おまけ(カナイサイド)
気分は最悪だった。
どこの馬鹿が、この真冬に氷の張った湖に飛び込むっていうんだ。はっきりいえば、自己嫌悪。
マシロは自分のせいだと思っているようだけど、実際はそうじゃなくて、俺の油断だと思う。
熱を出したのなんて、いつ以来だろう?
魔術師は体調の良し悪しが術に如実に現われるから、どちらかといえばその管理には徹底したものがあった。だから、ちょっとやそっと無理した程度では寝込んだりしない。
それが、こうも簡単に寝込むことになるなんて正直怠けている証拠だと思う。
だから落ち込んでいるというのに、静かにそうさせてはもらえないことに僅かな苛立ちを込めて、アルファとマシロに当たってしまった。
アルファはいつも通り返すが、マシロは凹んでいる。
なんとか、取り成してやるべきだとは思うけれど、そんな余裕もない。
俺はなんとか二人を追い出すことに成功して、枕を背もたれにしてなんとか上体を起こす。
そして、はぁと溜息を吐いた。
口から吐き出される息が熱い。
魔力が漏れ出ないように体内に集中もしないといけないのに、頭もぐらぐらする。大聖堂に居たころだったら確実に隔離されていた。
いや、寧ろそのほうが楽だ。
「どう? 全然駄目っぽいね」
二人が出て行ってやっと一息ついたと思ったら、エミルが薬湯を持って入ってきた。
「隔離しても構わないぞ?」
「ここは図書館だよ? 魔術防壁のある部屋なんてないよ。それに、そんなことしなくても大丈夫でしょ」
あっけらかんとそういったエミルは「はい、飲んで」とゴブレットを押し付けてくる。あまり食が進むような香りを発しているとは思えないそれに眉をひそめたが、飲まないという選択肢は存在しないだろう。
「風邪には休養が一番だよ。ゆっくり休まないと……」
あまり寝てないんじゃない? と続けたエミルの質問から逃げるように、俺は薬湯を呷った。見た目通りの味に、僅かに咽る。
「少し強めの睡眠導入剤を混ぜたから、ゆっくり眠ると良いよ」
「……っ、余計なこと……俺は少しくらい寝なくても大丈夫だ」
毒づいて、げほっと咳き込んだら、窓硝子がぴしっとひび割れる音がした。
いった傍からこれでは説得力がまるでない。
俺はエミルから逃げるようにベッドに潜り込んだ。
直ぐに瞼は重くなり、十も数えないうちに俺は眠りに落ちてしまった。滅多に取ることのない、深い深い……底のほうに落ちていく……。
―― ……夢を見た。
もう幾度となく繰り返される夢。
俺なんかを庇って、俺なんかを助けて……「良かった」とそう馬鹿みたいな台詞を繰り返される……悪夢以外の何ものでもない。
どうして、俺が罰を受けなかった。
どうして、俺が傷付かなかった。
どうして、俺が種に還らなかった…… ――
全ての疑問の答えを俺はまだ見つけられない。
だから、ただ、ただ、繰り返し見る。
肉体が乖離していく瞬間。
俺は何度も夢の中であいつを殺している。
しっかりと抱きとめたはずなのに……この手には何も、残ら、ない……。
いつもは無音の夢の中でただ叫び続けるのは、俺だけなのに、悲鳴のような声が聞こえた。
「―― ……っ!!」
はた、と目を覚ませば、視界が揺れていた。地震……というよりは……
「……っ痛……痛い、馬鹿、脳みそ出る」
なんとか声を絞り出せば、やっと揺れが止まり解放される。べそをかいたような顔で人の顔を覗き込んでいたマシロに毒気を抜かれる。
薬で寝てただけなんだから、そんな必死に叩き起こさなくても、死にゃしないっていうのに変な奴だ。
わけを問質せば、りんごを剥いた。というし……そんな取ってつけたような理由。誰が信じるんだよ。
その証拠のように、慌てて差し出されたりんごにはナイフが刺さっていた。
うなされていたかと問えば、遅疑逡巡したあと頷いた。
繰り返される台詞も、きっと一緒だからろくなことはいっていないだろう。だから寝るのなんて嫌なんだ。そのことについて、なんだかなんだと問質されるかと思ったら、あっさりと引いた。
女ってこういうことに、根掘り葉掘り首を突っ込みたいものだと思っていたけど、違うのかもしれない。
だからか、こいつが近くに居るのは違和感ない。
エミルのところへ行くという、マシロを見送って俺は念を押された着替えを済ませることにした。
「カナイさーん。マシロちゃん、苛めたんですか?」
まだ、ぼーっとしている頭をなんとか起こして着替えをしているとアルファがひょっこりと戻ってきた。
俺は「は?」と首を傾げつつ、手近にあったタオルを放り投げてやる。
「なんかしょぼしょぼしてましたよ? マシロちゃんは女の子でカナイさんよりずーっと複雑に出来てるんですからね。気をつけてあげてくださいねー」
受け取ったタオルで、顔を拭きながらぶつぶついいつつ浴室に消えていく。あいつこそ風邪を引け。
それにアルファにそんなこといわれる日がくるとは思わなかった。
そのあと、ぐだぐだいうアルファを部屋から追い出すことに成功したものの、マシロが帰ってこなくなった。
サイドボードの上に載せてあった本を手に取り暇を潰す。
『マシロちゃん、僕らにどんな一面があったとしても、変わらないと思いますよ?』
いい残したアルファの台詞を何度も繰り返す。
誰にだって過去があるし、懺悔したいこともあるだろう? 懺悔……か……誰かに許されたいなんて思ってないはずなのにそんな言葉が脳裏に浮かんで苦笑する。
「ただいまー」
「遅かったな?」
マシロが運んできた薬に口をつけ、ベッドに潜り込む。直ぐに襲ってくる睡魔に抗いながら、ぽつぽつと零す。熱で頭はぼーっとするしろくなことは口にしないだろうということは分かっていたけれど……また、きっと俺はあの夢を見る。
そうすれば、安眠はまたマシロによって遮られ……その繰り返しをすることだろう。
マシロの小さな手が燃えそうなくらい熱くなってしまっている俺の手に絡む。水を使っていたせいで、冷たくて心地良い。
―― ……ああ……離したくない……。
ふと脳裏に浮かび、直ぐにそれだけで頭の中は一杯になってしまった。その一心で、俺は指先に力を入れた。
ぎゅっと握り返された手に安堵し、泣き言のようなことを口にしてしまったかもしれない。
―― ……俺は、もう、何も失くさないし、何も間違えない……。
「俺は、間違えない」
声にはならなかった。でも、口内で繰り返した言葉に心が凪ぎいてくる。とても穏やかな気持ちに俺はどういうわけか『美しいとき』という言葉を思い出した。
馬鹿馬鹿しく、絶対にこんな俺には巡ってこない代物であると思っていたのに……指先が届く場所に、声が届く距離に『美しいとき』を分け与える少女が居る。
散々否定してきたものに、俺は今心の底から癒されたいと思ってしまった。
本当に……俺はなんて自分勝手なんだ、ろう、な……。
そして俺は夢も見ることのない深い眠りを得ることが出来た。
しかし、その代償としてマシロに風邪がうつってしまい全員に責められた。黒猫からは命の危険すら感じ取った。本当に俺が責められること、なのか? 不満にも思ったが、それ以上に満たされていたから、甘んじてその責めを受けた。
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