第一話:騎士の本願―前編―
―― ……大儀なき武力は暴力に他ならず、決して行うべからず…… ――
僕はまだ子どもで教わったことをそのまま鵜呑みにすることしか出来なかった。だから自分より下位のもの、無力なものへの応戦はしてはいけないものだと我慢した。
「……っ痛」
「アルファルファは、訓練でも試験でもトップなのに実践では無力なのだな?」
歳の離れた同じ階位生からの仕打ちを手当てしてもらうと必ず掛けられた言葉。
「やはりまだ子どもだな」
僕はその言葉を否定することも、教えを破ることも出来なかった。
だから僕は怪我を放置気味になっていた。
常に体調は万全でなくてはならないのに、満身創痍のまま実習に立つこともあった。でも、僕は誰よりも強かったし誰にも負けなかった。
その日は、騎士塔に訪問者があった。
大聖堂の生徒が治癒術の実習を兼ねて、騎士塔学生の健康診断をするそうだ。大聖堂の生徒は女性が多かったし華やかな人が多いから騎士塔は賑わっていた。
「……なんで子どもがいるんだ?」
時間で割り振られ、自分の順番になってしまったので渋々その席に着くと、開口一番の台詞に眉を寄せた。
だけど僕は、顔を上げた先の大聖堂学生も自分とそう変わらない年代に見えてワザとらしいくらいに大きく瞬きをしてしまった。
「貴方もそんなに変わらない」
「オレ? そうだな。確かに変わらない。でもオレはもう最上級階位だし、今日の引率を任されてる。まあ一応責任者だ。だから、自分の管理すら行き届いていないお前とは違う」
こつこつと机上の紙を弾きながら、面倒臭そうに口にする彼に僕はぐぅの音もでなかった。
「王宮は閉鎖的だからなお前みたいなのは苦労するだろ? まあ、部外者のオレがとやかくいえることじゃない。今オレに出来るのは……」
うーん……っと、名簿を指で撫でながら僕の名前に行き着いたのか、コツコツっと二回打ってにやりと得意げに口角を引き上げた。
「アルファルファ、運が良いな。オレならかすり傷一つ残さず治してやれるよ」
呆れるほど自信家な大聖堂の生徒はいつでも呼べといったくせに名前も告げなかった。
「馬鹿だよね……」
ぽつっと零した僕の独り言は誰にも……きっと、届かない。でも久しぶりにかすり傷一つない身体は軽くて気持ちも軽くなった気がしていた。
それから程なくして僕は最上級階位への進位試験資格を得られた。
大抵の生徒は、十年以上の騎士塔生活でようやく得られる資格だけど、僕はそこまでの階段を五年で駆け上がった。
騎士塔を出て王宮内の一角で僕は時間を潰すことが多かった。
友人と呼べる人も居なかったし、何より無駄な争いの種に僕自身がなることを良く分かっていたから。
そこは騎士塔も王城も見渡せて遠くには聖域も見ることが出来る。
小高い丘になった場所で、物見の塔の最上階くらいからじゃないと見つけられないような場所だった。
僕だけの場所だったのに、ごろりと横になった僕の顔を覗き込んできた人物が居た。
最初は影になって分からなかったが、僕が身体を起こすのと同時に姿勢を正した人物は背にした青空を映したような髪の色をしていた。
力強い意思を感じさせる瞳は僕がさっきまで背にしていた青草と同じ色だ。鮮やかなその姿に僕は刹那時を止めた。
「君がアルファルファ?」
ここは王宮だから身なりの良い人は山ほどいるけど、僕の前に現れた人は品も良さそうで、僕は直ぐに王族に席を連ねる人だろうと思った。
丘の上にある巨大な夢見草の傍で寝転んでいた身体を起こしただけだったので、慌てて立ち上がり腰を折る。
「ここは城内じゃないし、君はまだ騎士じゃない。王宮仕えじゃないのだから気にしなくて良い」
いわれて「はいそうですか」と、頷けるほど僕は子どもでもなくてますます身を固くした。
「君、学園を出たらさ。私の近衛にならないか?」
突然の言葉に僕はとても間の抜けた顔をしていたのだろう。そんな僕を見て彼はとても楽しそうに笑った。
「私の名はセルシス。いや、名前なんてどうでも良い。今は王位継承順位第三位の王子だ」
