第六話:王子の憂い―後編―
「お兄様、以前私がお兄様の星の話をしたのを覚えていますか? 私は伝えるのが役目でその為に生を受けた。私は王室に生まれたけれど王になる為に生まれたわけじゃないんです。だから私はお兄様に伝えます……」
ことん……メネルの言葉に僕は心の何かが埋まったような気がした。
王室に生まれたけれど王になる為に生まれたわけじゃない。
王になることだけが王室の子の役割ではない……。
まだ幼い妹のほうが余ほど自分を知っている。
僕は一人でうじうじとずっとずっと悩んでそんな簡単な答えすら導き出すことが叶わなかった。
「お兄様?」
つい考え事に耽ってしまった僕に心配そうな声が掛かり、僕は短く詫びて続きを促した。メネルはにっこりといつも笑みを取り戻して頷いた。
「お兄様は従えるものです」
「僕が、何を、従えるって?」
王になることだけが役割じゃないと得心したとき、僕は何をする為にここにいるのかと自問しているところへのメネルの言葉に僕は戸惑いを隠しきれなかった。メネルはそんな僕の心を見透かすような透明な微笑で僕を見て続きを口にしようとしたら、耳慣れない声に遮られた。
「王城を抜け出して夜の散歩とは大胆ですね」
王子、王女……と、続けられ咄嗟にメネルを後ろに隠すと慌てて声の主を探す。
「そう慌てなくても私は王宮関係者ではありませんからね。どうぞお気になさらないで下さい」
いつからそこに居たのか目の前で静かに微笑んで佇んでいた獣族の男にメネルが身体を固くする。そして小声で「闇猫……」と囁いたのが聞こえた。
闇猫。
今の種屋の主人がそう呼ばれていることは僕も知っている。しかし、僕が想像していた闇猫とは随分印象の違う感じだ。
「今夜みたいな夜は外にも出たくなるでしょう? 特に王女のような方は……この星が降るような夜空は星々のザワメキが耳汚しになる」
闇猫の軽口にメネルは僕の後ろから出てきて抗議する。
「そ、そんなことありません! 星々は私たちに囁きかけてくれるんです。過去のことであったり未来のことであったり……わ、私は、アセアとそれを描き出すのが好きだった」
必死に訴えるメネルの言葉も闇猫には届かないようだ。
飄々として捕らえどころのない態度に感情の篭っていない言葉が紡ぎだされる。
「そう、それは良いご趣味ですね。しかしそれが今後も出来るかどうか。私は数日前どちらに与えるべきか問われました。私は迷わずアセアと答えた。そんな私を王女は、恨まれるのではないですか?」
抑揚のない声で紡がれる言葉にメネルはきゅっと唇を引き結んだ。小さな手が僕の手を痛いくらい強く掴んでいる。しかし、その力が、ふっと緩むとメネルは首を振った。
「恨みません。貴方はお兄様に係わる方。私はお兄様の礎となる。それが星のさざめき……」
驚きに口が挟めなかった。どうして良いのかまるで分からなかった。
「貴方はそこまで星が詠めるのでしたらやはり大聖堂で学んだほうが良いのではないですか? 妨げになる妹君ももう共に過ごすことは叶わない」
「い、いい加減にしろっ!」
分からないまま僕は叫んでいた。
闇猫は楽しげに微笑んでメネルから僕に視線を移した。
「二人が妨げあっていたなんて事実はない。二人は」
「馴れ合っていた。王家に生まれながらその素養は他のものだった。姉メネルの星を詠む素養は国で指折りになるでしょう。私が保証します。しかし、妹アセアの素養は類稀とまではいかない。王家の血を引きながら唯凡人でしかない。王の素養も持たない、非凡な素養もない……戯れあっていたに過ぎない」
「そんなこと……ない……」
僕には素養は見えない。
見る目を持っては居ない。
「ああ、貴方も唯一の素養を除いては驚くほどの素養はないようですね? ふふ、劣等感でもお持ちなのですか?」
飄々とした態度のままゆるゆると言葉を紡ぐ闇猫に僕は息を呑む。
「闇猫……戯れは貴方のほうです。貴方だって詠むことの出来る方……お兄様を傷付けないで下さい。貴方はもう既に関係者です。種屋を受け継いだその時から」
いつもどこか怯えているようなメネルからは想像できないくらい落ち着いた声だった。そんなメネルの言葉に闇猫は面白くないなと呟いて盛大な溜息を零す。
「貴方一人今ここで消したところで世界は痛くもかゆくもないでしょうけれど、貴方がそのまま星詠みを学ぶならば、見逃しましょう。行く行く詠む為だけに王城まで呼び出されることもなくなりそうで私が楽出来そうですから」
人が来そうですね、と、締めくくると闇猫はすたすたと何の戸惑いもなく歩み寄って来て僕の顔を無遠慮に覗き込む。
