(2)
ブラックの腕をなぎ払うと同時に、後ろに飛び片手剣を構えたアルファは、あー痛い。と空いた手でこめかみを押さえつつ、不満気にブラックを睨みつける。
睨まれているブラックは、同時に出現させたのだろう、仕込み杖をくるりと回してにこりと口角を引き上げた。
「ったく、どうして、週末じゃないのに、ブラックがくるわけ?」
「マシロの顔が見たくなったので寄っただけです」
「凄い迷惑っ!」
迷惑なのは多分あんたたち二人ですよっ! と私がいっても聞かないだろう。二人がじゃれているのは分かるけど、寮棟は私たちだけの場所ではないのです。他の寮生への迷惑も考えて欲しいよ。
私は苛々としつつ、牽制しあっている二人の間をあっさりと通り過ぎた。
「「え」」
と二人同時に零したのがおかしい。慌てて二人とも私の後ろを追い掛けてくる。
「ねぇねぇ、マシロちゃん。その箱中身何?」
ひょこりと顔を覗かせて訪ねてくるアルファに私は箱を掲げて告げる。
「これ? これはね、シューロールケーキだよ。シュー生地で生クリームとイチゴを巻いてあるの。今の一番の売れ筋」
私の説明に瞳を輝かせたアルファに「どうぞ」と箱を持たせてあげる。
わーい! やったーと素直に喜ぶアルファを見ると、怒る気が失せるから役得だと思う。
「じゃ、僕先に戻ってお茶の準備しときますね」
といいながら既に駆け出していたアルファを見送りつつ廊下を歩き始めると「ブラックも一緒に」と話を振れば、当たり前のようにゆるりと断られた。
「部屋まで送ったら今日は戻ります。本当にマシロに会いに寄っただけなんです」
そっか……と、口にしてそれ以上は口に出来ない私はやっぱり可愛くない。本当は、そういってくれるのが凄く嬉しい。寸暇を惜しんできてくるのが嬉しい。直ぐに帰っちゃうのが凄く寂しい。我侭をいうなら、もっと居て欲しい。
私は結局そのどれも口に出来ない。なんかもう自分自身にがっかりだ。
そんながっかりづくしな私の手をブラックはそっととって、指を絡めるときゅっと繋いだ。ふと、顔を上げれば、ブラックと目が合いにっこりと微笑まれる。
「やはり、お茶を頂いて帰ります。もちろん、マシロの部屋で」
あっちは、待たせておけば良いでしょう? と、続けたブラックに私は、ほっと胸を撫で下ろし自然と頬が緩んでいた。
私は到底自分に自信なんて持てない。
ラウ先生が思うように「どうしてだろう?」とこの手が解けてしまったとき、一人になったときいつも不安を抱えている。
「―― ……私も不安ですよ?」
刹那舞い降りた沈黙を破った一言に私は「え?」と間の抜けた声を上げた。隣を見たけどブラックは、ちらとだけ目を合わせて直ぐに顔を上げてしまった。
「未だに、どうしてマシロが私を選んだのかさっぱりです。見目悪いとは思いませんし、地位も権力も持ってますけど、マシロの周りはその手の輩ばかりですからね。だから私がその点で特に秀でて居るとは思えない……」
「エミルは分かるけど、アルファやカナイもってこと?」
ふと素朴疑問を漏らせば、呆れたような溜め息が落ちて「ほら、興味ないでしょう?」と苦笑される。いや、だって、みんなそんな風にはとても。
「アルファもカナイも上級職の中でもかなり上位ですからね。マシロの我侭を叶えるくらいの余裕はあると思いますよ」
いったあとで慌てたように「あ、でも、私が一番マシロの我侭に答えられますよ」と付け加える。
どんなツボで慌ててるのか、おかしいったらない。思わず、ぷっと噴出した私に、ブラックは尚不思議そうな顔をした。
「私、我侭大王みたいだよね」
「我侭は女性の特権でしょう?」
誰情報かはあえて聞かない。なんとなく想像つくから……。
「大体、マシロはその我侭が少ないんですよ。だから私も本領を発揮できないじゃないですか。いくらでも聞いて差し上げられるのに」
……その不貞腐れ方はどうなんだろう? 私はごめんなさいといわないといけないのかな?
「マシロが毎日会いに来て欲しいと望めば、幾らだって来ますし、いっそ同居しますよ? それに…… ――」
と続くブラックの話を聞きながら私は到着した自室の鍵を開ける。
手を離してくれないから開け難いことこの上ないけれど、私も離す気にはなれない。
かちゃり、と開錠の音がすれば、ブラックは「あ」と零す。何? と問い掛けつつ扉を開けば「いえ、なんでも」と首を振ったけど……もう着いちゃった。とでもいったところだろうか?
耳が……へにょんっと髪の間に隠れてしまっている。
―― ……どこまでこの人は可愛いんだろう。
さっきの話だって、自分自身に自信がないわけじゃないのに、私に愛される自信はないなんて……欠点だらけの私からいわせてもらえれば、有り得ない不安だけど、きっとブラックは真剣だ。
だから余計に可愛い。
こう、もう、がしっと抱えてわしわしわしって撫でたいくらい可愛い……ってあれ? 私、猫だから好きなのか? いや、ブラックだから好きなんだよね?
あれ?
「マシロって考えていることが、物凄く顔によく出ますよね?」
「え?」
「今、猫の姿にならないかな? って思ったでしょう」
拗ねたようにそういって「なりませんからね」とさっさと部屋の中へ入ってしまう。
こうやって、一緒に居ればちゃんと愛されていると実感できるのに、離れたとたん不安になるなんて……一種の刷り込み? それとも、洗脳かなぁ……。
自分でいった通り、お茶を準備してくれ始めたブラックの尻尾をくぃっと引っ張った。
「なんですか?」
「やっぱり一緒が良いよね」
いって抱きつけば、短く呆れたような溜め息を零される。
「貴方がそれをいいますか?」
「だって、やっぱり、ブラックのこと好きだなーと思ったらいいたくなったんだもん、仕方ないよね」
うん。確実に洗脳されてるんだと思うよ。脳内常春だよ。悪いか。
誰にいうでもない悪態を吐いて擦り寄ればブラックは当たり前のように受け入れてくれる。
「マシロって少し自虐的ですよね?」
「―― ……そうかな?」
「そうですよ。だって、その答えに行き着くくせに一緒に住むのはイヤなんでしょう?」
向き直って、私を抱き留めながらなんだか納得行かないと零すブラックに、私は改めて考えてみたけど、やっぱり一緒に住むのは、図書館の生徒でもあるし、ちょっと違う。
今はまだ、こうして、ふと強く実感できる気持ちがとても心地良くて、私を充実させてくれる。
だから、つい「そうかもね」と答えれば、ブラックは頬を摺り寄せてきて、当然のように私が顔を上げれば柔らかな口付けが降ってくる。
―― ……ああ、やっぱり好きだな……。
深く強く実感して、瞼を落とせば、少しだけブラックが笑ったのに気がついて、音だけで問い返す。
「いえ、本当にマシロは我侭で可愛いなと思っただけです」
真綿のように柔らかい雰囲気に満たされる、今がとても幸福だ。
ケーキが腐る! といって扉を蹴破ってきたアルファとブラックが再びひと悶着始めるまでは……の話だけれど…… ――