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小種93:夜桜

【with エミル】

 月が綺麗な夜だ。

 もう夜空に月が二つ並んでいることに違和感を感じない程度にはこの世界に馴染んだと思う。


 そして、今は私が一番好きな季節だ。

 季節の移り変わりの変化は乏しいが、花の咲く順番というのは変わらない。

 今は夢見草が満開になる頃だ。


「マシロ」


 中庭のベンチに腰掛けて首が痛くなるほど月と桜を見上げていた私の視界が遮られる。


「エミル」


 遮られた先にあった顔にのんびりとした声をかければ、眉間に薄く皺が入った。


「不用心だよ。また一人で部屋を出て」


 しかもこんな時間に。と年長者らしいお説教。

 でも、エミルにいわれると微塵も反発する気が起きない。

 ごめんね? と、微笑んだ私にエミルは反省の色がないとわかりながらも、仕方ないなと諦めたような笑いを浮かべ、隣に腰を下ろした。


「エミル、何か煮込んでたでしょう? 窓から煙が漏れてた。部屋でやると、また軍艦さんが乗り込んでくるよ?」


 くすくすと笑いながら告げれば「あれ?」と今度はエミルがとぼける。


「月を見てたの? それとも夢見草?」


 わざとらしく話を逸らしたけれど、私はそれに載っかって上げることにした。


「両方」


 いってまた空を仰ぐ。


「本当、好きだよね? 毎日見上げて何か違う?」


 エミルが不思議そうに私の顔を見ているのが分かるけれど、私はそのまま桜の隙間から覗く月を見上げる。

 何も違わないと思う。

 少なくとも私に星詠みの素養はないから、毎夜見上げる星や月の変化は分からない。


「月……やっぱりまだ恋しい?」

「ふふ、私、月の住人じゃないっていってるのに」


 至極真摯にそう問いかけてくるエミルがおかしくて、思わず笑ってしまった。


「故郷って意味だったら、それを懐かしいと思わない人は居ないと思うよ? でもそれが不幸なことかといえばそんなことはないと思う。思いを馳せる場所があるってことは幸せなんだよ」


 兄弟も両親のことも私はとても好きだったから、ふとしたときに思い出す。そんなこと極当たり前のことだ。

 それを苦しいとか辛いとかは思わない。

 寧ろ暖かく懐かしい気持ちにしてくれることが幸せだと思える。


「美しいときが占める世界だもんね……忘れがたい、よね」

「やだな、エミル。どうしたの? 何かあった?」


 試薬が完成しなかったの? と付け加えればエミルは、にっこりと微笑んでその部分は「まさか」と答える。

 良い笑顔なので、きっと明日はカナイが被験者になるんだろうなー……。何する気なんだか。


「何もないんだけどさ。僕の知ることの出来ない世界だから、一緒に懐かしむことも出来ないし、夜空を仰ぐマシロの横顔があまりに綺麗だから、遠くにいっちゃいそうで怖いんだ」


 真剣すぎて笑えない。

 元の世界でそんな台詞を平然と吐ける人物が居たなら、絶対にお近づきにはなりたくない。お近づきになりたくないはずなのに、目の前の王子様は平然とそんな台詞を吐き、私は嫌悪感を抱くことなく平然とそれを聞いている。


 凄く不思議だ。

 慣れって偉大だ。


「今はそんなこと考えてたんじゃないよ?」

「じゃあ何を思ってたの?」

「いや、うん。桜の木の下には死体が埋まっているっていう話を聞いたときのことを思い出してたの」

「えっ? そんな風習があるのっ?」


 いや、ない。ないよ。エミル。

 エミルって、未知の世界に対して純粋すぎるよ。

 まあ、遺体が気化してしまうような世界では、想像も付かないことなのだろうけれど。


「ないけどね。でも小さいときは信じてたなと……桜の木の根っこがその血を吸い上げて、花を染めているのだと聞いたときには……」

「怖かったの?」

「わかんない」


 続きが出なかった私に、エミルは素直な問いかけをしてくれたけど、私は答えを持っていなかった。

 臣兄に聞いたとき、怖いと思わなかったわけじゃないけど、でも、そんなに悪い話じゃないと思ってしまった。

 だってそのとき見上げていた桜は…… ――


「本当はね? 一時期花見の席でそのまま酔って寝込んで亡くなる人が居るってことで、注意を促すためにだか、なんだか、そんな話だったと思うんだけど」


 いいながら、私はベンチの後ろに両手をかけて、ぐんっと背を反らし顔を上げた。

 限界までそうすると、ぐらりと倒れそうになり、エミルが「危ないよ」と当たり前のように支えてくれる。


 私はお礼をいって、そのままエミルに体重を預けると、夢見草の間から覗く月に瞳を細める。

 月明かりに青白く映る白い花弁はこの世のものとは思えない優麗さがある。


「私、今日はね、この景色を目に移して眠りながら逝けるならそんなに悪くないんじゃないかと、そう思ってたんだ」

「マシロ」

「って、そんな不安そうな顔しないで。大丈夫だよ、別に、何かあったわけじゃないし、死に急いでいるわけでもないから、ただ」


 そう、ただ純粋にそれほどまでにこの瞳に映る景色が美しかった。

 それだけの話だ。


「―― ……僕は、夢見草が嫌いになりそうだよ」

「ええっ?」

「いつかこの景色はマシロを僕らから、世界から奪ってしまいそうで、怖い……」


 そのとき私は、まさかと笑ったけれど、そのとき私が一人でないのなら、きっと私の美しいときの終焉はそこにあるのだろうと、そう、思えた。

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