母さんだって、そう望んでるみたいだし…話を聞こう」
喜一の言葉に、光平は少し俯いた。
陽二は、そんな光平の肩にそっと手をかけた。
「如月さんは、どうして母さんと結婚しなかったんですか?」
陽二は家に着くなり、そう聞いた。
「おい、いきなりそんな事…」
「いや、いいんだよ、喜一くん。子供の立場からしたら、当然の質問だ。知世と出会った頃、俺はまだ学生だった…知世が妊娠している事を知らずに別れて…全てを知ったのは、ふとした事で再会した時で、もう光平は生まれていた」
「それで…すぐ光平に会いに来ようと思わなかったのかよ」
陽二は憤りを隠せずに聞いた。
「思ったさ。でも、知世に止められた。今はまだダメだと。家族の関係を乱すような真似はしないでくれ、って」
「…確かに、僕達家族の関係は、良好で充分幸せでしたから」
喜一が呟く。
「そうらしいね、知世もとても幸せそうだった。そのうち彼女が病気になって…その手紙を託された時が、最後になった」
三人は、封筒を見つめていた。
正直、まだ完全に受け入れてはいなかった。
が、とにかく話を進めてみるしかない。
「その…如月さんの用っていうのは?」
喜一の言葉に、如月がポケットから一枚の写真を取り出した。
学生証の写真だろうか。
幼い顔立ちの女子高生らしき姿だ。
次の瞬間、光平がハッと息を飲んだ。
「…この人…」
「知ってる?」
喜一が驚いて光平を見ると、横から陽二が、
「俺も見た事ある」
「え!?」
今度は、光平も一緒に驚いた。
訳が解らないという顔をしている二人に、陽二が呑気に言った。
「だって、ずっと光平の後ろに憑いてる」
「ええっ!?」
光平が急にあたふたと体を払い始める。
「慌てんなよ、お前知ってるんじゃないのかよ、彼女の事」
「し、知ってるっていうか…夢に出てきただけで直接面識は…」
「夢?じゃあ、全然知らないのか?」
「うん、夢の中に、ここ何日か続けて出てきたけど…」
「ふぅーん。お前に何か伝えたい事があるのかもしれないな。どおりで祓えない訳だ」
二人の会話を聞いていた喜一が、耐えきれずに口を挟む。
「ちょっと待て。お前達…何言ってるの?」
「あ、えーと…多分だけど…」
陽二がケロッとした顔で言った。
「俺、誰かに何かが憑いてると、時々見えるみたい。それと、祓う事も出来るらしい」
「本当に!?陽二くん、すごい!」
光平は自分の後ろを気にしながら、
「だからか…陽二くんに触れられると、気分が軽くなるような感覚になる時があったような…」
「ああ、お前はガキの頃から、よく色々と背負ってた」
「ええーっ!?」
光平は泣きそうな顔をした。
「て、事は…俺に見えてるのは、光平が夢で見た子なんだな」
「よく解らないけど、多分そうだね…」
「もしかして、母さんによく泣きついてたのも、夢に知らない人や死んだ人が出てきたからか」
陽二は納得したように頷くと、
「あれ?…て、事は、もしかして?」
そのまま二人は、喜一に視線を移す。
「喜一くんは、これだろう?」
如月の言葉に、ポカンとしていた喜一が、我に返る。
如月は、知世の手紙を喜一の前にかざした。
「僕は…」
喜一は小さく息をついて
「死んだ人の持ち物に触れると、記憶の断片が少しと…最後に見た光景を感じ取れる」
「うわ…そりゃ、ヘビーだな…」
陽二が身震いをする。
「だから、その手紙が本物だって、解るの?」
光平はそう尋ねると、如月を見た。
「本当に、俺の…」
「ま、まぁ、いいじゃん?お前が生まれたって事は、親父がいて当然なんだし、結果としては俺達も良かった訳だし」
陽二が笑顔でフォローする。
「悪気があって、お前を捨てたって訳でもねえしな」
「そうだよ、光平」
喜一は同意すると、写真を手に取った。
「この子が…どうしたんですか?」
如月は、喜一に向き直ると、真剣な顔つきで、
「先日、自宅マンションから転落死した」
その言葉に、三人は眉を潜める。
「自殺…が濃厚なんだが…気になる証言が出てきたんだ」
「どんな?」
陽二が身を乗り出す。
「し、真実を伝えたくて…俺の夢に出てきたのかな…」
光平が、少し怯えて頼りない声を出す。
「お前、何を今更怖がってんだよ。死んだ人の夢なら、ずっと見てたくせに」