「私は星詠みはしない主義なんです。先が分るなんてつまらないでしょう? まぁ、運命なんて流動的なもの、変わらないわけではありませんが……それでも、逃れられないものはあるんですよ」
私が今種屋であるように……ね。と、締めくくって闇猫はぴんっと僕の鼻先を弾いた。屈辱的な気分に堕ちたが闇猫は直ぐに城のほうから来たのだろう衛兵に呼ばれて面倒臭そうに返事をした。
「兎に角、姉君は城を出るべきです。そうでないと私が妹君を選んだ意味がない」
闇猫の暴言を謝罪させようとしたらメネルが僕の腕を引き、顔を上げないまま「早く行ってください」と零した。
闇猫は大きく浮かぶ月明かりを浴びて酷薄な笑みを浮かべるとそれ以上は何もいわずに立ち去った。
あれからメネルはアセアが王城にて、別な教育を受けることになると、闇猫の言葉通り王城を出た。
残された僕はメネルの言葉を繰り返し思い出し、それでも何か踏み切ることが出来ず、燻っていた。
僕がある種のケリをつけたのは……兄、セルシスの訃報を受けたときだった。
素養に踊らされるこの世界はオカシイ。
種を巡り、種屋を中心に抱き争うのもオカシイ……何かが間違っている。
「……ブラックは、あのとき……」
「あのときとはどのときですか? 貴方がうじうじと王宮の隅っこでいじけていた頃の話でしょうか?」
魔法石の加工を忙しく行っているときにふらりと現れた闇猫の言葉に気分を害するのは間違っていると思う。
思うけれど……嫌な奴だ。
「星は詠まないといったでしょう? 私は先のことは興味ありません」
「うん。そうだよね。そうじゃないとこんな事態に発展しないよね。一時でも我慢出来ないのなら帰さなければ良かったんだ。馬鹿だよね。ほんっとーに無駄なことをさせるのが好きだよね」
「……可愛くなく育ちましたよね……王子は」
「お陰様で」
メネルとアセアの言葉通り、僕は共星を得る。
凶星はきっとセルシスのことだと思う。
彼が居なくなったことで国は大きな損害を受けた。
王や直属の臣下たちの落胆振りも凄く、誰かが死ぬなんてよくあることなのに王宮全体が喪に服した。
まるで王が崩御したときのようだと思った。
ただ、僕が気になるのはもう一つ……強い星の存在。
最初は闇猫のことかと思っていた。でも、今の彼を見ていると災いの元凶とは思えない。少なくとも僕に兆しを与える、道を照らし出してくれる星が残念ながら愛した相手だ。
……だと、したら……残り一つの星は……一体誰を指すのだろう?
「本日も変わりなくお忙しそうですね」
最近種屋は暇なんですか? と、付け足しながら僕の傍に寄ったのはラウ博士だ。ラウ博士は一通の手紙を僕の前に置いた。
「また、アセア様が倒れられたそうですよ」
ぼそりと零された言葉に僕は頷くと手紙の封を開きながら「今日明日にでも様子を見に行きます」と答えた。その返答に、ラウ博士は頷くとそのときにはお供しましょう、と、いい残してその場を去った。
ラウ博士の姿が見えなくなるまで見送ると手紙を開く。
城内を描いた絵が一枚と見慣れた筆跡の手紙が一枚。アセアからだ。一緒に居た頃は気にしたことはなかったし気にするようなこともなかったのだけれどアセアは身体が弱かった。
人一倍元気で走り回っていた頃の記憶しかないから最初は信じられなかったけれど、メネルが懸念していたことはこれだろうと納得すると、多くが理解できた気がした。
内容を確認してから手紙を元に戻し溜息を零すとブラックが口を開く。
「エミル。私は星は詠みません。詠みませんけどね、そんなもの詠まなくても分かることも多くあるんですよ」
「例えば?」
「うーん、そうですね。まあ、信用に足るかどうか見極めよ。と忠告します、ね」
「……それは君のこと?」
「……本当、可愛くなく育ちましたよね」
ま、私のことは信用していただく必要ありませんけどね。と、締めくくり気分を害したのかブラックは近くでカナイの作業を手伝っていたアルファにちょっかいを出し抜刀させると楽しげに外に連れて出てしまった。
マシロならきっと誰かを疑うなんてこと好まないだろう。
でも、僕はブラックの言葉どおり見極める目を養う必要がある。
母が憂い妹たちが憂い国が憂い世界が何に憂いているのか……そして、何を望んでいるのか……。
「その為にはまず兆し星に戻ってきてもらわないとねー」
細かな作業に疲れ、僕は、んーっと身体を伸ばした。
今日も外は上天気で空の高いところを自由な鳥たちが飛び去っていく。
でももう、今の僕はそれを見て気分が沈むことはなくなった。