表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
86/113

小種70:月の歯車3(レニ視点)

 振り仰いでも、薄灰色の天井しか見えない。牢と呼ぶには余りに綺麗に整えられている。待遇の良し悪しは、放り込まれるのが初めてだから分からないものの、粗悪というわけではないだろう。


 ただ、地下にあるのだろう場所柄、仕方ないとはいえ、窓がないのは心細い。


 月が、見えない…… ――


 祈る先がないというのは、とても不安なのだと、初めて痛感した。

 深い溜息が零れる。

 計画が頓挫すれば私は消えると思っていた。だから、もう振り返る必要はないと思っていた。


 それなのに、私はこうして生を繋いでいる。


 目の前で、塵と消え種に還った信者たちに申し訳が立たない。

 まあ、裁かれるなら命あると思わないほうが良いだろうから、同じことだけれど……同じように絶たれるならマリル教会が良かった。


 あの場所に、私の全てが在る。

 あの場所に居なければ私に意味はない。



 *** 



「これを着て、私は何をすれば良いですか?」


 明日のためにと用意した衣装を部屋に届ければ、そういって「私に何か出来れば良いのだけど」と不安そうに見上げられる。


 きっと彼女は本当に白月の使者なのだろう。

 どこか確信めいたものを感じていた。


 そうでなければ、この世界の人間が彼女のように慈しみ深くあることは難しい。現在マリル教会を預かっている私であっても、彼女を……。

 そう思うと彼女の瞳を真っ直ぐに見つめることが出来ず俯いた。


「レニさん?」

「え、ああ、いえ、貴方は白銀狼と共に私の傍に居てくだされば構いません」

「白銀狼? って狼ですか?」


 頭が痛むのかこめかみをぐっと押さえて訪ね返してくる。


「ええ、ですが、頭が良く大人しい種族です。危険はありませんよ」


 いいつつも袖から覗く彼女の腕の傷を見て、苦い気持ちが湧いてくる。


「頭痛がするのですか? 何か薬をお持ちしましょう」


 そっと彼女の手をとって告げ、殆ど習慣的になってしまったように彼女の傷口に「痛みませんか?」とそっと触れる。


「平気ですよ。少しだけ攣ったような感じはしますけど、日常生活に支障が出るようなことはないです……でも、私、どうして」


 私の触れている手に、手を重ねてそう告げると、不思議そうに告げる。記憶が曖昧になってしまっていて、彼女自身どうしてこんな傷を負ったのか明確に覚えていない。


「きっと私がドジをしたんですね」


 いって微笑む彼女に胸が痛む。この傷は私の責任であり、罪の証のようだ。しかもそれが自分自身ではなく他者を通して刻まれるというのが、実に私らしく卑怯だ。


「そんな泣きそうな顔しないでください。大丈夫、本当に痛くないんです」


 柔らかく瞳を細められ、本当に泣きそうな気分になった。泣くなんて、そんなことは許されない。


 それも分かっている。

 分かっているけれど……。


「貴方を必要として止まない私たちをどうか許してください」


 取った手を強く握り額に強く押し付けて哀願する。血の通った暖かい彼女の小さな手。思わず、縋るように力をこめてしまった。

 そのことで彼女が纏う戸惑いの空気に、慌てて手を解く。

 それがどこか可笑しかったのか、にこりと微笑んでから、真摯に口を開いた。


「許すも許さないも、私にもここしかないんです。その場所が必要としてくれるなら、私は最善を尽くします。レニさん一人で背負うのは辛そうですよ?」

「え」

「荷は分担したほうが良いということです」


 それが出来るのなら、絶対そのほうが良いんですよ。と子どものような笑みを浮かべた。彼女は、一体何をどこまで察しているのだろう。



 ***



 私の詠み間違いは、闇猫を甘く見ていたことだろう。


 甘い?

 いや、違う。


 彼の中での彼女の大きさを測りきれていなかったということだ。彼女を内に引き入れれば、火の粉は飛ばぬとも思った。

 しかし、彼が見ていたのは彼女だけだった。他を排斥することに迷いがなかった。


 予想以上に手に負えないタイプだ。


 自分しかいない部屋の中で口元を押さえて苦い笑いを溢した。闇猫が無闇な抹消をしなくなったという噂は本当かもしれないが、それは白月が身の内にいるときだけらしい。

 そういう意味で、彼女はやはり白月の姫。白い月の少女なのだろう。


 私の感もまんざらではない。


 そして、彼女は無事に種屋の手に戻った。

 私の目的は潰えたけれど、 きっと、彼女だけは元の生活に戻れるはずで、そのことに私は今、心から安堵している。


「呆気なかったですね」


 こつっと近づいてきた足音が、扉の前で聞こえた。格子窓などがあるわけではないから、扉の傍にいるのだろう者の姿は確認出来ない。

 しかし、確認出来なくても分かる。


「貴方は本当に、暇人ですね。公子様」

「ええ、暇ですね」


 皮肉を込めて告げても微塵も声は翳らない。彼の心が動くことはあるのだろうかと、時折心配になるくらいだ。


「私は暇なんですけど、司祭様はこれからどうしたいですか?」

「どう? というのはなんです」

「……言葉のままです」


 含みのある物いい。

 いつもそうだ。


 彼は含むところが多々あるのに、直接的に口にすることはない。恐ろしい人だと思う。

 はぁ、と嘆息して腰を降ろした先にある足先を見つめる。


「子どもたちの無事と、マリル教会の存続だけ確約していただければ、望みはありません。私である必要はない」

「……ええ、確かに……でも、ね? 知ってますか、マリル様は器を愛されるんですよ」


 公子様のいっている意味が分からない。


「この世界はマリル様にとても弱いということです」

「―― ……」

「もしも終わりを決めたいのなら、ご自身でどうぞ。という話です」


 そう締め括って、こつっと公子様の気配は去っていった。辺りには静寂がまた戻ってくる。


「終わり、か」


 再び天井を仰ぐ。何も、見えない……月が恋しい…… ――



 ―― ……翌朝、食事と共に薬包紙が添えてあった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