陽二が茶化す。
「だって…今までは、それで済んでたけど、こんなリアリティあるの初めてだし…以前は、陽二くんが祓ってくれてたから、その後なんて無かった訳でしょ?」
「まあ…俺も見えるだけで、何が言いたいかまでは解んねぇからな。新しい展開だ」
陽二は少し楽し気に言った。
「協力するつもりなら、もっと真面目に聞け」
喜一の言葉に、陽二が肩をすくめる。
「で、その証言っていうのは何ですか?」
「ああ、実は…父親に虐待を受けていたようだ、と」
如月が、やりきれない顔で答える。
「父親と言っても、母親の再婚相手で血の繋がりは無い。同じマンションの住人が、暴行を受けているような音が聞こえていたと言ってる」
「…母親は、何と言っていますか?」
「もちろん、どちらも否定している。虐待も自殺も。遺書も見つかっていないし、自分の娘が自ら命を絶った事を受け入れたくない気持ちも解る。それで少々、難航してるんだ」
「虐待や暴行の証拠はあるの?」
陽二の言葉に、如月が首を振る。
「…それで、喜一くんに、彼女が見ていたものを教えて貰いたくてね」
三人は沈黙した。
少しの間の後、陽二が口を開いた。
「でも、兄貴が何かを見たとしても、そんなオカルトめいた事、警察は信じるのかよ」
「もちろん、それは難しい事だ。でも、俺は信用してるし、捜査のヒントになる」
如月はそう言って、喜一の言葉を待った。
喜一は少し考えてから、小さく息をつくと、
「…解りました。そうする事を、母さんも望んでいたのなら」
「助かるよ、ありがとう…では、また明日でも出直して来るよ」
如月は、ホッとしたように微笑むと、立ち上がった。
そして光平の前へ歩み寄ると、深く頭を下げた。
「…今まで、すまなかった」
光平は、戸惑いながら如月を見つめていたが、
「いえ、いいんです」
と、簡単な言葉を返す事しか出来なかった。
如月が帰って行った後、
「知らなかったな。そうだったんだ」
と、陽二がソファに転がりながら言った。
「俺達が特異体質だって事…母さんは知ってたんだろうけど」
光平も、隣のソファに腰を降ろす。
「さっきの手紙…」
喜一が口を開く。
「全てに意味があるって…こんな力に意味なんてあるのか、って思ってきたけどね…」
喜一は、その意味を知りたかった。
だから、如月の依頼を受けた。
これから先に、その答えがあるのかもしれない。
母の言葉にあった、自分達が迷わずにいられる答えが。
如月が連れてきた部下の藤野初美は、戸惑っていた。
目の前で、食い入るように自分を見つめている陽二の視線のせいだ。
「陽二くん、見すぎ」
光平が、後ろから陽二の襟首を掴む。
「だって、女の人が来ると思わなくて」
「警察にも女の人は、いるでしょう」
そんな会話の中、メガネを拭きながら、喜一がリビングに入ってきた。
「朝早くから、申し訳ないね、喜一くん」
如月が立ち上がる。
「いいえ。でも、全員これから出勤なので、手短にお願いします」
喜一はそう言って、如月の向かいに座った。
「じゃあ、藤野」
「はい」
初美がバッグの中から、コンパクトミラーを取り出した。
「…触れると、本当に何か解るんですか?」
初美が不思議そうに喜一を見つめる。
「まあ、黙って」
如月が遮る。
喜一は深呼吸すると、ミラーを手に取った。
少しずつ意識を集中させていく。
しばらく、静寂な時が流れた次の瞬間、喜一が目を開けて、大きく肩で息をした。
「兄貴、大丈夫?」
光平が心配そうに覗き込む。
少し息を乱した喜一が、口を開いた。
「…高い建物からの景色…きっと、最期に見た光景ですね。視界が大きく揺れてから…真っ暗になりました」
「彼女の家は十五階だ」
如月の言葉に、陽二と光平が顔を見合わせる。
「俺、この能力じゃなくて良かった」
陽二が思わずポツリと呟く。
「…多分…」
喜一が続ける。
「冷静に、と言うのも変ですが…落下する時、彼女は落ち着いていたと言うか…あちこちに視線を向けてキョロキョロする感じはありませんでしたね」
「…自殺、か」
如月がフウッと息を吐くと、喜一がすかさず、
「いえ。落ちる時は、慌てていなかったとしか言えません。自分の意志かどうかまでは解りませんよ。あと―」
全員が喜一に注目する。