それじゃあ頼んだよとセルシスと名乗った王子は勝手に締めくくって僕の前から姿を消した。僕は身じろぎ一つ出来ずにセルシスが去っていったほうを見送っていた。
僕の家は騎士を多く輩出している家系で、王族直属の近衛兵についているものも少なからず居て……だから王位継承権の近い王子から直々に指名されることがどれほど名誉なことか、心が震えるほど良く分かっていた。
僕は浮き足立っていたのかも知れない。
出る杭は打たれる。
僕が最上級階位進位資格を得たことを面白く思わない同階位生に絡まれた。
「お前本当に使えるのか? お遊戯みたいな型通りの剣術じゃあ、何の役にも立たないだろ?」
剣は使わない。
でも確実に苦痛を与える拷問術に近いものを受けた。
避けることも交わすことも出来ないわけじゃない。だからといってこの場を逃れてもこの手の輩は陰湿だから執拗に追い詰めてくるだろう。
今、このとき堪えてやり過ごせばいい。
そう思って僕は堪えた。
口の中に血が溜まりもう一度腹部に蹴りを受けると石床を血で染めた。あばらが三本くらいは駄目になってる。このまま意識を手放してしまえば次に目を覚ましたときには医務室の天井を見上げているかも知れない。
でも僕は頑丈で、このくらいでは倒れることは出来なかった。
気を失う様子のない僕に痺れを切らせた同階位生はこともあろうか剣を抜いた。刀身が空を切る聞き慣れた音と動きを感じ反射的に僕は剣を抜いてしまった。
僕も重症を受けたけど相手ほどではなかった。
彼はもう二度と立つ事も剣を振るうことも出来ないだろう。
―― ……ただ息をしているだけの人形になった。
僕はその一件の責を問われ試験資格を失った。
もう永遠に得ることは出来ない。
失意の底の僕をさらに落としたのは、王宮からの退学処分だった。
僕が勝手に言い掛かりをつけて彼に剣を揮ってしまったことになっていたらしい。僕はちゃんと嘆願したけど騎士塔に僕の味方は誰も居なくて、僕は騎士塔を追われた。
母はそんな僕でも優しく迎えてくれたけど、父は顔も見せてはくれなかった。
「お父様は貴方に特別期待をされていたから」
母の言葉が僕に追い討ちを掛けた。
僕は父の期待に応えることが出来なかった。
それどころか、これでは伝で騎士職に就けたとしても上の任に就くことは出来ないだろう。
家にも居た堪れなくて僕はよくふらふらと外出した。
遊びに出ているというよりはもう日常の一環になってしまっている稽古を一人でやっていた。
そんな生活が暫く続いたある日家に王城からの遣いの者と書状が来た。
「……僕を王城へ?」
書状は僕を騎士団へと向かえることと、王子の護衛につくことが書かれていた。署名はセルシスとなっている。その名に父は少し苦い顔をしたものの、もう諦めかけていた息子の道が開けたことを喜んでくれたのだと思う。
僕はそのあと直ぐに王城に勤めることになった。
「や、少年。凄い騒ぎになってたな?」
騎士団に入ると学生のように無駄に絡まれることはなくなった。
だけど年齢差からか特に親しくするものもなく、僕は独りで居ることが多かった。
そんな僕に声を掛けてきたのは空色のセルシスだ。
「王子! この度は過ぎたお引き立てありが……」
「いい、いい。やめておけ。私は確かにここにお前を引き立てたがそれがお前にとって吉と出るか凶と出るかは分からないだろ?」
僕には王子がどうしてそんなことをいうのか分からなかった。
そんな僕に王子は自嘲気味な笑顔を浮かべて自分の髪と同じくらい青い空を見上げた。
「私は今王位継承順位こそ近いが第四寵姫の子だからな。お前も私も過ぎた素養に振り回されるな?」
王子はそういって笑ったけど泣いているのかと思った。
僕には王族間の揉め事は良く分からなかった。
首を傾げた僕に、王子は気にするなと頭を撫でた。
そして王子は直ぐにその場をあとにしたけど僕は撫でられた頭を抑えて暫くその場に立ち尽くしていた。
こんな風に僕に触れる人は母以外に居なかったから。