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小種53:永遠の意味するところ

 図書館の中は常に一定の温度と湿度を保っていて、快適だ。

 学生のために設けてある区間は、静かにみんな勉強に集中できるように、パーティションで区切られていて、人目も気にならない。


 私の最近のお気に入りの一角は、午後の日差しが心地良く降り注いでくる。日焼け防止のためにここにはあまり本がない。だから、基本的に人も少ない。

超私向けだ。


 私は、机の上に一応レポートの資料にと持ち寄った、本と紙を広げてページを捲る。

 カナイと待ち合わせをしているのだけど、少し遅くなるとちっちゃなシマリスさんが教えてくれた。


「……難しい」


 というか、この部分。一体どこから引っ張ってきてるんだ? 頭良い人が書いた本なんて私にはさっぱり。同じ思考回路持ってないと理解出来ないんじゃないの? 開いた本の上に突っ伏して、ペンの後ろで端っこをぐりぐりと苛める。

 カナイが来ないと進みそうにないなぁ。


「ふわぁぁぁ……眠ぃ……」


 ぼんやりと、腕の間からカナイのシマリスさんが、ヒマワリの種とかカリカリしているのを見ていたら、私の瞼は重力に逆らえなくなった。




 お日様、暖かい。

 庭に出たら多分、ひんやりするくらいなのに、凄く気持ち良いな……まどろむ幸せ。


「―― ……ねぇ、君。ねぇ、マシロ、さん?」


 誰だ。私の至福のときを邪魔するのは。

 気遣わしげに肩を突かれ、私は唸った。それなのに、尚、掛けられる声は途切れることなくて……。


「うるさいなぁ」


 と機嫌悪く覚醒した。ごしごしと、目を擦りながら顔を上げる。どうせ、カナイかアルファあたりだろう。エミルならそのまま寝かせてくれると思うから。


「えっと、その、おはよう?」


 でも、私の視線の先には知らない生徒が立っていた。


「……誰?」

「え、ああ。俺は……」


 いいながら、抱えていた本を片腕に抱きなおして、制服のポケットを探り、私にわざわざ学生証を提示してくれる。几帳面な人だ。


「んー……マルク……さん? って、あ!」


 ぼんやり名前を読み上げて私は声を上げた。知っている人ではないけれど、知っている人ではない人に、私という奴は、寝顔を見られた上に、こんなぼっさり顔をしてしまった。

 慌てて立ち上がり、適当に髪を梳いてぺこりと頭を下げる。


「わ、私は」

「マシロさんでしょ?」

「あ、はい、そうです」


 そっか、そうだよね。ここの学生なら、私とアリシアしか居ないの知ってるし、名前くらい知ってても問題ないのか。私は赤くなる顔を押さえつつ用件を尋ねる。


「ごめんね。気持ち良さそうに寝てたのに、起こして……珍しいね、一人で居るなんて?」

「あ、ええと、すみません。誰かに用事だったんですか? それなら、もう直ぐカナイがくると思うから」

「俺が用あるのは、マシロさんが枕にしていた本なんだけど」


 いって、机上にある本を指差され、私は慌てて、開いた本のページを叩いた。


 汚れてないよね?

 よもや涎とか、ないよねっ!

 よし、よーし、大丈夫。

 綺麗綺麗。


 私の慌てっぷりが可笑しかったのか、マルクさんは、ふふっと口元を覆って笑った。


「それ、使えた?」

「え、えーと、枕には最適でした」

「……ぷ。マシロさんって面白い子だね? いつも傍に王子たちが居るから、もっと、つんとしているイメージが合ったよ」


 褒められてる? 貶されてる? 首を傾げてしまった私にマルクさんは「褒めてます」と付け足した。多分、貶されたのだろう。うん。


「そうそう、それで、俺が持ってるのが上巻で、君が持ってるのが下巻なんだ。持ち出しの履歴調べたら君になってたけど、こっち借りた形跡なかったから、もしかして、間違えたかなー……と、思って探してたんだけど」