「泣いている女の人。それから、男の人が近付いて来るところ。何かが…飛んで来る光景」
「何か?」
如月は、そう尋ねながらポケットを探った。
「何だろうな…十五センチくらいの丸い…灰皿かな?」
喜一が、両手で輪を作ってみる。
「灰皿?…投げつけられたって事?」
光平は、頭の中に虐待の文字を浮かべて言った。
「今、喜一くんが見た人物は、ここにいる?」
如月がポケットから取り出したのは、数枚の写真だった。
「…この二人です」
喜一は、その中から二枚を抜き取って、テーブルに置いた。
「これは母親で、こっちが義理の父親だ。母親が泣いていた?」
「ええ、ひどく」
喜一はそう言うと時計を見て、
「あの…そろそろ出たいので、今日はよろしいですか?何か思い出したら連絡します」
「あ、ああ、そうだね。忙しい時に申し訳ない」
「あ、ありがとうございました」
初美も頭を下げる。
「行ってらっしゃい、兄貴」
光平が無邪気に手を振って見送った。
喜一の姿が見えなくなると、
「あの…」
初美が遠慮がちに声を発した。
「はい、なんでしょう」
陽二が即座に反応する。
「あんな力が…本当にあるんですか?」
「あるんでしょうね。まあ、俺達も昨日初めて知ったんだけど」
「怖く…ないんでしょうか?」
「怖いでしょ、そりゃ。ちなみに、俺も多少ありますよ、変な能力」
「そうなんですか?」
「ゆっくり教えてあげたいけど、俺も仕事に行かなきゃ…って事で、アドレス交換しません?次回のために」
「陽二くんっ」
光平が呆れたように陽二を見る。
「はいはい、じゃあ俺も行ってくる。如月さん、経過報告待ってるよ」
陽二は初美に笑顔を向けると、リビングを足早に出て行った。
やれやれ。
光平は溜め息をついた。
そして、自分だけが残された事に気付くと、途端に気まずくなった。
「同じ兄弟でも、全然タイプが違うんだな」
如月が楽しそうに言う。
「…あの…」
光平が、おずおずと口を開く。
「俺…その…何て呼んだらいいか…」
如月は、複雑な光平の思いを察したかのように、逆に明るい笑顔で、
「急に親父だって言われても、戸惑うのは当然だよ。実際、父親らしい事は、まだ何もしていないし…好きなように呼んでくれ」
「…じゃあ、皆と一緒で…如月さん」
「問題無い」
如月はニッコリ笑った。
「…息子さん、なんですか?」
日向家を出た車の中で、初美が尋ねた。
「ああ。俺が知らないうちに、生まれてくれてたみたい」
「申し訳ありません、答えにくい事を聞いてしまいました」
「いや、そんな事はないよ。素晴らしい事だ」
如月は、そう言うと微笑んだ。
「信じるか?あんなオカルトめいた力」
「如月さんは、信じてるんですよね?」
「まあね」
如月は、前を見つめたまま、「あの子達の母親は、恐らく未来を知る事が出来たんだと思う。息子達の力にも気づいていたし、自分の寿命が短い事も…だから、時期をみて俺に全てを打ち明けたんだろう」
「…亡くなられたんですか?奥様」
「んー…亡くなったけど…奥様と呼んでいいかどうか。結婚してなかったし」
「…また私、失礼な事を聞きました…」
初美は慌てて、しどろもどろになった。
「構わないよ。俺にとっては、どれも悪い事じゃないからな。あんな立派な息子に成長してくれてて、兄弟との関係も良好だ。わくわくしてるよ。これから、たくさん関われると思うと」
「そうですか…息子さんも、そう思って下さってるといいですね」
「きっと思うさ。彼女が育てた子だからな」
如月は、清々しい顔で言った。
「あ、如月さん、この辺は亡くなった少女が通っていた学校の近くです」
「お?…一度、聞き込みはしてるけど…もう一度行ってみるか。時間が経って落ち着いた頃に、何か思い出している事もあるかもしれないしな」
学校の前に到着すると、二人は車を降りた。
ふと、通り過ぎる生徒達の中に、見覚えのある顔を見つける。
相手も、如月を見つけると足を止めた。
少女の友人で、死亡した直後にも、話を聞いた女子生徒である。
「やあ、覚えててくれたかな?」
如月が近付くと、彼女は怪訝そうな顔をした。
「…なんですか?これから学校なんですけど」
「たいした用事じゃないんだ。ちょっと通りかかってね」
「…まだ、琴音の死因を疑ってるのかと思いました。何度も言いますけど、あれは事故ですよ。琴音は、自殺をほのめかすような事、言ってなかったし」
「でもね、ご近所には時々大きな物音や、悲鳴のような声を聞いている人がいる」
「そんな事言われても…私は知りません」
「何か、隠してるとか悩んでいたとか…ありませんでしたか?」
初美が問い掛けると、彼女はしばし思いを巡らせて、
「いいえ。普通に部活して、カラオケ行ったり、恋愛の話したり…」
「恋人はいたんでしょうか?」
「…付き合ってる人がいなくても、普通に男の子の話はしますよ?かっこいい先輩とかショップの店員さんとか…」
そう答えて、彼女はじっと二人を見つめた。
「…琴音…殺されたんですか?」
「え?…いえ、そういう事では…」
「だって…近所で変な噂があるんでしょう?事故でも自殺でもない可能性があるから、調べてるんじゃないの?」
「念のためだよ、形式上の捜査で…」
如月が、ごまかそうとする。
「琴音、人から恨まれるような子じゃないわ。優しいし、女らしいし…すごく器用で、これも琴音が作ってくれたの。形見になっちゃったけど…」
彼女は、少し寂しそうに俯いて、鞄に付けられたビーズで出来た熊のチャームを触った。
如月は、チラリと初美を見た。
初美も、同じ事を思っていた。
「それ…ちょっと借りれるかい?」
「は?」
彼女が不思議そうな顔をする。
「これ…琴音が死んだ事に関係あるの?」
「いや、彼女がどんな子だったのか、もっと調べたいんだ。少しだけ、貸してくれるかな?」
如月は、出来るだけの笑顔で言った。
「店長、お客様です」
そう言われて、裏で仕事をしていた喜一が、店の中に顔を覗かせた。
如月が、にこやかに立っている。
「やあ、喜一くん」
「どうも…今朝も会いましたね」
「急用が出来ちゃって。相手方が、すぐ返してくれって言うもんだから」
如月はそう言って、ビーズのチャームを振って見せた。
「…あの子のですか?」
「正解。あの子が手作りして、友達にプレゼントした物だ」
喜一はフッと息をつくと
「あと少しで休憩に入りますから…向かいのカフェで待ってて下さい」
「ありがとう、助かる」
如月はそう言って、足早に店を出て行った。
喜一は少し不安だった。
引き受けるとは言ったものの、立て続けだと多少疲れるのは否めない。
それに、こうして店に来られるのも、頻繁になったら都合が悪い。
そして、今まで同じ人物に何度も関わって、何かヒントを導き出すために力を使うのは初めてだ。
自分が見えたものを口に出す事によって、物事を左右する事になる。
プレッシャーが無いと言えば嘘になる。
それでも喜一は、約束した手前、休憩に入るとカフェに向かった。
店の中では、初美も一緒だった。
「今は友人の物だが、解るだろうか?」
すでにテーブルに置かれたチャームを見つめて、如月が言った。
「多分。その持ち主も亡くなっているとしたら、ダメかもしれませんが」
喜一はとりあえずコーヒーを注文すると、チャームを手に取った。
目を閉じて動かない喜一を見てると、初美はまるで自分もそうしてるかのように、つられて息を殺していた。
喜一の瞳が開くと、初美も大きく息を吐く。
「何か、見えたかい?」
「…あの…父親が…なんていうか、目の前に近づいて…やがて、その影のせいで視界は無くなりました。つまり…」
喜一が表現に困っていると、
「押し倒されたとか、抱き締めた?」
と、如月があっさり言った。
「…ええ、そうです」
「虐待が…あったか」
如月の言葉に、初美が眉を潜める。
「他には?」
「前と同じです。僕はまた十五階から転落しました」
ちょうどコーヒーを運んで来たウエイトレスが、その言葉にギョッとして思わずカップがガチャンと音を立てた。
「あ、えと…コーヒーありがとう」
如月が、満面の笑みを向けると、ウエイトレスはそそくさとテーブルを離れて行った。
喜一は冷静にコーヒーを一口飲んで、
「きっと、これを作ってる時期に、彼女の意識の中で一番強く印象に残る出来事だったんだと思います」
「そうか…」
如月は、まじまじと喜一を見つめて、
「…それにしても…喜一くんは落ち着いてるね」
「え?」