「……あー……」


 だから、さっぱり意味が分からなかったのか。なるほど。


「良かったら交換してくれない? 俺もレポート上げないといけない組でね?」


 ……てことは、クラスメイトだっ?! 顔も名前もさっぱりなんて、私どれだけ失礼なんだっ。


「ごご、ごめんなさい。私、」

「いい、いい、お姫様はしっかり守られてるから、知らなくて当然」


 そういいながら、マルクさんは机上で手にしていた本のベルトを解く。それについていたチャームが揺れた。


 ―― ……夢見草だ。


「はい、これ……って、どうしたの? ああ、これ?」

「あ、ごめんなさい。綺麗だなと思って」


 反射的に有体の言葉をかけた。


「これ、前に君たち主催で『お花見』とやらをやったときに、持ち帰った奴だよ」

「え、もう年単位で昔なのに、ちっとも朽ちてないですね」


 そっと、私の手に握らせてくれたそれは二センチ角くらいの透明な箱に、収まった小枝だ。一輪は完全に花開いていてもう一つは蕾のまま、瑞々しい姿を保っている。


「あれ? 作ったことない? 結構昔流行ったんだよ、こういうの。中の時間が止まってるんだ」


 あげるよ、と続けられて、私は返すタイミングを得ることなくマルクさんは本を交換して、その場を立ち去ってしまった。

 私は手の中に残った夢見草を睨みつけて眉を寄せる。

 永遠に花開くことを失った蕾…… ――



 ***



「―― ……珍しいものを持っていますね?」

「ん? うん、貰ったんだよ」

「カナイですか?」


 ころんと机の上に転がしていたチャームに、私がお茶を淹れている間にブラックが目を留めた。私は、用意したお茶をテーブルに準備しながら「なんでカナイ?」と首を傾げる。


「違うんですか? このくらいなら大した力は要らないですけど、魔術的なものが掛かっているので……そうかなと、思ったんです」

「―― ……ああ、時間が止まってるらしいね……」


 こぽこぽと暖かな湯気を上げティーカップに紅茶を注ぐ。どうぞ、と告げるとブラックはテーブルに戻ってきた。


「夢見草好きでしょう?」


 私の言葉尻に、否定的なものを感じ取ったのだろう。ブラックは不思議そうに問い掛けてくる。


「え、ああ、うん。好き。でも、あれはちょっと違う、かなと、思って」


 かたんっとブラックの隣に椅子を運んで、私はそれに腰掛ける。両手でティーカップを包み暖を取りながら、こつんっとブラックの肩にもたれかかる。


「時間とめて保つ美しさって違うと思う……桜はさ、あの潔さが良いんだよね。ぱっと咲いて、ぱっと散っちゃう……ああいうのは、ちょっと傲慢だと思う」

「では、時間を戻しましょうか? 簡単ですよ、箱の蓋を開ければ良い。そうすれば、あっという間に時間は戻ってきます」

「……それってつまり」

「枯れますね。形を保ってはいられないでしょう」


 静かにティーカップを傾けてそう告げたブラックに、私はどうとも答えずちらりとチャームに視線を送る。そして、やや沈黙したあと、私もティーカップに口をつけた。


「この紅茶ね、今日エミルに分けてもらったの。アールグレイなんだけど、少しオレンジペコも加えてブレンドしてみたんだけど……」


 かちゃりと、ソーサーに戻してから、美味しい? と隣を見上げれば、ブラックは緩く笑みを作って「どうでしょうね?」と口にして、そっと私の顎に手を掛ける。

 軽く持ち上げられて目が合えば「味見してみないと」と続けられる。


 いつもなら、いくらでもどうぞ! と、ティーカップに新しく注いで上げるところだけれど、今日はちょっぴり感傷的な気分なので、私は瞼を落とした。

 ふっとブラックが笑ったのが分かる。そして、距離が縮まり息が掛かると私は僅かに唇を開いた。


 静かに重なる唇を甘く食まれ、誘い込まれるまま割り入ってきた舌を絡めとり軽く吸った。

 頭の奥が、じんっと熱を持ち、全身の体温も上昇する。

 それがとても心地良くて、もっと、深く……と自然に求めてしまう。


「―― ……んぅ」


 少しだけ残っていた互いの紅茶の香りが、なんだかくすぐったい。

 本当はもっと欲しいと望んでしまうところだけれど、今夜は我慢。最後にとばかりに自分で支えられないくらい身を寄せて、深くブラックに絡みついてから離れた。


「美味しかった?」

「もっと食べたくなりました」

「紅茶の話です」

「私はマシロの話をしています」


 にこにこにこにこ……。


 物凄く良い笑顔を向けられても困る。

 まだ週末までには数日あるし、そう度々家に帰るわけにも行かない。


 それに、私はまだレポートが仕上がっていない。あれからカナイにも少し手伝ってもらったけど、もうあとひといき残っている。


「続きはまたしゅう……って、何いわせるの! と、兎に角、ええと、」

「レポート、でしたっけ? 仕上げてしまいましょうか?」


 くすくすと私の反応を楽しむようにそう続けたブラックは、机の上に出しっぱなしにしていた、資料と書きかけのレポートを引き寄せてテーブルに広げた。

 ブラックがいれば、基本的に資料が必要ないから――感情論以外聞いたことに応えられなかったことはない――予定よりきっと早く終わるだろう。


 私は、そうだね。と頷きつつ、インク瓶の蓋を開けた。


「―― ……マシロは変わらないことは嫌いですか?」

「まさか、変わらないものはあると思うけど、でも、変わらないことと止まってしまうこととは違うでしょ」


「マシロって、時々とても難しいことをいいますよね」

「そうかな?」


「そうですよ。私にはその違いが良く分かりません……」

「―― ……そう、かなぁ? ブラックは分かってると思うよ?」


 にこりとそう伝えると、ブラックの耳が左右にへにょんっと垂れて、心底不思議そうに眉を寄せる。椅子の隙間から出た尻尾もこちらを窺うように、ゆらりゆらりと揺れていて……可愛すぎる。

 益々笑いを含んでしまった私に、ブラックは益々困惑したようだ。


 きっとこの差が、ただの人である私と、何でも一人でこなせるブラックとの差だろう。

 無理に埋めることもないし、全く同じである必要もないけれど、止めてしまうには惜しいと思う。

 私たちはもっと互いに歩み寄れる。

 その可能性までも止めてしまうことはやっぱり出来ない。 


 窓から少しだけ差し込んでくる月明かりが、机上にぽつりと残された夢見草に淡い光を注いでいる。


 永遠の美しさを湛える夢見草はやはりどこか物悲しい。



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