「いや、だって…死んだ人間の記憶が見えるなんて…俺ならパニックだ」
「…最初から、こうな訳じゃありませんよ」
喜一は淡々と続けた。
「最初の頃は、訳が解らなかったし…どういう事なのか理解するまで時間はかかりました。事故の映像が見えたりすると、一晩寝込んだ事もあります。今の職場では、ほとんど問題無いですが、買取り業務のある店で働いた時は、結構しんどい事もあって…そのうち慣れたというか…何となくコントロール出来るようになりましたけど、未だにリサイクルショップや中古本を扱う店に行く事があれば、慎重になりますよ。見ようと思わなくても、勝手に映像が飛び込んで来る事もあるので」
「大変なんですね…」
「ええ、割りと」
初美の言葉にそう答えると、喜一は如月に向き直った。
「だから如月さん、彼女の真実を見つけて下さいね。僕は、大変なんですから」
「ああ、解ってる。君の力は無駄にしないよ」
その言葉に喜一は、如月の前で、初めて少しだけ微笑んだ。
光平は、客の髪をセットしながら、ふと視線を感じて鏡越しに店内を見渡した。
ウインドウの向こうから店の中を覗き込んでいる人影がある。
陽二だ。
家に帰れば、嫌でも顔を合わせるのに、わざわざ職場に押し掛けて来るなんて。
光平は、特に作業を急ぐ訳でもなく、いつものペースでこなすと、客を見送るついでに表へ出た。
「なあに?陽二くん」
「お。見つかってた?」
「そりゃ、解るでしょ。目立つし」
「一緒に帰ろうかと思って、迎えに来たんだ。たまたま同じくらいの時間かな〜と思って」
「嘘だぁ。今までそんな事、一度も無いし」
「だから、今日が最初の日って事で」
陽二がわざとらしいくらいの笑顔を見せる。
「まあ、いいけど。じゃあ、待ってて」
光平は一旦店に戻ると、数分後に出て来た。
「後は、スタッフさんに任せて来た。俺よりベテランな人ばっかりだし」
「そっか。何か食って行くか?」
「どっちでもいいけど…何?家じゃ話しにくい事でもあるの?」
「ん?んー…お前があるんじゃないかと思って」
「え?俺?」
不思議そうな顔をした光平の肩に、陽二が手を掛ける。
「え?何か憑いてる?」
「そうじゃねえよ。コミュニケーションだ」
陽二は、ポンポンと肩を叩いて歩き出すと、
「兄貴がさ、協力的な感じだろ?如月さんに。それで…どうかな、って思って」
「どう、って…兄貴がそう判断してやってる事だからいいんじゃない?」
「そうなんだけど…」
陽二はポリポリと頭を掻いて、
「だってさ、お前にしてみれば、心の準備も無いままに、突然現れた親父さんと関わらなきゃなんない訳だし。俺だって少し複雑なのに、当のお前は、もっと色々思うんじゃないかなぁ、って」
耳を傾けていた光平は、小さく頷いて、
「確かに複雑だよ。俺、ずっと前から、もしかしたらいつか父親に会う時が来るのかなぁ、って思ってた。その時は、血の繋がりがある分、本能的に懐かしさを感じたりするのかなぁ、って。でも…実際は全然そんな事思わなかった。まあ、嫌なイメージも無いけど」
光平はそう言うと、ニッと笑って陽二を見た。
「心配してくれてるんだね。優しいっ、陽二くんてば」
「バ、バカ言ってんじゃねえよ。お前が親父さんを拒絶したら、もう初美ちゃんとお近づきになれるチャンスが無くなるかも、て。その心配だよ」
「そういうとこ、モテる秘訣なんだよね。めちゃくちゃ遊んでて、信用無さそうなのに」
「最後のは余計だろ。全く…可愛くない奴」
陽二はそう言って微笑むと、視線を人波に移した。
ふと、どこかで見たような人影を目にして、足を止める。
「どうしたの?」
「…あれ」
「何?」
光平も、陽二の視線を辿ってみる。
「ねぇ、陽二くん、どうしたの?」
「ちょ、ちょっと、悪いっ、先帰ってて」
「え?」
陽二は、すでに駆け出していた。
「待ってよ!」
光平も慌てて追いかける。
もし間違いじゃなければ、何だかややこしい事になってるかもしれない。
陽二は、妙な胸騒ぎを覚えていた。
バタバタと騒がしい音がして、ソファで本を読んでいた喜一は顔を上げた。
「兄貴っ!」
陽二と光平が、駆け込んで来る。
「…何の騒ぎ?しかも、二人一緒」
「如月さんに連絡取ってくれよ!」
「陽二くんが見たんだ!」
「見た、って…陽二は色々と見えるんだろ?」
陽二が喜一に詰め寄る。
「父親は、死んでるかもしれない」
「は?」
「あの女子高生の義理の父親だよ。さっき、どっかで見た事ある人がいて…あの、写真で見た母親だった。そこに、憑いてた」
「二人で少し追い掛けたんだけど、途中で陽二くんの知り合いの女の人と何人も遭遇して、振り切ってるうちに見失っちゃった」
「俺のせいかよ」
喜一は二人の話を聞いていたが、
「明日でもいい?」
「は?まだ全然起きてる時間だろ」
「今日は少し疲れた。今すぐ何とかするとなれば、僕も一緒に行かなきゃならないかもしれない」
「そりゃそうだ。兄貴の力が一番必要だからな」
「今日、昼間も一度会ってるんだ。あまり続くと疲れる」
そう言った喜一を、心配そうに見つめていた光平が、
「明日の方が、初美ちゃんも一緒に来てくれるんじゃない?陽二くん」
「お前なぁ」
陽二は溜め息をついた。
が、少し考えて、
「よし、じゃあ明日にしよう。言っておくけど、初美ちゃんは関係ねえぞ?兄貴の体調のためだからな」
そう言うと、リビングを出て行った。
「ありがとう、光平」
喜一が少し微笑む。
「何が?俺は単に、陽二くんに有利な事を言っただけだよ」
光平も微笑みを返して、
「でも、本当にあの子の父親が死んでるなら…謎は深まっちゃうね」
「…そうだな」
「もしかして…」
光平が、喜一の隣に座る。
「母親が怪しいって事になるかも?」
「母親が?」
「例えば保険金とか…だって、娘が自殺だって認めようとしないんでしょ?事故の方が保険金が…」
「あまり先入観は持たない方がいい」
喜一はそう言いながら、光平の言う事が真相でなければいい、と思った。
自分にとっての母親は、本当に大好きで大切な存在だ。
その同じ立場の人間が、自分の利益のために、なんて事は、あってほしくなかった。
翌日。
仕事で不在の光平以外の二人は、如月が来るのを家で待っていた。
「ところで陽二…お前も一緒に行くつもり?」
結局、如月に付き合って、死亡した女子高生の自宅マンションへ行く話になっていたのだが、喜一が心配そうに尋ねる。
「僕を連れていくのは解るけど…それでも完全に部外者なのに」
「心配すんなって。俺にも考えはある」
「お前のその根拠の無い自信、それが一番不安だよ、僕は。それに…勝手にあれこれ触れないだろうし、触ったとしても、僕は何度も十五階から落ちなきゃならないんだからな」
「仕方ないだろ。俺も光平も、兄貴の代わりは出来ないんだし」
その時、家の前に車が停まる気配がした。
窓を覗いた陽二が、
「あ、初美ちゃんも乗ってる。ラッキー」
そう言って、喜一の肩をポンと叩いた。
「え?何か憑いてた?」
「違うよっ。兄貴までそんな事…やりにくいな」
陽二は笑いながら、先に玄関へ向かった。
「いや、参ったよ」
二人が乗り込むなり、如月が言った。
「父親は行方不明になってる」
「やっぱり」
陽二が納得したように頷く。
「本当に見えるんですね」
初美が、まだ半信半疑で呟く。
「そうなんだよ。でも大丈夫。初美ちゃんには何も憑いてないし、もし憑いてても、俺が祓ってあげるから」
陽二が後部座席から身を乗り出すと、初美は少し困ったように苦笑した。
マンションは、さほど新しい訳ではなく、コンクリートの色が、どこか薄暗い雰囲気を漂わせていて、全体が冷たく見えた。
喜一は十五階を見上げた。
光景が浮かぶだけとはいえ、ここから落下する状況を、自分は知っている。
そして、実際に今まで見た人の最期の記憶の場所を訪れるなんて、初めての経験だ。
喜一は少し寒気がした。
呼び鈴を鳴らすと、その音は外まで聞こえて来た。
壁が薄いのだろう。
だったら、大声や騒音が近所に聞こえていたとしても、不思議ではない。
少しの間があり、鍵を外す音が聞こえると、遠慮がちにドアが開いた。
出て来た女は、ひどく疲れている様子だった。
「連絡した如月です」
如月が警察手帳を見せると、初美もそれに習った。
「で、こちらが…」
如月が陽二に視線を向ける。
「初めまして。琴音さんの友人で日向と申します」
本名?と、喜一が驚いて陽二を見る。
「こっちは、親友の木暮です」
なぜに、木暮?
ああ、日の反対が暮れる、だからか。
そういう安直な発想は、陽二の脳みそだな。
喜一は数秒の間に、そんな事を思っていた。
とりあえず陽二の考えに付き合おうと、喜一は頭を下げた。
「実は…琴音さんが持っていたネックレスを、よろしければ形見分けに戴けないかと思って」
陽二の言葉に、母親は少し戸惑いの表情を見せた。
「ネックレス、ですか?」
「はい。俺、ここに来るのは初めてなので、警察の方にお願いしたんです。お母さんも一緒に見て貰うと嬉しいなと思って…これに似たデザインなんですが」
陽二は自分の首に掛かったネックレスを指に絡めた。
全くのデタラメだったが、陽二は恐ろしく自然で堂々としていた。
こいつは外でも似たような事をしてるんじゃないかと、喜一は不安になったほどだ。
「…どうぞ。散らかってますけど」
母親の声で、乗り気じゃないのは充分伝わった。
室内は、スッキリ片付いている訳ではないが、さほど雑然ともしていない。
もはや住人が母親たった一人であると、知らされるような寂しい空気は感じられた。
「娘の部屋は、こちらです」
「すみません、お母さんもお願いします」
陽二はそう言うと、喜一に軽く目配せして、部屋に入った。
すぐさま如月が辺りを見回し、一旦居間を出ると、何かを手に戻って来た。
喜一の前に差し出されたのは、髭剃り用のカミソリだった。
こんな物が残されているという事は、父親が行方不明になった事と、母親は無関係なのかもしれない。
もし、光平が言ったように保険金目的で父親も殺害されているとしたら、もう戻って来ないと解る人間の物を、捨てずにおくだろうか。
玄関で待機している初美は、じっと室内の光景を見つめている。
喜一は小さく息をつくと、精神を集中させ始めた。
奥の部屋では、何やら話している陽二の声と、相槌程度に発せられる母親の声がする。
喜一は目を開けると、少し納得のいかない顔をした。
「…喜一くん?」
如月が声を掛けた時、二人が戻って来る気配がして、素早く如月は喜一の手からカミソリを取り戻し、ポケットにしまった。
「ネックレスは無かった。代わりにこれを」
出て来た陽二は、手にしていた指環を喜一の手に乗せた。
「ご主人から、何の連絡もありませんか?」
如月が尋ねる。
「ええ…きっと、女でも出来たんじゃないですか?…勝手な人ですよ…」
母親は、不機嫌そうに答えた。
連絡なんて来るはずない。
恐らく死んでいるのだから。
陽二がそう思った時、
「…そうか」
と、喜一が小さく呟いた。
一瞬にして、全員が喜一を見る。
「琴音さんは…自殺ですね」
時が止まったかのように、室内が静まりかえる。
「…どういう事だい?喜一くん」
「如月さん…あの、ビーズのチャームを見せて貰った時…僕は、何となく違和感を覚えたんです。聞かされている状況と符号しないというか…何か納得のいかないような妙な気分で」
喜一は、掌の上の指環を見つめながら、
「ご主人も…自殺しています」
「…な、なに、言ってるの?」
母親の体が、カタカタと震え始める。
「だって、これは…一種の心中ですから」
喜一がそう言った途端、母親の目から大粒の涙が溢れた。
「二人は…真剣に愛し合っていたんですよね。お母さんも、それに気づいていた…」
喜一は母親に向き直って、
「母親であっても、嫉妬を抑える事が出来なくて…それを琴音さんに向けてしまったんですね。彼女を酷く罵る事や、時には…」
喜一は近くにあった灰皿を手に取った。
「暴力は…父親じゃなかったのか…」
陽二がやりきれない顔をする。
「…今の話は、事実ですか?」
如月が尋ねると、母親は涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げた。
「…親子、なんですよ?…血の繋がりは無くても…そんな事、受け入れられますか?あの子はまだ学生で、何にも解らないのに!」
母親は、そのまま崩れ落ちながら、
「許されないわ、そんな事…愛してる、なんて…意味も解らずに言うんですよ!」
そう言うと、母親は号泣し始めた。
「如月さん、僕達は先に失礼します。後はお任せしますので」
喜一は、そっと指環をテーブルに置いて、
「それから…父親の方ですが、ここに来る途中にあった大きな橋から飛び降りてます。見つけて下さい」
そう言うと、玄関へ向かった。
「じゃ、お先に」
陽二が後に続く。
「あの…」
玄関にいた初美が、喜一に声を掛ける。
「お疲れ様でした…後で、ご連絡します」
その言葉に、喜一は礼だけをして外へ出た。
「初美ちゃん、またね」
陽二は急いでそう言うと、喜一を追い掛けて行った。
如月は小さく溜め息をつくと、母親の前に歩み寄った。
「…琴音さんの自殺に関して、直接の原因はあなたの暴力ではない。だからあなたは裁かれる事はないでしょう。でも…もし、あなたの中で何かしらの罪の意識があるとしたら…きっとあなたの人生は、まだ良い方向に変わって行けるはずです。ご主人が見つかったら、またご連絡します」
母親は、ただ黙って泣き続けていた。
「藤野、署に戻るぞ」
如月に促され、初美は母親の姿を振り返りながら、部屋を後にした。
「今日は出掛けないんだな。暇そうにしてるお前なんて、珍しい」
あれから家に戻って、数時間が経過していた。
「今日はいるよ。後から初美ちゃん来るかもしれないし」
「…如月さんは来るだろうけど」
喜一は読んでいた本を閉じた。
「なあ、兄貴が言ってた違和感って、何だったの?」
陽二が冷蔵庫からビールを取り出しながら尋ねる。
「ああ、それか…最初に父親の映像が見えた時…なんていうか強引な感じがしなかったんだ。彼女の目線はいつも冷静だし。逆らえないという覚悟を決めてたせいなのか、とも思ったけど…」
「違った?」
「うん。彼女が見ていた父親の姿は、全く恐怖を感じさせなかったんだ。父親も同じ。お互いの中に残っていたのは、笑ってる顔ばかりで…」
「純愛だった、って訳ね」
「お前には理解出来ないかもしれないけど」
喜一がクスッと笑う。
「失礼だな。純愛の定義なんて人それぞれだろ?俺は俺なりにしますよ?純愛」
「無理っぽい」
喜一は、やっと心底リラックスしたような顔になった。
「…で、兄貴はどうなの?しばらく、その手の話聞かないけど」
「僕はいいんだ。そんな気になれない」
「どうして?」
喜一は、陽二の質問にしばらく考えて、
「…昔は、普通にいたんだよ、好きな子が。でも…その子に殴られた」
「え?…そりゃ、バイオレンスだな」
「その子が付き合っていた奴が、自動車事故で死んだんだ。すごく悲しんでいた彼女を、なんとか助けるヒントは無いかと思って…彼の持ち物に触った」
「…そしたら?」
「…彼は…その子が思ってるような男じゃなくて、他に女もいたし、犯罪すれすれの事もやってた」
「…まさか…それ、言っちゃった?」
陽二の言葉に、喜一は苦笑いして頷いた。
「真実を伝える事が、早く彼女を立ち直らせる方法だと思ったんだよ。でも…タイミング悪かったから…きっと彼女の中で、僕は最低な人間だろうな。それから…あまり人と深く関わるのが苦手になった」
「へぇ〜。そんな事があったんだ」
「でも…これから先は解らないよ。母さんが言ってた、この能力にも意味があるって解ったら…もう少し自信が持てるかもしれない」
「うん、そうなるよ、きっと。それにしても…なんかここ数日、色々ありすぎて、なんか一ヶ月くらい経った気分だ」
陽二はビールを飲み干すと、
「…大丈夫かな、光平」
「え?何か言ってた?」
「いや、特に弱音は吐いてないけど…如月さんとはこれからも接触するだろうし。俺達みたいに多少でも親父の記憶があれば別だろうけど…あいつは全くの初めましてだからさ」
喜一は含み笑いを浮かべて、陽二を見た。
「いい兄貴だな。遊び人で信用無くても、そういうところを見て、人が許すんだろうな」
「あ、光平と同じような事言ってやがる。しかも褒めてるのか微妙だし」
「そりゃあ、兄弟だからな」
二人はクスクスと笑った。
「だから、如月さんがいてもいなくても、僕達兄弟の繋がりは、何も変わらない。今まで通りにいればいいよ」
「だな。また、あいつに憑いた変な物も祓ってやらなきゃなんないし」
少し前に帰宅した光平が、ドアの外で二人の会話を聞いていた。
光平は少しだけ笑顔を浮かべると、勢いよくドアを開けた。
「ただいまっ」
「おかえり」
いつもの挨拶が、いつも以上に幸せな瞬間だった。
早朝。
ドタドタと階段を駆け降りて、光平がリビングに転がり込んで来た。
「何だよ、うるせえな、朝っぱらから」
ソファにいた陽二が振り返る。
「おはよう、光平。コーヒー飲む?」
キッチンから喜一が顔を出す。
すると、光平が息を切らしながら叫んだ。
「ゆ、夢見たっ!お、男の人がっ、辛そうな顔でっ…!」
「あー…」
陽二が頷く。
「うん、いるよ。後ろに」
「ええーっ!?」
「…光平も、そろそろ慣れた方がいいんじゃない?」
喜一が冷静に、人数分のコーヒーを運んで来る。
「…て、事は…前回パターンで、また初美ちゃんに会えるかも!」
陽二が嬉しそうに立ち上がる。
「不謹慎だな、陽二」
「そうだよ!いつも事件とは限らないじゃん!陽二くん、祓って!」
その時、喜一の携帯が鳴った。
表示を見た喜一が、二人を振り返る。
「如月さんからだ。本当に事件かも」
「残念。お祓いはお預けだっ」
陽二が悪戯っ子のような顔で言った。
《第一話 完》




